2013年9月20日金曜日

ブラジルで運転免許を

一言でいうと、面白かった。
何がって、運転免許試験の仕組みがすんごくラフだったから。

ブラジルは道路交通に関するジュネーブ条約に調印しておらず、また日本政府との個別協定も無い為、国際免許証が使えない。しかし日本の運転免許証があれば、実技試験を受けることで書き換えが可能。その仕組みは道路交通局が取り仕切っているが、システムが非常にもろいというか、ざっくばらんというか。。。

試験場は、土地が余り気味の広めの一般道(笑)。サンパウロ市内には合計4か所の一般道を使った『試験場』があるらしい。試験当日、試験官がやってきて、その試験官が助手席に乗り込んで、縦列駐車、坂道発進、通常走行をマニュアル車の1速と2速だけを使用して行うのを観察、問題が無ければパスするというもの。車はこちらで用意する必要があるが、だいたいにおいて民間の教習所が車を提供することになる。受験生は、どこぞの教習所から集められて当日集合している。この試験の申し込みは、教習所経由でなければならない。都合、その前に2時間ほど教習所が実施する練習がセットになっている。

今日の試験は、120名の受験生が集まっていた。ひも付いた教習所は恐らく3軒。だらーっと並ぶでも並ばないでもない感じの受験生に紛れて雨の降る中待つこと2時間。受付らしき書類チェックと署名を済ませ、待つこと1時間。やっと試験が始まり、5分で終了。無愛想な試験官氏が話した言葉は「スタート、よし、右、右、おわり」。
待っているの図 屋台も出ています

カラフルな車が教習所の車 (車種は統一でフォルクスワーゲンGOL)

雨の中、ひたすら待ちます

やっと試験が流れ始めた!


我々ニホンジンは勝手が良くわからないので、送り迎え含めなじみの旅行代理店経由でオーダーしたデスパシャンチ(despachante)という通称口利き屋的な日系人の方のヘルプを存分に受けながら、上記の過程を無事にやり過ごした。もちろん手数料を余分に支払うことにはなるが、外国人が自分で一貫手続きを行うのはほぼ無理であるが故。

そのデスパシャンチが取りまとめた今回のグループには、同じ境遇のサラリーマン駐在員が他に3人居て、みなそれぞれにジャンルの違う企業でお話が出来て、それはそれで情報交換になって面白かった。がいかんせん待ち時間が長すぎて世間話も最後には尽きてしまったという最期を見たのだが、全員合格だったのでそれはそれで良しとしよう。なおデスパ氏、来週も日本人4人を面倒見るそうだ。駐在員奥様も含めた女性2名と男性2名なのだという。サンパウロに駐在を開始する日本人は、確実に増えている様子。

しかし思い出されるのは僕の練習を担当してくれた教官。朗らかが足を生やして歩いているような人物である教習所教官のマルコアントニオ氏は、奥様がサンパウロ州政府で働く敏腕コーディネーターらしく、練習している当日も、「おー、今カミさんから仕事で成約につながったと報告があったよ」なんてことを嬉しそうに隣で運転している僕にリアルタイムに報告してきたりして、微笑ましかった。練習もそこそこに、「あー、ここはダルいから3速入れちゃってー、次4速ね」「コース外だけど、面白い場所があるから見に行くか?」といって、試験では使用しないスピードを出すことを許したり、立ちんぼのコールガールがたむろする場所に足を延ばしてくれたりした(笑)。この教官の仕事がどの程度の稼ぎになるのかはわからないけど、この国の公務員といえば高給で知られているので、恐らく奥さんの方が稼ぐのだろう。12歳の息子が一人とのことだったが、彼の底抜けに明るいその雰囲気と、キャリアウーマンの奥さんとの家庭というものに思いを馳せてなんだかほっこりした練習タイムでもあった。


