カレー税というものが、ある。
いや、そうした概念があったというべきか。
話は1999年、私が大学を卒業し会社に入社したころにさかのぼる。
勤務先は浜松町、入居した会社の独身寮は千葉県の津田沼と言うロケーションだった。
我がソウルフード・カレーハウスCoCo壱番屋は、現在関東で見られるようにはまだ進出しておらず、都内はおろか関東圏にぱらぱらと点在するのみだった。今でこそ会社の最寄駅である浜松町駅周辺に2店舗存在(浜松町駅北口店及び芝大門店)し、近接したロケーションにも関わらず高い商品力からいずれの店も人気を博している訳であるが、当時はそんな夢のようなことは望むべくもなく、私の通勤経路に最寄りの店舗はと言えば、今やマニアの間で影の旗艦店と噂される秋葉原店であった。
通勤定期は浜松町=津田沼で購入しており、秋葉原駅は定期券の圏外となる。つまり秋葉原で途中下車してCoCo壱のカレーを食すとなると、行って来いで130円×2つまり260円の余計な支出が発生することになる。260円と言えば人気トッピングのほうれん草(200円)やロースカツ(250円)を乗せても釣りが来る、もっとわかりやすく言えば、オリジナルドレッシングと絶妙にマッチすることでつとに有名なツナサラダ(280円)に届こうかと言う規模感の金額であり、それはもはやせっかくCoCo壱を食いに行くのになぜトッピングの費用が歩留まらねばならぬのだという自己矛盾というか焦燥感すら感じさせる金額であった。
といった気持ちと訣別する、もしくはある一定の客観性を持たせたいがために、私が自らの中で生み出した概念、これが、カレー税である。つまりこの260円はCoCo壱のカレーを食うのに必要な税金であり、通勤経路のアヤでたまたま駅と店舗が一致しない不幸な人は皆一様に負担しているものであって、仕方のないものなのだ。寧ろ、自分はそうした障壁をもろともしないでブランドを支持しようという熱狂的なファンであることの矜持すら感じさせる、そんな概念、それがカレー税。喜んで納めようではないか。
いや、そうした概念があったというべきか。
話は1999年、私が大学を卒業し会社に入社したころにさかのぼる。
勤務先は浜松町、入居した会社の独身寮は千葉県の津田沼と言うロケーションだった。
我がソウルフード・カレーハウスCoCo壱番屋は、現在関東で見られるようにはまだ進出しておらず、都内はおろか関東圏にぱらぱらと点在するのみだった。今でこそ会社の最寄駅である浜松町駅周辺に2店舗存在(浜松町駅北口店及び芝大門店)し、近接したロケーションにも関わらず高い商品力からいずれの店も人気を博している訳であるが、当時はそんな夢のようなことは望むべくもなく、私の通勤経路に最寄りの店舗はと言えば、今やマニアの間で影の旗艦店と噂される秋葉原店であった。
通勤定期は浜松町=津田沼で購入しており、秋葉原駅は定期券の圏外となる。つまり秋葉原で途中下車してCoCo壱のカレーを食すとなると、行って来いで130円×2つまり260円の余計な支出が発生することになる。260円と言えば人気トッピングのほうれん草(200円)やロースカツ(250円)を乗せても釣りが来る、もっとわかりやすく言えば、オリジナルドレッシングと絶妙にマッチすることでつとに有名なツナサラダ(280円)に届こうかと言う規模感の金額であり、それはもはやせっかくCoCo壱を食いに行くのになぜトッピングの費用が歩留まらねばならぬのだという自己矛盾というか焦燥感すら感じさせる金額であった。
といった気持ちと訣別する、もしくはある一定の客観性を持たせたいがために、私が自らの中で生み出した概念、これが、カレー税である。つまりこの260円はCoCo壱のカレーを食うのに必要な税金であり、通勤経路のアヤでたまたま駅と店舗が一致しない不幸な人は皆一様に負担しているものであって、仕方のないものなのだ。寧ろ、自分はそうした障壁をもろともしないでブランドを支持しようという熱狂的なファンであることの矜持すら感じさせる、そんな概念、それがカレー税。喜んで納めようではないか。
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