2017年8月27日日曜日

オトコの習性と、オトナの視点

今日土曜日のランチはミスドである。
いつも感心するのだが、ここの商品群はホントに強い。

女性にはドーナツとカフェメニュー、男性にはお代わり無料のコーヒー、子供には無敵フードであるラーメンがある。このラーメン、元々無敵な上に味付けが極めてプレーンという念の入れようで、オールマイティ感がハンパないのである。あれがダメな子供はまずいないだろう。と言うわけで、子供連れファミリー向け最強コンテンツを擁するこのチェーンは、数年前にコンビニがこぞって仕掛けたドーナツ戦争にもビクともせず、寧ろ返り討ちにしてみせたという、ツワモノなのである。

そんな場所で出くわした、オトコの習性。
我が息子カイージ(4歳)が教えてくれたものである。

こちらはラーメンについているプラスチックのフォークと、ドーナツポップについている小さなプラスチックのクロモジ的なピックである。息子は、ラーメンを食べるために、迷わず短いピックの方を選択。これで試してみたいという訳だ。こういう意味不明なチャレンジは、小さい男のコをお持ちの親御さんにはあるあるだと思う。そう言えば今朝も手を使わず両足ジャンプでズボン履いてみせますとかあったな…。

んで、ある意味予想通りな展開に、思わず口から出かかった「普通にフォークで食べれば良いものを」というコトバを飲み込んだ。食べにくそうだが実験に満足げな様子を見ながら、逆に『スゴイじゃんカイージ」と褒めてやった。

写真は姉の残したカルピスと自分のドリンクであるりんごジュースを同時に飲んで『カルピスリンゴ』を口の中で生成する実験である。結果は良好であったようだ。他にも無駄に早食いとか、変な姿勢で食べるとか、次から次へとネタは尽きない。

いずれの行いも、上の娘には見られなかった習性である。何かを試して見たかったり、ギリギリに挑戦してみたり、新しいアプローチで取り組んでみたり。思い起こせば自分も確かこんな風だった気がする。そしてやっていることは今も変わらない。それなのに、気が付けばフツーの行いに矯正せんとする所謂オトナの小言を言っている自分に出くわしてハッとするのである。

何事も、やってみなきゃわからない。
息子カイージの「チャレンジ」を応援することは、自らの心情を肯定することだと思い至ったミスドランチなのである。

2017年8月21日月曜日

よく晴れた朝の

それはよく晴れた気持ちのよい朝だった。

新宿御苑脇の歩道を軽快に歩いていると、かなり大型の緑色したイモムシに出くわした。
よしコイツをインスタにあげてやろうと思い、何枚か接写で撮影し、道路脇のガードレールによりかかりながら吟味してアップロードした。

ちょうどアップが終わるころ、結構なスピードで自転車がやってきて、イモムシの身体の3分の1くらいを轢いてそのまま去っていった。運転者は全く気がついていない風だった。中途半端に一部を圧迫され失ったイモムシは、ものすごい勢いでのたうち回り、痛みを表現した。

まさに断末魔の叫びと言うべき惨状を、真横で目の当たりにした僕は、自分が撮影などせずに街路樹の根本に移動させてやれば良かったのではという自責の念にかられ、しばらくその場を動けなかった。だがその一方で、ひと思いにトドメをさしてやることもできなかった。そのイモムシは介錯するには存在がデカすぎた。

のたうち回る彼を見るでもなく、立ち去るでもなく、禍々しい事件の目撃者として、僕はその場に立ち尽くすことしかできなかった。


その2時間後、僕はJRで田町の駅を降り、第一京浜を徒歩で南下し客先のビルを目指し歩いていた。しばらくすると前方に50代と思しき男性と、その母親といったふたり連れが歩いていた。ふたりともラフな格好で、おばあちゃんの方は使い慣れた様子のリュックサックを背負って、息子氏のあとを追うように歩いていた。

ふと見やるとその女性のリュックから、紐でぶら下がったパスケース的な入れ物が出てしまっており、地面に引き摺られるようにして気付かず歩いている。僕は後ろから女性を呼び止めて、引き摺ってますよ、と声をかけた。

すると女性は恥ずかしそうにそれでも大きな声で、「あらすみません、私ったらいつもやってしまって・・・」という風に答えた。僕はいえいえと言いつつ軽く会釈し、二人を追い抜き歩き続けた。