なんだかつれづれ風になったけれど、とにかく合格したので、明日デスパシャンチさんが道路交通局に行って代理で受け取って、会社に届けてくれるみたいです。

2013年9月18日水曜日

病弱野郎

なにしろ大気が乾燥しているらしいのだ。

喉が痛むと思ったら咳が出て、熱が出た。これで風邪のサイクルも終わりだと思ったのだが、終わらなかった。9/5くらいに症状が出始めて、もうかれこれ2週間弱、風邪の症状に悩まされている。大気が乾燥している中で咳をコンコンしてたら、肺が痛くなってえらい苦痛に。眠れないほどの苦痛にベッドの上を人知れずのたうち回った。レントゲンには何も異常は無く、とにかく乾燥している空気にあなたは慣れていないので、今回の様な症状が出てしまったのですよと。

こちらに来て三か月が経った。その間に入院が1回と通院が2回。なんだかとんでもなく病弱野郎になったみたいで不本意だ。とりわけ、一回目の入院後、もう病気はコリゴリだと毎日ランニングを始めて以降、痩せるわ身体は軽いわで、すっかり健康体になったつもりだった。にもかかわらず風邪をひいて、そしてこじらせて、挙句の果てにはランニングも7日間お休みせざるを得なくなった。

まだ胸は痛む。だけどこのまま走らないのは癪にさわる。10月の一時帰国の時に初めて体重計に乗るときに、出来るだけ軽くなっていたいのだ。だからお休み期間は短くしなくては。再開後は思いっきりリハビリペースで、健康体の早歩きのオジサンに余裕で負ける速度だ。でも走れるだけ嬉しい。時折咳き込んでゼーゼーやっているとさすがにアヤシイ奴みたいではあるが、でも今まで臥せっていたのとでは心理的に大違いだ。

環境が違うと、身体に色んな反応が出るというのが、今回身を以てよくわかった。なんか抵抗力の無いヤツみたいで悔しいけど、歳のせいもあるだろう。いままで東京時代に不摂生の限りを尽くしていたツケもあるだろう。そういうものを、36歳というこの良い区切りの年で一回精算させてもらおう。10月9日の一時帰国出発までに、浄化をがんばる。

2013年9月3日火曜日

Rádio Taissô ラジオ体操 in ブラジル

毎朝走っている公園(Parque Tenente Ciqueira Campos通称TRIANON)の中で結構なスペースを取って、とあるグループがラジオ体操(Râdio Taissô)をしている。ラジカセに録音された音源を使って、あのラジオ体操をしている。サンパウロの東洋人街・リベルダージでは毎朝100人以上が集まってやっていると聞いたことがあったが、ここサンパウロのど真ん中の小さな公園で、恐らく20人くらいだろうか、日系人ではないブラジル人が集まっているのにはいささか驚いた。

尚、参加はタダである。

それについてだから何とくどくど書くつもりも無いけど、なんだか面白い光景だし、意外とGlobalな普遍性あるのか、ラジオ体操よ?なんてことを思いつつ、またポルトガル語のスペル(Rádio Taissô)だとなんだかタイッソーってなってて(Sが一個だと発音濁らなきゃいけないのでSを二つつなげてる、だからこちらではヤキソバもYakissobaになっている!)とっても面白いなぁなどと眺めつつ、走り抜けている次第。


2013年9月1日日曜日

brasileiros bonitos #1 今日のブラジルイケメン#1

女性ファンのみなさん、おまたせしました。イケメン第一号は、会計を勉強中の大学生、Thaigo(23)君です。父上の経営するバスタクシー会社のいちドライバーとして彼が派遣された際に、我々を運んでくれたのが縁で知り合いました。










































来年大学を修了したら、競合が少なく叔父さんが住むMato Grosso州で会計事務所を開業し、大規模農園事業会社から職能部門全般のアウトソーシングを受注するプランを描いているという、大した若者でした。















































とりわけ注目されるのは、彼の手の綺麗さ。ハンドルをさばくその手の甲の美しさ、とくとご覧下さい(笑)。

なお、彼は独身です。