2019年3月26日火曜日

結果は一勝一敗でした

昨日のラブコールに対するお二方の反応は対照的で、結果一勝一敗でした。さてそれぞれにおいて次のプランを考えねば。

Positiveな方は、すぐに話したいとのことで、早速WhatsApp で通話し、あらましがその場できまるという早業。こうしたありがたい姿勢に対しては、こちらからも速攻でお返ししなければなので、紙に落とし込んでポルトガル語で提示するステップを自分で41日までにと区切って回答。


いざお店が始まったら苦難の連続だと思うので、今のこの状態はとことん楽しんで進めないとね!

2019年3月25日月曜日

副社長候補とレシピ提供者候補

会社を作ったので、次はメンバー集めである。
一人は副社長候補、もう一人はレシピ提供者候補。すでにメールは送ってあって、その返答待ちである。

▪️副社長候補
この人はサンパウロ時代の友人の旦那さんで、日系3世。彼とは、僕が駐在している時に間接的な商談機会があって知り合うことになった。

初対面のその日、僕は仲介者としての立場で彼をとある顔の広い日本人に紹介したのだけれど、その面談時の彼が、強烈に印象に残っている。彼自身にとってとんでもなく不利になる発言をしたのだった。その訳を聞けば、『あそこで取り繕っても後々に説明がつかなくなるだろ?ウソはダメだ』とのことだった。

そのことをもって、彼のことを信頼するに十分だったし、その後の付き合いを通してもずっとブレない、印象通りの彼だった。ノビダージのレストラン現場を取り仕切る日系人として、彼以外の候補を思いつかないので、僕としての想いのたけを乗せて今朝オファーした。

▪️レシピ提供者候補
その彼は、サンパウロ外食業界でその名を知らぬ人はいない程の有名人で、6軒のジャンル多彩なレストランオーナーである。全てゼロから作り、星も獲得している叩き上げの人物。

その彼とは、JETROの紹介でサンパウロで会った。彼の経営するレストランのその席で初対面となった。

第一印象は、とにかく目ヂカラがハンパねぇオッサン。50代後半とのこと。

その日は僕がJETROから聞かされていたお題目である、『彼が日本向け投資に興味があって、日本での外食産業playerを俯瞰した絵図を知りたい』というものに対する、あくまで客観的な商社としてのレポートを一通り話して、その後にふと僕の夢であるポルキロレストラン構想をペラペラと語り出した時だった。

彼は突然身を乗り出して、その目ヂカラと共に、
『キミ、やってよ』
へ?

『だからさ、キミが日本で箱を作って、ポルキロをやる。その箱で僕のバールのアイデアも実現してもらう。経営者はキミ。それでいいじゃん』
いや、そんな、僕は帰国したら転職することが決まっていて、未確定なことが多すぎるからさ

『並行してやればいいじゃん』
どうやら、マジで言ってるっぽいね貴方?

『マジだよ』
…1週間考える時間をくれ。

『わかった』

というやり取りを経て、結局1週間の後に正式に断った。やはり、転職前に何かをコミットすることは出来なかった。いくら夢があっても、あらゆる事が空中殺法過ぎるだろうと。

そして、やり手風に構えた彼に対する恐怖も先に立ったという素直なところも、ある。

でも今は違う。
箱出来たし、当時の僕とは違って、今なら彼と対等に渡り合えると思う自分がいる。そして何と言っても、僕のポルキロのレシピに彼のエッセンスを入れて正統性を高めたい。

回答によっては、直ぐにブラジルに飛ぶ構えだし、二人ともNoだったら、その時は他を考えるしかない。


とにかく今は待ちである。

2019年3月23日土曜日

夢に向かって箱を作る

■会社設立とレストラン開業
今月、会社を作りました。
名前はノビダージ株式会社。Novidade Inc.
意味はポルトガル語で新しいこと、something new.
2020年6月までに都内でポルキロスタイルのブラジリアンレストランを開業したいと思います。
現業の(株)マーズフラッグ が主、ノビダージ(株)が副としてパラレルで推進して行きます。

■やること=ブラジルの風を日本に届ける
4年間のサンパウロ駐在生活を経て、私には夢が出来ました。
それが、『ブラジルの風を日本に届ける』ことを仕事にしたい、と言うものです。
この風を運んで成し遂げたいことは次の3つです。
  1. 合理的かつ能動的な食事形態(ポルキロスタイル)により、新しく自由な食事オプションをニッポンの消費者に提供する
  2. 昔の僕の様なニッポンの若き働く世代のみなさんの心身の健康を取り戻し、(僕が実現した様に)その彼らが得べかりし家族との時間を取り戻す契機を提供する
  3. 日系ブラジル人が安心して働ける雇用環境を創出する=ノビダージの従業員には日系ブラジル人を優先雇用

なぜブラジルの風を運ぶのか?
サンパウロ駐在時代の僕には、日々次から次へとイベントが起こりました。具体的には次の様なものです。

●赴任ひと月で激しく血尿が出て手術、執刀医が術後指導の中で運動習慣をはじめとした健康化を導いてくれたこと。以来、走る習慣が身についたこと。

●ポルキロスタイルが提供する野菜たっぷりの食生活が、リバウンド無しの15kgダイエットを助けてくれたこと。

●道端のポンジケージョやふとした一銭飯屋のバカリャウが、死ぬほど美味しかったりしたこと。

●サンパウロの社会全体が、我が家の0歳〜4歳及び3歳〜7歳の二人の子供の健やかなる発育を手助けしてくれたこと。

●高速道路で当時1歳の息子が気を失った時、偶然通りかかった空の救急車が助けてくれたこと。

●2013コンフェデ杯、2014W杯、2016リオ五輪と、自分が住む国でこんなにも短期間で開催されることが稀有なスポーツイベントに運良く出くわしたこと。このレアイベント達が、自分のライフタイムサイクルに俯瞰軸を与えてくれたこと。