すると僕の背後から、「またやったのか母さん、だからいつも言っているじゃないか!」といった口調で自分の母を厳しく叱責する息子氏の声が耳に入ってきた。傍から見ると全くもってたいしたチョンボでもないわけだが、肉親で距離が近すぎるために起こる例のヤツだと察しがついた。



イモムシの件は、もし僕がガードレール脇に居なければ、自転車のルートは変わっていたかもしれず、彼は一命をとりとめたかもしれない。そして無事羽化出来たかもしれなかった。そもそも写真など撮らずに紙か何かで路傍によけてあげるべきだったのかもしれない。

おばあちゃんのパスケースの件は、僕が何も言わなければ彼女が自分で気づいて収納出来、息子氏からの叱責を免れたかもしれなかった。

良かれと思ってしたことがことごとく最悪の結果を招いたその日、皮肉にも空はよく晴れ、一点の曇りもなかった。妙な禍々しさを畏れて、僕はその日このことを誰にも話せなかったし、インスタのアップも削除できなかった。

2017年8月20日日曜日

帰国と転職 2017

4年生活したサンパウロから帰国した後、19年勤務した会社を退職した。
そして週末を挟んで、IT企業に転職をした。
いま、転職後ちょうど一月が経過した。
この日にブログサブタイトルを変えることにした。

古巣・兼松株式会社には感謝の気持ちしかなく、あの19年で得られたものは間違いなくボクの根幹を成すものだ。思い返すと新卒時代のボクは社会人というのものが何一つわかっておらず、そこに様々なエッセンスを注入してくれたのが兼松であった。

兼松での日々は営業をボクのベースに叩き込んでくれ、日本人との交渉、外国人との交渉を経験させてくれ、最後にサンパウロ駐在という経験もさせてくれた。社内には大きなネットワークが出来上がって、いろんな部門の人が応援してくれた。だから感謝しかない。

でもそこを飛び出す決断をした。ちょうど40歳。
転職の理由を多くの人に聞かれ、都度答えては来たけれど、誰との会話でも納得感の行く感じは得られなかった。

大部分の人は、ボクが古巣で培ったものを「投げ打って」別の業界に行き、「わざわざしなくても良い苦労」をしにいく様に映った様だった。人材の流動性が高まった昨今だとは言え、やはり日本人の持つ転職像は少なからずnegativeなものであるんだというのが、それらの問答を通して透けて見えた。

でもボクはボクなりの「ムンド・ノーヴォ」を探しに出かけることにした。
自分自身の脱皮のために、そしてそれは翻って子供たちのために。。。
この決断が正しいかどうかは誰にも分からないし、そもそも答えなんてものも、元よりないのだと思ってる。だからこそその軌跡を、ここに留めていきたい。

というわけで、始まります。
自ら探しに出かけるムンド・ノーヴォ、第二章。
断酒、帰国、転職、朝ジム通いと、我ながら大きく変わってる、この2017年です。

初代ブログタイトル命名文

2017年8月に変更する前の、初代ブログタイトルにまつわる文章をここに格納。

===

To see a new world, we try.
To see a new world, we explore.
To see a new world, we never give up.
We try and try...
Maybe it’s because we want to see a new world.
Let try together.
Let's go and see a new world.

という、CMの一節に共感して、このブログタイトルを付けました。サンパウロに初駐在する自分の気持ちを、ここに書き残していきたいと思います。

===

2017年6月24日土曜日

我らが名店Tio Chico

フランシスコとお別れをした。

名店Tio Chicoのオーナーである。
この店、置いてあるメニュー自体と質素な店舗は他のランショネッチとまるで変わらないのだが、料理の質が、まるで高級店のそれなのだ。
だから足しげく通った。
今日がサンパウロ最後のTio Chicoランチだ。
アツく握手を交わし、メールアドレスを交換。
お互いの前途をたたえ合った。

もういちど、この店のお料理の数々を振り返ってみよう。
フェイジョアーダ・メイン皿 水曜日
フェイジョアーダ・副菜 水曜日

ハバーダ・近 火曜日

ハバーダ・遠 火曜日

バカリャウ 金曜日

バカリャウ 金曜日
フランシスコとTio Chicoが地域に永く愛されることを祈りつつ。

Tio Cico
Alameda Santos 1478, Jd. Paulista, SP
TEL 11-3284-7257


2017年6月19日月曜日

ブラジルでサイフをなくしたら???



