2015年7月29日水曜日

チカラの入った人生

「それだよそれ、俺が求めていたリズム!!!」
ムキムキのマリオ先生が笑顔で叫んでいる。常に無表情な彼が笑ったのは初めてだったし、褒められたのも初めてだった。確かに自分でも信じられないくらいに力が抜けて自然な泳ぎが出来たのだった。

水泳を始めて1か月が経つ。
サンパウロに着いた翌月に始め毎朝実行するのが趣味と化したランニングは、行き過ぎが祟って2年で膝を痛めた。整形外科医によるとランニングをストップすることと、ストレッチと膝を守る筋肉のトレーニングが必要とのことで、その為のリハビリ医を紹介するとかなんとかで、そんなつまらないものはやりたくないので他の道を探すことにしたというわけだ。

運動になるし、ひざに負担もかからない。そして膝を守る筋肉を鍛えることにもつながるだろう水泳なら、全身をバランスよく鍛えることにもなるし好都合だ。家の近くで気になっていた子供水泳教室の様な場所があり、そこでは大人向けもあるかと飛び込み見学して尋ねたところ、非常に小さいスペースであるが一コマ4人限定で受け付けているのだという。見学すると17m3レーンある。一人の先生が4人に対して同時に指示を出す形だ。

規模は極小だが、家から至近だしレッスンを受けるには寧ろ目が届いて良いのではないかと思える。先生は男性のみだというところで淡いゲスな期待は崩れたものの、すぐに申し込みをしたのであった。

かくして水泳教室は始まった。38歳にして初めての水泳教室だ。子供のころにも習ったことが無い。目的は、リラックスして効率の良いフォームを身に付け、長時間・長距離泳げるようになることだ。一貫してマリオ先生から指摘されていることは、「もっとゆっくり」と「力を抜け」の二つ。どうやら相当に力が入っていて、急いでいる様だ。何度やっても「まだ早い。ゆっくり」と顔を上げるたびに言われるのだ。

同じようにこちらで先生に習い始めたことがあって、それはゴルフであり、そのマルシオ先生からも全く同じ指摘を受けている。曰く、「力を抜け」と。力みは何も生まないのだと。

事ここに至ってはたと気が付く。俺の人生、いままでどれだけリキんで生きて来たかということに。裏を返すと効率を漏らしてエネルギーを浪費してきたなと。

思えばスポーツだけでなく、生きること全てにおいて、力む、急ぐ、が標準仕様になっていた気がする。不惑のターニングポイントを前に、とても大切なことに気が付くことが出来たのではないか。これまで38年間、力みっぱなし(笑)。こうして力んできた人生は、思い出すだけで恥ずかしいけれど、あの様なシャカリキな過程があってこその今の気づきなのだと昔の自分を慰め労ってみたりもする。

赴任→腎臓結石→ランニング→膝不調という経緯を経なければ、水泳にも巡り合えなかった。一見行き当たりばったりで流れに翻弄されてきた様にも映るけれど、実際には全て自ら動き求めてきた帰結だから胸も張れる。これもなんだか面白いと感じる。

ゴルフは未だに要領を得ないし、何度となく発狂してクラブを捨てようと思って来たけれど、『リラックスを強要される』稀有な機会と位置付けると、今度は自分の牛歩な成長に楽しみながら寄り添える気がする。苦労している自分を俯瞰して慈しむみたいに。


というわけで引き続き、力みを排除するシンボリックな機会を大切にしつつ、チカラの入った自分を戒めていきたい。すぐ忘れるんだけどね(笑)

2015年7月4日土曜日

こより

読み終わる。
こよりであったりしおりであったりするのだが、最後それをどこにしまうのか悩む。

挟まなければ、それまで共に少なくない時間を過ごしてきたそれをぞんざいに扱っている様だし、一番最後のページにしまうと、まるで次が無い様だ。かといって中途半端なページに放り込むような失礼な真似は出来ない。最初のページというのも、ありきたりな気がする。第一バランスが悪い。

作家の膨大な頭脳闘争のしるしをまざまざと見せつけられ、作品の前に無防備な読み手として彼らに導かれるまま、ラストまで無心に突き進む。内容に没頭すれば23日で読み終えるその間の作業は、身体も痛むし目も疲れるしのまさに戦いであって、身を削りながら作家に対するリスペクトを募らせるプロセスに他ならない。

読後の茫洋とした達成感と疲労感とがないまぜになった感覚にクールダウンをするようにあとがきにさらりと目を通し、余韻を締めくくる最後の作業がこのこより収納なのであって、それは読後の満足感によってどこに着地するかが変わってくる様な気がする。

いまだにどこにしまうのか、それは決まっておらず、読後の自分の感覚に任せているのだけれど、毎度のことながら心地よく浸っている読後の興奮を冷ますかのようにそんな些細なことに逡巡している自分に気が付くのが邪魔でならない。でも些細ながらもこの作業は作家に対する意思表示の象徴であるかの様な気がするからおざなりにもできない。

今日は読了前最後の再開時においてあったその場所にそのまま放置するという新しいパターンで、これが最もフィーリングを妨げない気がしてしっくりきた。バランスも悪すぎはしない。


ペン一本で人の心を離陸させる仕事を職業にしている人々への尊敬と嫉妬を抱きつつ、それでもまた小説を手にしては読破していく日々である。