2016年7月30日土曜日

市中引き回しの刑

ブラジル人ふたりを連れて日本出張に来ている。

一週間で効率よく回らんとする為、その行程は自ずとタイトなものとならざるを得ない。
時差ボケ冷めやらぬ到着翌日からギッシリと詰め込まれたスケジュールをこなすうちに、だんだん彼らの元気が目に見えて減っていくのを目の当たりにし、こりゃ市中引き回しの刑に等しいかもとタイトなアレンジを我ながら反省したのである。

東京からスタートして茨城、千葉、大阪、広島、大牟田、そして宇都宮と7都市10社を巡る旅を5営業日でこなしたのだが、その際にみじんの遅刻も発生しなかった。つまりすべて計画通り回りおおせ、各商談は満足のいくものであった。だがその際に違和感を感じた。

それは、一糸も乱れぬダイヤに翻弄されるストレスとでも呼ぼうか。

日本人は慣れ切ってしまっているものだが、ガイジンからしてみたらものすごくストレスフルな要素である様だと推察するのである。このことは、日本に住んでいた昔の自分ならきっと気が付かなかった。自分がもはや半ばブラジル人になっているから感じられるものだと実感したのだ。

ニッポンで分刻みでの移動スケジュールを実現たらしめる背景には、正確に運行される公共交通機関の存在がある。それ故に、乗り換えなどの要所要所で早歩き、何分前までにJRから私鉄に乗り換えて何番線にたどり着いて移動中にランチを済ませる為の弁当を買って云々の細かい行動、これがストレスに他ならないのだと。

日本は公共交通機関の運行に原則乱れが起きない。起きにくい。なので、よほどのことが無いと計画対比遅刻するということはありえず、もし遅刻した場合それは自分達がなまけたか、そもそも計画に無理があったということになる。後者はお粗末だし、間違っても前者と判定されたくないので、人々は急ぐことになるのである。

こうしたプレッシャーは、日本人なら慣れているが、ガイジンには正直きついのだろう。少なくとも交通手段が飛行機と車しかないブラジル人には。そもそもブラジルではその両方の移動手段ともに遅れがつきものであるからして、商談時間の設定は極めてグレイなのである。

だいいち時差ボケもあってうまく眠れず、体調は万全ではない。いくら日本通でも日本食にも疲れて来るし、そんなこんなで出張の後半ともなるとだいぶグロッキーな感じになるのである。


というわけで、成果としては上々の形だったけれど、疲労困憊の様子のブラジル人に、最後の訪問を終えた金曜日夜、故意ではなかったものの、負荷をかけて申し訳なかったね、と謝った。全然いいよ、結果に大満足だよ、とは言ってくれたものの、その顔と身体は一回り小さくなったように見えたのである(合掌)。

2016年7月20日水曜日

服のセンスと第二次性徴

あれは一体どのようにして培われるものなのだろう。
服のセンスの良い人というのは、絶対にある一定のレベルを崩さない。一日たりともハズレの日がない。そしてどの装いも、その人のレベル感で安定している。不思議だ。

小学生の頃、僕の服は親が買っていた。
僕は4人兄弟の歳の離れた末っ子ということで、親は比較的年齢が高めであり、また質実剛健を尊しとする気質があって格好なんて気にするなという感じだった。自分も特にそれを気にすることはなかった。少なくとも4年生までは。

その夏、突然陸上の選手に選ばれて、 愛知郡の大会に授業を休んで出ることになったのだ。
だが服がない。いつも体操服(半袖半ズボン)で体育の授業と放課後のサッカー部に参加していた。寒くても半袖半ズボンだ。よって、ジャージやスウェットのような、運動に適した気の利いた長袖長ズボンがなかった。

気がつけば大会前日の夜で、買ってくれという様な交渉をするという選択肢は頭になかったものの、さすがに半袖半ズボンじゃぁ選手としてまずかろうということになった。おまけにその大会は補欠だったので、ずっと上に何かを羽織っていなければおかしいのである。

で、母親が出してきたのが、8つ上の兄が昔履いていただとかいう白いトレパン的なものだった。上着はといえば、6つ上の姉のお古の水色のパーカーで、完全なる普段着。そのちぐはぐな上下で遠征に臨むのかという現実を目の前にして、小学生の私は初めて「センス」というものの存在に気がついたのだと思う。