一昨日GOL航空という国内線で移動していたときのこと。

国内線専用のコンゴーニャス空港は、世界的にも滑走路が短いことで有名らしく、着陸した直後のブレーキの衝撃がとても強い。

で、その便が着陸した瞬間、私は読んでいた小説と小さなカバンを隣の空いた席に置いてまどろんでいた。逆噴射で制動がかかり、文庫本とファスナーの空いた状態のカバンが落下した。文庫が逆さになり、しおりが放り出てしまったので、慌てて読んでいた場所を探して元に戻した。カバンはファスナーが空いていたことにその時気付き、その場に落ちているものがない事を確認して降機した。このとき、カバンより文庫に気を取られていたのは確かだ。

タクシーで自宅についてはたとサイフが無くなっていることに気が付いた。タクシー代は偶然ポケットに入っていた小銭で決済出来たものの、はて財布はどこへ行ったかと思いを巡らせば例のあの瞬間しかないことに気が付いた。

中身は、現金こそ1万円弱と少額であったが、ブラジルの運転免許証、会社クレジットカード、個人クレジットカード、銀行キャッシュ&デビットカード、行きの飛行機でe-mail交換を固く約束した日本通のブラジル人男性の名刺、などなどゴッソリだ。あと2週間のブラジル生活を、利用停止、再発行、役所、交通警察などに費やすのかと思うと絶望的な気持ちになった。だいいち、これから予定されている引継ぎ出張に支障をきたす。

すでに夜22:15であったが、慌ててマイカーに乗り、自宅から空港に取って返した。Lost & FoundAchadas e Perdidas)に行けば、その件はLost BagguegeBagagem Extraviada)のカウンターへ行けと。ナルホド確かにそうだなとGOL航空のそこへ向かう。

そのカウンターにはお姉さんが二人居て、後にお名前がわかるのだがサブリナとジャネッチさんといった。用件を伝えると、まずは機体がどこにあるのか、現場に確認入れますねということでトランシーバーの向こうとやりとりしだした。待つこと10分ほどだろうか、トランシーバー氏は無情にも『すでにメンテナンスの場所に入っているから、今日は機体へのアクセスは無理だ』との回答を寄越した。

・・・想像はしていたが、絶望が襲う。サブリナさんが明日朝5時から空いているから、またこの場に来てくれたら進捗確認できるわと、電話番号と機体番号を教えてくれる。あなたの名前は?と聞いてサブリナとカタカナでメモしていると、『わ、それ私の名前を日本語で書いてるの?カワイイ』と喜んでいたので、漢字でも書いて差し上げた。となりのジャネッチさんにも同様に。諦めが悪いけどなんだかすぐにはその場を離れたくなくて、そんな時間つぶしみたいなことをしていた。

すると先ほどのトランシーバー氏から連絡が入り、『・・・さっきの財布だけどさ、やっぱちょっとオレ自分で見に行ってくるよ、お客さん待てるんかな?』という声が聞こえる。ジャネッチさんも答えて、『お客さん待てるっていうから、それじゃ行って来て。席番は26Fよ』とのことで、一縷の望みがつながったではないか。聞けば、そのトランシーバー氏といる場所から格納庫までは、歩くにはだいぶ距離があるのだという。そんな面倒くさいことを、親身になって対応してくれると言うのか!!!なんて素晴らしい人達なんだ。

待つこと20分ほどしただろうか、『タラーン、お探しのものはこれですか?』と細身の男性が現れ、その手にはなくしたサイフが!!!ビンゴー!!!!!!!!!!それですそれです!!!!涙涙、感涙そして涙。。。

お礼を申し述べ、男性とお二人の女性とお別れをしてからはたと気が付いた。男性のお名前を聞くのを忘れてしまった。今回の件は、多分に3名のチーム員のGood Willと裁量によるところがとても大きい。女性のお二人は漢字名を考案したこともあって忘れないが、男性のお名前を聞くのを忘れてしまった。これではGOL航空の経営陣にお礼が書けないではないか。

外国でこの様な目に遭った方なら、上に起こった出来事がいかに貴重なものか、おわかりになるはずだ。奇跡に近い。いや、奇跡だ。落として気が付かなかったお前が抜けてる?たしかに()。ま、そうだったとしても、ここはGOL航空ロストバゲージの職員のチャーミングな御三方の働きに感謝するとともに、この素晴らしいエピソードをポルトガル語にし、ブラジル人の友人にシェアしてGOL航空の経営陣の耳に届くようにしたい。

え?ブラジルでサイフを無くしたら・・・?大丈夫、きっと出て来ますよ!!!

