気が付けば一時帰国で日本に出発した日から、ひと月が経った。
日本に帰って東京本社と実家に顔を出し、引っ越し作業をして家を空にし、25時間のフライトでとんぼ返りしたがその帰途には4歳前と1歳前の子供たちが加わった。こちらに着いてからしばらくは時差ボケの子供たちとの生活が始まった。家族との生活は想像を絶するタフさで、しばらくBlogを更新する力が無かった(カレー税とか歯医者とか、おちゃらけの内容はふとストレス発散みたいにして衝動的に書いたものだった)。
自分の想像が甘かったというべきか、今思えば独身でのサンパウロ生活は楽だった。病気などもあったが、時間管理が全て自分の思いのままと言う、実にお気楽な独身生活だったと言わざるを得ない。気が付けば結婚して以降一人暮らしに戻ったのは9年ぶりであって、独り身の自由度はかなり久々のものがあった。
往路つまりサンパウロから日本に向かうフライトは、通常のフライトのように出張報告書を作成する必要もなく、ただひとりで帰るだけの優雅な旅であって、映画を10本以上も見て満喫したので25時間のフライトもあっという間だった。だが帰りは違った。二人の子供たちが寝ない、食べない、歩きたい、次から次へと不満を呈してくるのでそれに対応したり、おむつを替えたり、泣く赤ん坊を抱っこして通路を散歩したり。それを見てお姉ちゃんも散歩したがるので対応したり・・・。この年代の子供二人を連れて12時間のフライトと13時間の計2本のフライトを敢行するということは、たとえトランジットで一晩ホテル泊を挟んだとしても非常にヘビーなものであった・・・、ということに乗ってから気が付いた。やっぱり想像力が、貧困だったのだ。
その分、妻に日本で負担を強いていたわけだ。これからの家族のサンパウロ生活を素敵なものにして、その埋め合わせをしたいと思っている。
家族が着いたら着いたで、いまは幼稚園探しに悪戦苦闘している。自分がサンパウロ独身時代に5軒下見をして予め決めておいた幼稚園は、妻と娘を伴った初回見学で彼らにダメ出しをされた。改めて見学の旅が始まった。手作り感があって、こぢんまりとしていてのどかで日本語率が高くて良いと父が思った場所は、母に言わせるとどうやら「違う」とのことだった。3~4歳の多感な娘の変化時期に5か月も留守にした自分は、彼女の感性を量るアンテナは持ち得ないということだと得心した。
ここサンパウロでは、日本語100%の幼稚園は無く、ある程度ポルトガル語環境下に子供を露出させることを覚悟しなければならない。方針としては日本語の語幹をまず育てたいと思っているので、なるべく外国語には触れさせたくないのだが、ある程度は仕方がないと腹をくくるしかなさそうだ。それよりはソフト面及び設備環境のより良いところをということで、スクールバスで自宅から35分程度の場所も視野に入れて改めてリサーチを始めている。環境の変化でただでさえナーバスになっている娘に、新しい幼稚園という追加のプレッシャーを与えることに対して親二人で戦々恐々としている日々だが、一般に言われるように「子供の適応力はすごいですよ」みたいなことに結果的になっていればと祈っている。
そんな状況下、健康維持のためのランニングだけは継続していた。そしてある知人から誘われて、大晦日のサンパウロ15kmマラソンにエントリーしてしまった。
http://www.saosilvestre.com.br/
「サン・シルベルトリ(São Silvestre)マラソン」だ。
とりあえずその知人と私とで日本人2人チームを作って、走る予定にしている。もっとメンバーを増やしたいとも思っている。日本を出発する前の私の考え方や生活からしてみれば信じられない変化で、我ながら驚きでもあるのだが、気が付けばいきおいでエントリーしていた。これも駐在開始→入院→健康マインドUP→ジョギング開始という環境の変化が背中を押したものだ。面白いムンド・ノーヴォを今まさに体験させてもらっている。ありがたいと思う。