おまけにそのトレパンには東ハト・ポテコの復刻パッケージデザインみたいな星マークがサイドにあしらわれているというなんともレトロなものだった。シルエットはストレート。今見たらきっと逆にイイのかもしれないが、当時は足首の締まったジャージが普通だったから、その異様さたるやかなりのインパクトがあったはずだ。結局その大会は出番もなく、補欠としてただただおとなしく大会が過ぎ去るのを待っていた気がする。

朝、集合場所に向かう時の冷や汗感と、当然のようにAdidasなどの上下揃いのジャージに身を包んだチームメイトがMr. ポテコを見た時の気の遣い様とがないまぜとなって、思春期入り口のざらついた思い出なのである。


・・・ポテコ事件から3年後、僕は中学1年生になった。

センスは相変わらずなかったけれど、それで致命傷を食らうこともなかった。
ただもう一つ問題があって、それは背が低かったことだ。

中学生の男子にとって、身長は最大の関心事であり、背の低いこと自体もさることながら、廻りがグングン伸びていくのに自分が止まっていることの焦燥感たるやそれはもう悲惨なもんだった。

ある日サッカー部の練習帰り、僕はチームメイトのエイジ、イワイ、モリカネと並んで川べりを自転車を押しながら歩いていた。その時の話題は、ジーンズだ。当然のごとく僕は持っていなかった。たしか誰かがエドウィンを買っただかなんだか言っていて、僕のわからない内容である「服のサイズの単位」に関するやりとりがなされていた。

僕は純粋にサイズのことをよく知らなかったから、「それって子供用のLってこと?」と聞いてしまったときには後の祭り、当時身長がそれぞれ155~170cmくらいあった彼らは皆一瞬黙ってしまったものだった。

僕の中学校入学時の身長は143cm、クラスで2番めに小さかったのだ。第二次性徴は後回し、服もひとりだけ「子供用」だったのだ。頓着してないから母が買ってくれるものを着ていたのだと思う。あの時のメンバーはみんな大人で、その話題からそっと優しく外れてくれたのだったと思う。

僕はといえば、子供用発言を放った瞬間に、いまだに子供用で事足りているという、オトコとして誠に情けない事実を自ら公表してしまったことを心底恥じ、その後何を話していたのかも全く覚えていない。

それからもう一つ。
「体毛が生えていないこと」が逆に恥ずかしくて、父親と風呂に入るのを拒んだものだ。
親からしてみたら、まぁ、そういうこともあるだろう、そろそろそういう時期なんだな、なんて思っていたかもしれなのだけれど、実は「まだそうじゃないこと」が恥ずかしくてのアクション、ということもあるのだ。

思春期の子どもを持つ親御さんには、ぜひこうしたナイーブな反応に驚くことなく、見逃すなりしていただいて、彼らの成長に寄り添っていただけたらと思うのであります。

最強のブラジルごはん

ブラジルは食の宝庫だ。
食材が豊かで安く、各地に特色のある伝統的郷土料理がある。それに加えて移民が持ち込んだ文化がうまく融合して、「ブラジル食文化体系」を形成している。

とりわけ素晴らしいのは、肉とフルーツの安さ。
そして野菜のバリエーション。

これは意外と知られていないことだが、日本人移民が来るまでは、この地に野菜は少なかった。彼らが種を持ち込んで、ブラジルの食卓に緑を添えたのだ。日系人の食素材栽培に対する貢献は大きく、野菜全般のほか、リンゴ、カキ、ナシなどの比較的寒い系のフルーツ栽培、また鶏卵などにおいてもその発展にリーダーシップを発揮したという。

そんなブラジルにあって、最強の一皿はと問われれば、僕は迷わず『農園メシ』を挙げる。
仕事柄、多くの農園を廻ったが、そこで出される農園主の家庭料理であったり、従業員食堂で振る舞われるごくフツーのランチなどが、たまらなく美味しいのであって、これが僕の知る限り、『ブラジルで最高に美味い食事』ということになる。勿論デザートもつく。

仕事でしか行かないから、観光ではなかなか味わえないこうした食事、小生のブラジル任期滞在中になんとか家族にも食べさせたいものである。