2017年8月27日日曜日

オトコの習性と、オトナの視点

今日土曜日のランチはミスドである。
いつも感心するのだが、ここの商品群はホントに強い。

女性にはドーナツとカフェメニュー、男性にはお代わり無料のコーヒー、子供には無敵フードであるラーメンがある。このラーメン、元々無敵な上に味付けが極めてプレーンという念の入れようで、オールマイティ感がハンパないのである。あれがダメな子供はまずいないだろう。と言うわけで、子供連れファミリー向け最強コンテンツを擁するこのチェーンは、数年前にコンビニがこぞって仕掛けたドーナツ戦争にもビクともせず、寧ろ返り討ちにしてみせたという、ツワモノなのである。

そんな場所で出くわした、オトコの習性。
我が息子カイージ(4歳)が教えてくれたものである。

こちらはラーメンについているプラスチックのフォークと、ドーナツポップについている小さなプラスチックのクロモジ的なピックである。息子は、ラーメンを食べるために、迷わず短いピックの方を選択。これで試してみたいという訳だ。こういう意味不明なチャレンジは、小さい男のコをお持ちの親御さんにはあるあるだと思う。そう言えば今朝も手を使わず両足ジャンプでズボン履いてみせますとかあったな…。

んで、ある意味予想通りな展開に、思わず口から出かかった「普通にフォークで食べれば良いものを」というコトバを飲み込んだ。食べにくそうだが実験に満足げな様子を見ながら、逆に『スゴイじゃんカイージ」と褒めてやった。

写真は姉の残したカルピスと自分のドリンクであるりんごジュースを同時に飲んで『カルピスリンゴ』を口の中で生成する実験である。結果は良好であったようだ。他にも無駄に早食いとか、変な姿勢で食べるとか、次から次へとネタは尽きない。

いずれの行いも、上の娘には見られなかった習性である。何かを試して見たかったり、ギリギリに挑戦してみたり、新しいアプローチで取り組んでみたり。思い起こせば自分も確かこんな風だった気がする。そしてやっていることは今も変わらない。それなのに、気が付けばフツーの行いに矯正せんとする所謂オトナの小言を言っている自分に出くわしてハッとするのである。

何事も、やってみなきゃわからない。
息子カイージの「チャレンジ」を応援することは、自らの心情を肯定することだと思い至ったミスドランチなのである。

2017年8月21日月曜日

よく晴れた朝の

それはよく晴れた気持ちのよい朝だった。

新宿御苑脇の歩道を軽快に歩いていると、かなり大型の緑色したイモムシに出くわした。
よしコイツをインスタにあげてやろうと思い、何枚か接写で撮影し、道路脇のガードレールによりかかりながら吟味してアップロードした。

ちょうどアップが終わるころ、結構なスピードで自転車がやってきて、イモムシの身体の3分の1くらいを轢いてそのまま去っていった。運転者は全く気がついていない風だった。中途半端に一部を圧迫され失ったイモムシは、ものすごい勢いでのたうち回り、痛みを表現した。

まさに断末魔の叫びと言うべき惨状を、真横で目の当たりにした僕は、自分が撮影などせずに街路樹の根本に移動させてやれば良かったのではという自責の念にかられ、しばらくその場を動けなかった。だがその一方で、ひと思いにトドメをさしてやることもできなかった。そのイモムシは介錯するには存在がデカすぎた。

のたうち回る彼を見るでもなく、立ち去るでもなく、禍々しい事件の目撃者として、僕はその場に立ち尽くすことしかできなかった。


その2時間後、僕はJRで田町の駅を降り、第一京浜を徒歩で南下し客先のビルを目指し歩いていた。しばらくすると前方に50代と思しき男性と、その母親といったふたり連れが歩いていた。ふたりともラフな格好で、おばあちゃんの方は使い慣れた様子のリュックサックを背負って、息子氏のあとを追うように歩いていた。