2017年5月16日火曜日

青空市「フェイラ」完全攻略ガイド

サンパウロの住宅街には、市営の青空市「フェイラ」が立つ。
これが頗る良くて、日本人駐在員の胃袋を満たしている。

運転免許、床屋、病院とこれまでいくつかのガイドコラムを残してきたが、恐らく最後となる今回、フェイラ完全ガイドを記したい。

サンパウロ市内のほぼ全てのエリアで、○○通りでは毎週日曜日に、△△通りでは毎週水曜日にという風に、曜日ごとに市が立つ場所が決められている。述べ500700mにわたって道路を封鎖し、青果・八百屋・魚屋・肉屋・卵屋、という様に屋台が軒を連ねる。市営であるからして登録制であり、また昼過ぎて終了する頃には市のスタッフである清掃者も現れるという決まりだ。

ちなみに道路は封鎖されるが、住人の車両は出入りできる様、配慮されている。だが不便であることに変わりはなく、恐らく日本では大クレームになる迷惑レベルだがそこはブラジル、寛容なのである。 

201759日現在、市内でも871軒の公設フェイラが認められている。日曜日だけでも下記マップの様に、市内に186軒のフェイラが立つという。


このフェイラ、値段はやや高いが品質は一般スーパーより確かということで、その需要は高い。一般に、ブラジルの大手スーパーは、おしなべて生鮮品の質が高くない(あくまで一般論で、勿論個体差はある)。このフェイラなら、売り子とface to faceで対話しながら選べるし、もし品物に瑕疵があれば、翌週同じ売り子が立っているのでクレームを付けることも出来るという利点もある。この辺りの事情は一般スーパーの競争が激しく質も高い日本とは大きく違う点と言えるだろう。



今回は、筆者がこれまで大変お世話になったパライゾ区金曜日のフェイラ『ALCINO BRAGA』を紹介する。


◆鶏卵◆
まずは、生卵シスターズだ。
 子供のいる家庭にとって、卵かけご飯ほど便利なものはない。というわけでサルモネラ菌を気にせず(・・・少なくとも我が家では一度も問題が無かった)に食べられる生卵、”Ovo caipira”を売ってくれるありがたい存在である。 二人とも日本語が出来る。

◆玉ねぎとにんにく◆
次に玉ねぎとニンニクであればこの人。
 実直な性格で、嘘が無い。例えば日本人好みの形の良い玉ねぎを5つほしければ、”Cinco graúdo(グラウード)”といえば見繕って袋に入れてくれるので楽だ。その時に手元を見ていなくても、ズルをしたりしないのも好感が持てる。


◆じゃがいも◆

ジャガイモはこの人。

学校がお休みになるとヤケに色っぽい娘さんもお店を手伝う。カレーなら白、フライドポテトなら赤を使う。


◆肉◆

次にお肉、ルイーズ一味の登場である。

向かって右手の白い服のお兄さんは、きまって「ボンジーア、サン!」と言う。

推測するに、Good morning, Sir! の意味で「○○さん」のサンを使っているのだと思われる。


日本語ではそういう使い方をしない訳だが、イチイチそれを訂正するのもヤボだし、ものすごく気の良い人なんで、そのまま聞き流している。第一いままで使い続けているということは、一度も駐在員の人達が修正しなかったわけだから、そこに冷や水を浴びせるような所業は尚のことゲスである。
カフェジーニョをくれるのも、買い物に一息いれるのに良い。


◆魚◆
お次はお魚、一番端まで歩いた日系人だらけのスタッフが並ぶココがお勧め。

日本語が通じるのでみなさん日本語で買い物している。そのとき旬のものや、どのように料理したらよいのかなどを教えてくれる様は、まるで日本と変わらない。サバ(cavalinha)は季節を選ぶため、あるときに買う。イカはビックリするほど高いが、そんなもんである。



尚、肉も魚もオーダー次第で骨や皮を取り除いてくれる。

骨はオッソ、皮はペリである。「取り除く」には動詞Tirar(チラール)を使う。
魚を三枚におろしてもらいたい場合、filé de xxx とオーダーする。ま、勿論 『サンマイ』で通じるわけだがw


◆野菜◆
葉もの野菜は、このマルコである。
ここでは白菜、青梗菜、大根、枝豆などを買う。この店には人参とかぼちゃが無いのでここで野菜全部ひと揃えとはいかないのが残念だが、マルコの葉モノは概ね品質が良い。

