■おかしな光景
7年前までは、「ジョギングと称して道を走っている人々は、いったい何が楽しくてあんなことやってるんだ?」と思っていた。心から、不思議だった。
でも今は走っている人の側になっている。
今日は月に一度の水泳の日だった。30分で1kmゆったり泳ぐと、ひと月分の澱が消え去る感じがして爽快である。この習慣も、昔の私からしたらまさに奇人変人の所業だろう。でも今は進んでこれを行うようになった。
なぜ、こうなったのか?
実はハッキリとはわかっていなくて、複合的な要素が絡み合っているのだと思うのだけれど、強いていうならば一番の要因は『清々しさ』だと感じている。
■セロトニンとメラトニン
運動を通した心の清々しさは、一体何処から来るのか。
私の実体験と、ネットで得た知識を合わせると、それはどうやらこういうことの様だ。
ランニングに代表される運動は、定期的な振動を脳に与え、これが「セロトニン」の生成に役立つ。
振動→脳みそを取り囲む様に浸している間質液なる液体がシャッフルされる
というのが、セロトニン生成に寄与するのだとか。
セロトニンは通称ハッピーホルモン、気分がポジティブになる。それだけでなく、夜になると安眠ホルモン「メラトニン」の原料となるらしい。
朝走る、気分が前向きになる、よく眠れるようになる。
朝早起きになる、朝走りたくなる、夜早く眠くなる。。。
こんなに素敵な循環、あって良いのだろうか?
■朝走る?夜走る?
では一日のうち、どの時間帯で走るのが良いのだろう。
私にとっては、朝走るの一択である。
せっかく大量にセロトニンを生み出すなら、1日の始まりが良い。
別の視点からは、朝、代謝の良い状態に身体を持っていくと、その状態が長続きするので、一日を通した基礎代謝が総量として上向く。夜走ると、せっかく上向いた基礎代謝が寝ることで蓋をされ落ち着いてしまう為、もったいない。
それと、副次的な効用として、朝何かを達成して誇らしい自分に満足することで、その日一日の良い流れが生まれる、というのもあるだろう。
だから朝が良いと考えるのである。
■継続
次に運動習慣を継続すること、について。
どれだけ走っても、練習を重ねても、楽になることはない。
でも続けるのはなぜだろう。
ランナーとして知られるコブクロの小渕健太郎氏が、大阪マラソンのテーマソングを書いていて、そこに興味深い一説がある。
『なんで走るの好きなんですか? たまに聞かれて答えに困る
自分でもようわかれへんのよ ホンマに
大人になって見つけた 割と辛抱強い自分が
一体何処まで行けるか 知りたいねーん』(コブクロ “42.195”より)
これが日々走る我々の心情を良く言い当てている気がしていて、ランニングというものはそもそもオトナこそ興味を持ちやすいものなんだろうなという気がしている。
距離にしてもタイムにしても、達成しても次の目標がやって来るこの種目は、いつまで経っても楽にはならず、これにきっと終わりはない。
でも継続できている自分は、好きだ。かつてこんなに何かを続けることが出来たのって、小中高の部活くらいだよなと。なんだ、俺も捨てたもんじゃ無いな、と。
■ストイック?ほんとにそれだけ?
では継続して日々走る人々は、皆ストイックな求道者なのだろうか。
そういう気質を持った人にしか向かない習慣なのだろうか。
答えはきっと否で、一瞬負荷を掛けるそのタイミングだけ見つめると大したもんだとなるだろうが、実はその後に大量の精神的果実を得るので、トータルで見ると合理的選択をしているとも言える。つまり、メリットがあるからやっている、という。そもそも割に合わなけりゃ誰もやらないだろうと。
夏は暑いし冬は寒い。
でも運動すると、メンタルの調子が抜群に良くなるし、カロリーを気にせず、好きなだけ食べることもできる。
辛いことの繰り返しに励むのは、その先に多くの見返りがあるからである。
割に合わないどころか、実はお釣りも来るのだ。
そんなわけで今日も走る。
向き合うのは、自分。
得られる果実、ヒトリジメ。