日本に帰って東京本社と実家に顔を出し、引っ越し作業をして家を空にし、25時間のフライトでとんぼ返りしたがその帰途には4歳前と1歳前の子供たちが加わった。こちらに着いてからしばらくは時差ボケの子供たちとの生活が始まった。家族との生活は想像を絶するタフさで、しばらくBlogを更新する力が無かった(カレー税とか歯医者とか、おちゃらけの内容はふとストレス発散みたいにして衝動的に書いたものだった)。
自分の想像が甘かったというべきか、今思えば独身でのサンパウロ生活は楽だった。病気などもあったが、時間管理が全て自分の思いのままと言う、実にお気楽な独身生活だったと言わざるを得ない。気が付けば結婚して以降一人暮らしに戻ったのは9年ぶりであって、独り身の自由度はかなり久々のものがあった。
往路つまりサンパウロから日本に向かうフライトは、通常のフライトのように出張報告書を作成する必要もなく、ただひとりで帰るだけの優雅な旅であって、映画を10本以上も見て満喫したので25時間のフライトもあっという間だった。だが帰りは違った。二人の子供たちが寝ない、食べない、歩きたい、次から次へと不満を呈してくるのでそれに対応したり、おむつを替えたり、泣く赤ん坊を抱っこして通路を散歩したり。それを見てお姉ちゃんも散歩したがるので対応したり・・・。この年代の子供二人を連れて12時間のフライトと13時間の計2本のフライトを敢行するということは、たとえトランジットで一晩ホテル泊を挟んだとしても非常にヘビーなものであった・・・、ということに乗ってから気が付いた。やっぱり想像力が、貧困だったのだ。
その分、妻に日本で負担を強いていたわけだ。これからの家族のサンパウロ生活を素敵なものにして、その埋め合わせをしたいと思っている。
家族が着いたら着いたで、いまは幼稚園探しに悪戦苦闘している。自分がサンパウロ独身時代に5軒下見をして予め決めておいた幼稚園は、妻と娘を伴った初回見学で彼らにダメ出しをされた。改めて見学の旅が始まった。手作り感があって、こぢんまりとしていてのどかで日本語率が高くて良いと父が思った場所は、母に言わせるとどうやら「違う」とのことだった。3~4歳の多感な娘の変化時期に5か月も留守にした自分は、彼女の感性を量るアンテナは持ち得ないということだと得心した。
ここサンパウロでは、日本語100%の幼稚園は無く、ある程度ポルトガル語環境下に子供を露出させることを覚悟しなければならない。方針としては日本語の語幹をまず育てたいと思っているので、なるべく外国語には触れさせたくないのだが、ある程度は仕方がないと腹をくくるしかなさそうだ。それよりはソフト面及び設備環境のより良いところをということで、スクールバスで自宅から35分程度の場所も視野に入れて改めてリサーチを始めている。環境の変化でただでさえナーバスになっている娘に、新しい幼稚園という追加のプレッシャーを与えることに対して親二人で戦々恐々としている日々だが、一般に言われるように「子供の適応力はすごいですよ」みたいなことに結果的になっていればと祈っている。
そんな状況下、健康維持のためのランニングだけは継続していた。そしてある知人から誘われて、大晦日のサンパウロ15kmマラソンにエントリーしてしまった。
http://www.saosilvestre.com.br/
「サン・シルベルトリ(São Silvestre)マラソン」だ。
とりあえずその知人と私とで日本人2人チームを作って、走る予定にしている。もっとメンバーを増やしたいとも思っている。日本を出発する前の私の考え方や生活からしてみれば信じられない変化で、我ながら驚きでもあるのだが、気が付けばいきおいでエントリーしていた。これも駐在開始→入院→健康マインドUP→ジョギング開始という環境の変化が背中を押したものだ。面白いムンド・ノーヴォを今まさに体験させてもらっている。ありがたいと思う。