そしてこれらに対処すること自体が、極めて自然なライフハック(=quality of lifeを高めるため自ら行う見直し活動or取り組み)になっていたのだと今となっては思います。

一方で、当時の本業であった食品原料貿易という仕事を通しては、実に商売のやりやすい環境下で思う存分に動かせてもらいましたし、達成感も得られました。

ですがそれはあくまで『今までの誰かが成した何か』に水を遣り育てることでありました。なぜ駐在事務所があったのかと言えば、会社の何代も前の先達が成した礎の上に築かれたものでありました。なぜ仕事がやりやすいかといえば、それはブラジルには親日の土台があり、100年以上かけて移民が築き上げた土台に乗っていたに過ぎません。

ブラジルの風に当たって人生を俯瞰するうちに、気がつけば、自らの力でこの社会に貢献したい、インパクトを残したい、と言う思いが頭をもたげてくるのを抑えることが出来なくなっていたのです。

日系人コミュニティに恩返しをしたい
仕事や遊びを通して知り合った多くのブラジル人には、自分の育った故郷の街には、幼少時代に同窓であった日系人子弟が何人か居たという思い出がありました。そしてその日系人『カトウ』とか『ヤマザーキ』とかは、誠実だったとかエラく勉強熱心だったというポジティブなエピソードが必ずと言って良いほど出てきたものです。

また『ジャポネス・ガランチード』(=Japonês garantido)というキャッチフレーズというかコピーみたいなコトバが多く使われていました。かつては差別的なニュアンスもあった様ですが、現代では現地ブリジストンタイヤのTVCMに『ジャパンクォリティ』を誇る象徴として使われるくらい、ポジティブな意味に変化している言葉です。入植直後はポルトガル語もろくに出来ず、生活様式も妙ちくりんな集団であったのが、嘘はつかないわ、やたらと教育熱心であり入植後二世になると医者やら弁護士やらをガシガシ輩出するわで一目置かれる母集団となり、そうして今に至る訳です。

それを座して享受するだけの人生で良いのか?恩返しするべきではないのか?と言うのが、自分の心の底から湧き出た発想です。その恩返しを実行する為に考えたのが、日伯のGapを埋める活動です。我が祖国日本とブラジルとの間には、様々な局面・観点において大きなGapがあり、それを埋めようと努力することは日系社会に恩返しとなるのではないかと確信を持つに至りました。

日伯社会に存在するギャップ
日本から遠く離れたブラジルには、治安の問題など、悪いところが取り沙汰されることが確かに多いけれど、実はそれだけじゃなく、良いところがたくさんあって、そのことを大部分の日本人は知らないと言う現実があると感じています。

例えばヒト。ヒトというか、人々が暮らす社会、とでも言うべきか。
ブラジルでは他人との関わり合いにおいて、ヒトはヒト、が通念として定着しています。
これが非常に心地良い。

向こう三軒両隣監視し合う長屋的な日本社会とは歴史も文化も違うので、一概に良し悪しを語れるものではないけれど、何か道から逸れるとLINEやネットで袋叩きに遭う的な日本社会とは対極に位置すると言えなくもない。

一方で他者に興味がないかと言えばそれは逆であって、道で困っている人の荷物はヒョイと持ち上げるし、地下鉄の席は老人や妊婦、子連れなどであれば四方八方から『ここに座れ』と声がかかるくらいです。断られたらどうしようと言う様な逡巡はそこにはなく、けれんみのないアクションがブラジル人にはある。それはブラジル人の底に流れる自己肯定に裏打ちされた揺るぎない自信という様なものがリンクしていると分析しています。

日本に暮らす日系ブラジル人子息にとっては、学校や職場で直面するこうした日伯社会のギャップが時に息苦しいものとしてのしかかるであろうこと、想像に難くありません。例えばここに、私が埋められるギャップがあると考えるのです。

■『べき論』を排除して人生を『aproveitar』する集団
僕たちノビダージは『aproveitar』これを後押ししたい。
自分たちがそうした集団になるし、我々が提供する場所ではそれを感じて欲しい。
なので私たちはそれをブラジルの風と表現します。

私たちノビダージの希求する世界観は次の通りです:
・家族最優先(これ当たり前だけどね、ニッポンでは言いにくい)
・simpático(いいヤツら)
・tranquilo(平静・こころ静かな)
・flexível (可変・常に変わる・柔軟)
・常識は退化の始まり。常識を地球の裏側から見つめ直す
・ステレオタイプに縛られない
・べき論は捨てる
・規模は追わない
・ヒトはヒト。価値観はヒトそれぞれ。自らの価値観をヒトに押し付けない
・良いものや良い仕組みを世の中に伝える

肝心の金策はこれからです。
走りながら修正していくこともあるでしょう。
ですが法人登記を終えた今日、自らこの場でこの宣言をすることで、自分に推進力を与えるつもりでこれを書きました。

(これを契機にブログに写真と名前を公開しました)