◆軽食スタンド◆
さすがはこの国の野菜・果実・鶏卵栽培に多くの功績をもたらした日系人(日系人が来る前まで、この国にはトウモロコシ、ジャガイモ、フェジョン豆栽培があったくらいで、野菜栽培はこの国の文化に無かった!)、どのフェイラでも数多くの日系人を見かける。その文化の延長線上にあると思われるのが、決まってフェイラの端っこに位置する軽食スタンド(カウドジカーナとパステウ屋)であり、これらも日系人の手になるものが多い。
筆者がブラジルで最も好きなドリンク、『カウド・ジ・カーナ』サトウキビジュース。
ご夫婦の背後にあるごぼうの様なものがさとうきび。これを機械で絞ったものにフルーツジュースを混ぜて飲む。フルーツは客が選ぶわけだが、ここではリモンをオススメする。(リモンは日本で言うところのライムで、ブラジルではあの緑のヤツをリモンと称する。ちなみに黄色いヤツはリモン・シシリアーノだ)

搾りたてのサトウキビのまろやかな甘さとリモンの爽やかな酸味が絶妙のバランスを醸し出し、一日のスタートに最も相応しい100%天然ドリンクなのである。これほど贅沢で滋味に富むドリンクが、かくも身近に存在する素晴らしさ、これぞまさにブラジルの豊かさの象徴である。

こちらはパステウ。ブラジル人の国民食。
ひき肉、チーズ、ソーセージなどの様々な具在をパイ生地で包んで揚げたもの。
大きさは10cm x 20cmくらいだ。
ブラジル人はとにかくパステウが大好きだ。
気軽にパクついている感じは、日本で言うとたこ焼きを屋台で食う感覚に似ていると言えるだろうか。
 
パステウはフェイラのスタンドでパクつくものと決まっている。
そしてそのパステウスタンドは日本人経営でないと、美味くないと相場が決まっているのだ。

◆むすび◆
書いているうちに涙が出そうだ。
つい先日まで日常だったものが、この先恐らくは二度と繰り返すことの無いものに変わるのだと思うと、この写真に出てきた人たちと交わした何気ないやりとりのすべてが愛おしく感じてしまう。

サンパウロ日本人駐在員の生活は、本当にこのフェイラに助けられている。ここでも改めて、先達の日本人移民の苦労に感謝しなければならないと心底思う。

そして最後に、このガイド4部作(運転免許床屋病院、フェイラ)が、駐在を命ぜられて慌てているご夫婦や、赴任直後のご家族の、幾ばくかの心の慰めになればと切に願って止まない。大丈夫ですよ、サンパウロはとても良いところですよ、と伝えたい。
 (シェア大歓迎です)




2017年5月12日金曜日

お礼


3年半前に高速道路で痙攣していた息子を空の救急車で通りかかって拾ってくれた救命士の方に、今日挨拶に行ってきました。本帰国が決まったら一度ご挨拶に行こうと、かねてから決めていたのでした。

(息子のいきさつはこちら



彼は、『こうしたフィードバックをくれる人は数少ないので、もちろん見返りを期待して毎日仕事をしている訳では決してありませんが、いまあの子が健康だと聞くのは、何よりの喜びです』と物静かに語ってくれました。

あの日は動揺していたのでろくに話す時間もありませんでしたし、なにしろポルトガル語も低レベルだったので、今回初めてこの方のお人柄に触れることが出来ました。あの時通りがかったのがこのKleberさんで本当に良かった。

これで心置きなく帰国できそうです。

2017年3月14日火曜日

ブラジルコーヒーのお土産を

買いたいのですけど何が良いですかねぇ、と相談を受けることがままある。
相手は僕がブラジルでコーヒー関連の仕事をしていると知ってのことである。
これに対して相手が期待する返答をするのは、本当に難しい。

質問者が期待しているのは、
「スーパーで売っている○○というブランドが良いですよ」
「あそこの通りの△△というカフェで挽き売りしているのがお土産に最適です」
というような簡単な答えのはずだ。

でも話はそんなに簡単じゃない。なのでコーヒーついて少し立ち入った説明をする必要が出てくるするときまって相手方は、「聞いてはいるが腑に落ちない感満載」の顔になる。これは両者にとって大いなるストレスだ。

なぜ簡単じゃないかを語るには、そもそも良いコーヒーとは?についてひも解かなければならないだろう。この回ではこれからブラジルに駐在する人やそのご家族が、誰でも簡単にわかるような平易な言葉でまとめてみたい(平易なコトバであるから、多くの説明を端折っていることは、同時にご理解頂きたい)。

