こういうのは、良いと思う。
JR戸塚駅での、横断幕である。
地域社会の振興はつまり自分達の繁栄に繋がるわけだ。青少年の健やかなる発育は、地域を挙げて讃えるべきと。
そんなことは、いわば当たり前ではあるのだけれど、果たしてフニオチしている人は、どのくらいいるのだろうか。少なくとも私は、40代前半の今くらいまで、考えとしてストンと咀嚼出来てはいなかったと思う。
◾️地域コミュニティとの関わり方
思えば私が20代・30代とコーヒーの貿易商をしていた時、生産国で大きな圃場を持つ農家ほど、いかに彼らが「地域社会=local community への貢献」をしているかについて、それはそれは誇らしげに語っていた。サステイナブル農法の概念を世界中に定着させたNPO・レインフォレストアライアンスの認証基準の中には、地域社会への貢献が必須要件として明確に定義されていた。
それほどに、地域コミュニティとの共生は、あまねくあたりまえに尊ばれるべき科目である訳だ。
たしかに世に出ている様々なプロパガンダやPR記事にも、『地域社会との関わりを大切にして』といった文言が踊っている。そうした記事が、これまでは全く目に留まらなかった私がいる。
◾️子育てを通して感じること
ところが親になり、妻実家のすぐそばに居を構える事となってはじめて、今まで字面でしか追っていなかった『地域社会の大切さ』を見に沁みて感じる様になった。
子供を育てる側になると、子育て自体が日々のハッスルになる為、外部環境のハッスル要因は出来る限り抑えられたものであってほしい、と願う気持ちが出てくる。その為、自分の家庭が根ざす地域社会は、日々平穏なものであってほしいし、それ故に地域社会に水を遣る活動を大切にするのだ、と。
また、そうした平穏な環境を保つことがいかに難しいかも、成熟した皆ならわかっている、そんな構成員で形造られる環境こそが、良いコミュニティなのだと。
◾️世代を嗣ぐコミュニティ
私は物心ついた時から、大学は故郷の外へというマインドであった。長兄の姿を見習っていただけなのかもしれないが、それは確実に刷り込まれていた。結果、大学は関東へ進学し、そのまま東京の会社に就職し現在に至る。故郷に戻ろうという発想は一切なかった。
だが、最近故郷の友人から、「今なんと、自分の息子の担任、あの時のアノ先生だよ」とかってエピソードを聞くと、ああ、それは地域コミュニティならではの安心感だなとつくづく感じるのだ。そして、自分が歳をとるにつれて、コミュニティを大切にしようと言うマインドが高まってきているのを感じる。
夏祭りとか、餅つきとか、焼き芋などといったイベントごとが頻繁にあって、毎度そこでいつもの子供達が顔を合わすと言うのは、なんとも良いものだなと思い始めている自分がいるのだ。子を持ち、そして孫を持つ過程で、このマインド変化がどんどん加速するのだろう。自分のこの先の心境の変化は想像に難くない。
◾️故郷を出ること
10代当時の自分の様な飛び出す思考の人間も、昔から地元コミュニティを大切にするマインドな人間も、どちらもアリなんだろうし、要はどちらを好むかの違いだけなんだろう。でもきっとコミュニティの発展のためにも、少ないながらも飛び出す野郎の存在は必要であって、そんな人間が外から持ち帰ってくるエッセンスでまたコミュニティが発展することもあるのだろうと思うのだ。大航海時代のポルトガルが発展した様に、維新の志士が故郷を飛び出した様に。
ディズニー映画のモアナの一族は定住してコンサバに平和に暮らしていたが、突如忍び寄る危機に対してあまりに無策だった。そんな中で変わり者のバァちゃんが導く様な形で島の若きプリンセス・モアナが島を救うために飛び出すのは、必要に駆られたとはいえ、まさに異端児的な感じなのだろう。
そして実は定住前の昔は彼らも『海の民』だったが、航海の末にやっと発見し手に入れた平穏な島暮らしを維持する為の施策として、危険と隣り合わせの航海暮らしを封印したのだ、と気付くストーリーは、組織の趨勢を描いて切ない。
◾️横断幕と異端児の関係
とまあ駅の横断幕をキッカケにしたコミュニティ考は、止まらなくなってしまった。コミュニティを守るための地元志向と異分子とのバランスについての考察であった。上矢部高校陸上部の活躍を祈念してやまない。
以上
