ブラジル人ふたりを連れて日本出張に来ている。
一週間で効率よく回らんとする為、その行程は自ずとタイトなものとならざるを得ない。
時差ボケ冷めやらぬ到着翌日からギッシリと詰め込まれたスケジュールをこなすうちに、だんだん彼らの元気が目に見えて減っていくのを目の当たりにし、こりゃ市中引き回しの刑に等しいかもとタイトなアレンジを我ながら反省したのである。
東京からスタートして茨城、千葉、大阪、広島、大牟田、そして宇都宮と7都市10社を巡る旅を5営業日でこなしたのだが、その際にみじんの遅刻も発生しなかった。つまりすべて計画通り回りおおせ、各商談は満足のいくものであった。だがその際に違和感を感じた。
それは、一糸も乱れぬダイヤに翻弄されるストレスとでも呼ぼうか。
日本人は慣れ切ってしまっているものだが、ガイジンからしてみたらものすごくストレスフルな要素である様だと推察するのである。このことは、日本に住んでいた昔の自分ならきっと気が付かなかった。自分がもはや半ばブラジル人になっているから感じられるものだと実感したのだ。
ニッポンで分刻みでの移動スケジュールを実現たらしめる背景には、正確に運行される公共交通機関の存在がある。それ故に、乗り換えなどの要所要所で早歩き、何分前までにJRから私鉄に乗り換えて何番線にたどり着いて移動中にランチを済ませる為の弁当を買って云々の細かい行動、これがストレスに他ならないのだと。
日本は公共交通機関の運行に原則乱れが起きない。起きにくい。なので、よほどのことが無いと計画対比遅刻するということはありえず、もし遅刻した場合それは自分達がなまけたか、そもそも計画に無理があったということになる。後者はお粗末だし、間違っても前者と判定されたくないので、人々は急ぐことになるのである。
こうしたプレッシャーは、日本人なら慣れているが、ガイジンには正直きついのだろう。少なくとも交通手段が飛行機と車しかないブラジル人には。そもそもブラジルではその両方の移動手段ともに遅れがつきものであるからして、商談時間の設定は極めてグレイなのである。
だいいち時差ボケもあってうまく眠れず、体調は万全ではない。いくら日本通でも日本食にも疲れて来るし、そんなこんなで出張の後半ともなるとだいぶグロッキーな感じになるのである。
というわけで、成果としては上々の形だったけれど、疲労困憊の様子のブラジル人に、最後の訪問を終えた金曜日夜、故意ではなかったものの、負荷をかけて申し訳なかったね、と謝った。全然いいよ、結果に大満足だよ、とは言ってくれたものの、その顔と身体は一回り小さくなったように見えたのである(合掌)。