1. 良いコーヒーとは?
コーヒーは嗜好品であるからして、『あなたの好きなコーヒーが良いコーヒーです』というのが答えだ。でも土産物を選ぶ時には、物差しを持つのは購入者であるアナタではなくて、贈る相手になる。そこに今回の探し物のむずかしさがある。

話を分かりやすくするために、今回の良いコーヒーの定義を『世間一般の平均チョイ上の嗜好を持つニホンジンに、広く受けるブラジルならではのコーヒー』と設定し、これからの解説を進めていくことにする。

2. 世界最大のコーヒー生産国であり二番手の消費国であるブラジル
ブラジルは世界最大のコーヒー生産国であるというのはわりと広く知られている。で、そのブラジル産コーヒーの品質的なポジショニングはと言えば、中庸でそこそこなレベルで、国際的な取引価格は、相対的に安い*。農地が大規模で生産効率が良いからだ。


*勿論例外もあり、ブラジルでも世界最高級のコーヒーを生産する農家も出てきている

大量に農作物を作れば、そりゃスソモノも出てくる。ブラジルのコーヒー消費が多いのは、キズモノや曰くつきの作物を自国で飲まなきゃいけないから、宿命として増えたのだ。その発明品が、「カフェジーニョ」(『カフェ・コムン』とも)として知られる飲み方。欠けマメや不良マメなどをかき集めた素材の持つ悪い味が消えるように深く濃く焙煎し、さらに抽出効率が良くなるように細かく粉砕、布フィルターで大量に抽出して予め砂糖を大量に投入したもの、これがブラジルの伝統的な飲み方だ。液体は濃いので多くは飲めない。なのでブラジルのコーヒーカップ(シーカラ)は小さいのだ。

というわけでブラジルのスーパーで売られている廉価コーヒーブランドの大部分は、こうした伝統的飲み方用に設計されている為、日本人の舌には合わず、今回の探し物にはマッチしない。

3. エスプレッソとドリップコーヒー
『ブラジルのコーヒーは濃いよね、あれってエスプレッソってこと?』というのも良く聞かれる質問である。もしそれがカフェジーニョを指しての質問であったなら、答えはNoである。

ドリップコーヒーとは、日本人がよく慣れ親しんでいる、紙フィルター(布もアリ)にコーヒーを入れて、上からお湯を注いで重力に任せてお湯の落下を待つ抽出方法を指す。

エスプレッソとは、金属フィルターに粉を閉じ込めて機械にセット、マシンの作り出す蒸気圧力によって無理矢理パワープレイでお湯をコーヒーに通過させ、抽出したものである。

冒頭の問いに対する答えがNoだったのは、ブラジルの伝統的カフェジーニョは布フィルター抽出によるドリップコーヒーだからである。

4. ブラジルにおけるエスプレッソ文化の進展
ここからがややこしくなるのだが、ブラジルでは今、エスプレッソが大いに進展している。レストランでは、カフェジーニョなら金はとらないが、エスプレッソなら金を取るという形態がほとんどだ。また、Nestle社のカプセルコーヒー製品Nespressoはブラジルで大成功している。

もともとカフェジーニョで味が濃く量の少ないコーヒーの飲み方に慣れたブラジル人が、経済的にある程度発展して次により良いコーヒーを探すとなった時にちょうど良い存在だったのがエスプレッソであったという訳だ。エスプレッソ文化を発明したのはイタリア人だが、ブラジルのイタリア移民と言えば最大派閥であるのでそれも後押しした。

であるからして、ブラジルで巷に広く見かけるコーヒー製品は、安いものはカフェジーニョ向け、高いものはエスプレッソ向けに商品設計されているケースが多いのだ。日本人はエスプレッソにまだまだなじみが薄いので、ブラジルにおけるコーヒー製品の上流・下流ともに、遍くニホンジンに受ける土産物としては最適でないということが言えるのだ。

5. 世界基準でのものづくり
ではどうすればよいか?
ブラジルのコーヒー農園で、米国市場や日本市場、その他広く海外の市場のニーズを理解しているところの作る製品を選べばよいということになる。こうしたところは、紙フィルターを使ったドリップコーヒー向けのコーヒーもラインナップとして持っていたりするのだ。

例えばDaterraというミナスジェライス州にあるコーヒー農園とサンパウロ州のコーヒーメーカーが協業して作っているこの商品。
https://www.nossacasacafe.com.br/cafe-sweet-collection


↑Nossa Casa Cafe社通販サイトの商品ページ

 














 