ふと見やるとその女性のリュックから、紐でぶら下がったパスケース的な入れ物が出てしまっており、地面に引き摺られるようにして気付かず歩いている。僕は後ろから女性を呼び止めて、引き摺ってますよ、と声をかけた。

すると女性は恥ずかしそうにそれでも大きな声で、「あらすみません、私ったらいつもやってしまって・・・」という風に答えた。僕はいえいえと言いつつ軽く会釈し、二人を追い抜き歩き続けた。

すると僕の背後から、「またやったのか母さん、だからいつも言っているじゃないか!」といった口調で自分の母を厳しく叱責する息子氏の声が耳に入ってきた。傍から見ると全くもってたいしたチョンボでもないわけだが、肉親で距離が近すぎるために起こる例のヤツだと察しがついた。



イモムシの件は、もし僕がガードレール脇に居なければ、自転車のルートは変わっていたかもしれず、彼は一命をとりとめたかもしれない。そして無事羽化出来たかもしれなかった。そもそも写真など撮らずに紙か何かで路傍によけてあげるべきだったのかもしれない。

おばあちゃんのパスケースの件は、僕が何も言わなければ彼女が自分で気づいて収納出来、息子氏からの叱責を免れたかもしれなかった。

良かれと思ってしたことがことごとく最悪の結果を招いたその日、皮肉にも空はよく晴れ、一点の曇りもなかった。妙な禍々しさを畏れて、僕はその日このことを誰にも話せなかったし、インスタのアップも削除できなかった。

2017年8月20日日曜日

帰国と転職 2017

4年生活したサンパウロから帰国した後、19年勤務した会社を退職した。
そして週末を挟んで、IT企業に転職をした。
いま、転職後ちょうど一月が経過した。
この日にブログサブタイトルを変えることにした。

古巣・兼松株式会社には感謝の気持ちしかなく、あの19年で得られたものは間違いなくボクの根幹を成すものだ。思い返すと新卒時代のボクは社会人というのものが何一つわかっておらず、そこに様々なエッセンスを注入してくれたのが兼松であった。

兼松での日々は営業をボクのベースに叩き込んでくれ、日本人との交渉、外国人との交渉を経験させてくれ、最後にサンパウロ駐在という経験もさせてくれた。社内には大きなネットワークが出来上がって、いろんな部門の人が応援してくれた。だから感謝しかない。

でもそこを飛び出す決断をした。ちょうど40歳。
転職の理由を多くの人に聞かれ、都度答えては来たけれど、誰との会話でも納得感の行く感じは得られなかった。

大部分の人は、ボクが古巣で培ったものを「投げ打って」別の業界に行き、「わざわざしなくても良い苦労」をしにいく様に映った様だった。人材の流動性が高まった昨今だとは言え、やはり日本人の持つ転職像は少なからずnegativeなものであるんだというのが、それらの問答を通して透けて見えた。

でもボクはボクなりの「ムンド・ノーヴォ」を探しに出かけることにした。
自分自身の脱皮のために、そしてそれは翻って子供たちのために。。。
この決断が正しいかどうかは誰にも分からないし、そもそも答えなんてものも、元よりないのだと思ってる。だからこそその軌跡を、ここに留めていきたい。

というわけで、始まります。
自ら探しに出かけるムンド・ノーヴォ、第二章。
断酒、帰国、転職、朝ジム通いと、我ながら大きく変わってる、この2017年です。

初代ブログタイトル命名文

2017年8月に変更する前の、初代ブログタイトルにまつわる文章をここに格納。

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To see a new world, we try.
To see a new world, we explore.
To see a new world, we never give up.
We try and try...
Maybe it’s because we want to see a new world.
Let try together.
Let's go and see a new world.

という、CMの一節に共感して、このブログタイトルを付けました。サンパウロに初駐在する自分の気持ちを、ここに書き残していきたいと思います。

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