焙煎は適度に浅く日本人好み。
日本人が親しんだフィルタードリップに適した粉砕なら「French Press」を選択すれば良いし、ご自宅にコーヒーミルをお持ちの方向けには「Grão」つまり豆のままを選択。
250gパッケージに入ってサイズ感もお手頃と来ている。
通販でしか買えず、かつオーダーを受けてから焙煎するので、1週間~10日の余裕を持ちたいものである。

ふぅ。
これからサンパウロでコーヒー土産に関する質問を受けたら、このページを見て下さいと答えることができるゼ。

2017年2月25日土曜日

ブラジルで病院に行く


異国の地で病院にかかるのは不安なものです。
私達家族も、通院、入院、手術、検査等に何度もかかり、その都度大変な神経を使いました。
なので、これまで4年弱の経験をハウツーに纏めてみました。
単語帳としても機能する様に書きました。
これから駐在生活を始める方々の不安軽減に少しでも寄与すれば幸いです。

ここではHospital Sírio-Libanêsの例を紹介します。







同病院の救急外来窓口この国でPronto Socorroプロント・ソコーホ』と言います)入口の住所は、
Rua Barata Ribeiro, 387, piso 1 - Bela Vista São Paulo (SP) CEP 01308-050.
であり、病院自体の正門入口とは住所が違いますので注意が必要です。

正門からもPronto Socorroには辿りつけますが、病院内の迷路のような廊下とエレベータを使わなければならないので、最初から直接Pronto Socorroに行かれることをお勧めします。

1. 総合病院の救急窓口(Pronto Socorroと書いてある)へ行く

2. 正面のRecepção(受付)でNREを見せ、Senha(番号札)を受け取る

3.上記が終わって待合で待っていると、別のパネルに同じSenhaが表示される。今度は受付向かって左手にあるPronto Atendimento①もしくは②の部屋に入る(病院によってはTriagemと書かれていることもある。ここでは、重症度によって患者の緊急度合いに優先順位を付け以降の流れを振り分ける目的で、看護師による事前スクリーニングが以下の点について行われる。

・今の症状を聞かれる
 いつから症状は発生しているか、現在薬は服用しているか、など
(熱Febre、傷みdor、痙攣convulsão、咳tosse、腹痛dor de barriga、頭痛dor de
 cabeça、吐き気nausea、嘔吐vomito、骨折したquebrou、転んだcaiu、打った
bateu)

 日本から持って来たバファリンを服用している場合、一般名である「パラセタモル」と答える。
 なお、この国の解熱鎮痛剤ではNovaginaなどの「dipirona」系がメジャー。
 
・体温を測る
・指先にクリップを挟んで脈拍を計る
・血圧を測る
・既往歴を聞かれる
・痛みのレベルで言うと1~10(10が最も強い)のどれにあたるかと聞かれる(遠慮しないでここでは8~9くらいに答えて構わない。これによって何かが大きく変わることは残念ながらあまりないのだけれども。)
・かかりつけの医師はサンパウロに居るか?と聞かれる
・待合で待てと言われる

4. パネルでSenhaが表示されたら、向かって右手のcadastro(登録)へ行く
ここでは全てのプロセスのスタートとなる初期登録を行う。
聞かれる内容は以下の通り

・住所、電話番号、CPF、RNEなどの基本情報
・Convenio Médico(医療保険)はと聞かれるので、ブラジル国内の医療保険があるならそれを伝える。そうではなく一旦立替払いで後日日本の保険会社に請求するというケースでは(Particular=パチクラウ)と答える。このプロセスは病院側の財政管理上とても大切である為、重視される。
※ちなみにSírio Libanês病院はクレジットカードが使えます
・同意書にサインさせられる。数か所。
・患者の腕にIDとなる紙ベルトが巻かれる
(次は名前で呼ぶからと登録作業をしたのと同じ空間で待て言われSenhaはこれ以降使わない
・一番奥に子供を遊ばせることの出来るスペースがあるので親が病気で子供は元気などというときには大いに役に立つ。しかしながら塗り絵程度のものしかないので、家からおもちゃを持参すると尚良い。

5. 名前で呼ばれ、診察室に入ると医師が待っている。
ここで気を付けたいのは、上記Pronto Atendimentoの部屋で看護師に伝えた今の症状などは、いっさい共有されていないということ。なので、全く同じ質問が2度繰り返されることになるが、イライラしないで同じ受け答えをしよう。

・けが          ferimento
・炎症          inflamação
・腫れ          inchação
・腎臓結石    pedra nos rins
・盲腸          apendicite
・結膜炎       conjuntivite

・医師     médico(女性ならmédica
・看護師       infermero(女性ならinfermera
・超音波   ultrason
・レントゲン   raio-x (ハイオ・シースと読む)
・CT-Scan   tomografia
・MRI           resonância magnética

6. 検査や点滴などをしてもらう場合には、別の部屋に移動するよう、指示される。ここでも結構な待ち時間がある。

・点滴          soro(soroには生理食塩水という意味もあるが、略式用法として点滴としても使われる)
・抗生物質      antibiótico

 ※点滴の際、空調が効いているので寒くなる。毛布はcobertor。
 ※個室の電気をつけるか消すかと聞かれることもある。つけるacsender、消すapagar。

7. 薬が必要な場合、医師が処方箋を書いてくれる(いまどきなんと手書き!)ので、それを外部の民間の薬局で購入する。抗生物質がある場合、処方箋は2枚必要で、一枚には受け取り手の詳細が記載され、薬局保管となる。身分証明書の提示も必要。

・錠               comprimido
・滴               gota

※こちらの抗生物質で面白いのは、粉が空のボトル(frasco)の中に入っているだけというのがある。それに一定量の水を自分でくわえて水溶液を作り、それを都度振りながら必要量出して飲んで行くというなんとも変わったものなのである。また、そもそも日本の様に調剤薬局というような場所は無いので、基本的には市販の医薬品を箱ごと買い、飲みきらなかったら捨てる、というような形式です。

※小児の医薬品は液体のものが多く、医薬品の箱の中に付属の注射器型のスポイトで吸い上げて口に投与するという形である。

※濃縮型の液体医薬品(solução oral)だと、体重1520kgの小児は15滴、60kg以上の大人は50滴、などと言う様に、少量の水に溶かす際に自分でポトポト落ちる液体を数えていなければならないものもある。

8. 再診 (retorno)
その日救急に詰めていた医師が再診を求めることは無く、基本的に救急外来は救急外来であくまで緊急措置だけを行うところだと。根底には人々はかかりつけ医に月金の営業時間内にかかるべきものという一般通念があります。

ただし手術などした場合には、さすがに経過観察の為の再診が必要となり、その場合当直の医師個人のクリニックに出向かなければならない。

ここでブラジルの病院経営形態について説明しなければならないのだが、医師はみなアウトソーシングである。病院勤務医は居らず、みな外部から契約の形でその場に詰めている。であるからして、再診の場は医師の個人クリニックなのである。

もともと医師の指示によりじゃぁ2週間後に予約電話してからココに来てねと言われ、電話でアポを取り、再訪するも、医師が「えーと、なんだっけ?」みたいなところから始まって、2週間前にSirio Libanes病院で手術してもらった○○で、再診ですみたいな説明を自分からしなければならず、挙句の果てには「ま、あとはかかりつけのドクターとよろしくやってね」みたいなことを言われる始末。受診料もしっかりお取りになります。

9. 病院名
今回例示のSírio Libanêsに加えて同じように一通りの診療科のラインナップが期待できる病院は以下の通りです
・Hospital Alemão Oswaldo Cruz (Rua Treze de Maio, 1.815 - Bela Vista, São Paulo)
Hospital Santa Cruz (R. Santa Cruz, 398 - Vila Mariana, São Paulo)・・・日本語可能
Hospital Nipo Brazileiro (R. Pistóia, 100 - Parque Novo Mundo, São Paulo)・・・市中から遠いがENKYOの本部である。土日はローカルの住民でごった返している。

10. 費用
最後に決済して帰ります。営業時間内だと会計部門(caixa)が空いていますが、そうでない場合は後日e-mailもしくは郵送で請求書(boleto)扱いとなることもあります。この点は病院によりマチマチです 
Sírio Libanêsクラスの病院だと、手術して個室に一泊すると百万円単位の請求が来るので、支払いがParticularの人はクレジットカードの限度額設定に余裕を持ちたいところです

11. 時間軸
わりとかかります。
たとえば副鼻腔炎でPronto Socorroにかかった場合、診察して血液を採って薬品を注射してCT撮って結果待って最後の診察して、というプロセス。この場合空いている平日で、正午に行って全て終わるのが19時といった時間軸です。

しかし他のクリニックに行くよりは大分ましです。というのも、Hospital Sírio Libanêsレベルだと自らの病院内に全ての検査機器が整っているからです。クリニックだと医師が診察して、はい、この検査はあのラボで、結果出たら後日それをもってまた来てください、となるので。それよりは大いに早い。ただし費用が高いというtrade offになっている訳です。

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