「それなら、あの自転車にペンキを塗ればいい」
「自転車なんて乗れさえすれば良いんだから」
というのが父の意見だった。「あの自転車」とは、車庫の奥に長いこと眠る、その昔兄が使っていたらしきものだ。股の部分に4段ギア変速機がついていて、折り畳み式のカゴが横後ろについている、一昔前のタイプの、あの自転車のことだった。
それは地元の中学校に進学して通学用の自転車が必要になったときのことだ。入学式の日からしばらくは、新入生には徒歩しか許されず、1週間ほど徒歩期間を経た後に自転車で通学を許される、確かそんなことだったと思う。猶予期間があっただけに、周囲の友達はどうやら新しい自転車を買ってもらっている様子であることは感じ取ることが出来た。僕はどうなるんだろう。4人兄弟の末っ子である僕には新車があてがわれるわけがない。そうはいっても、車庫に眠るアイツは相当に錆びている。さすがに買ってくれるかも。淡い期待は冒頭の妙案で吹き飛んだわけだ。
かつては黒だったであろう錆び錆びの茶色い自転車を、黒いペンキで豪快に塗装していく。たぶん、作業自体は楽しいものだったのだと思う。だけど気持ちは冴えなかった。父がやったのか自分も手伝ったのか今となってはもう覚えていないが、作業は進み、ほどなくして黒い自転車は再生した。僕にとっては都合の悪いことに、この自転車が普通に走れた。
いざ自転車登校が始まると、さらに具合の悪いことがわかった。友人たちのマシンは皆、一様に新しいだけでなく、形自体が違っていたのだ。シンプルなママチャリ的なヤツで、変速機は当然のごとく手元に付いている。だれもまたがって股間でカチカチなんてやらないのだ。古くて、黒くて、形がヘンな自転車。乗っていて周りの視線が痛いほど気になった。というより、勝手に自分で気にしていた。元々あったレトロなデザインがモダンな真っ黒に塗られたことによって逆にシックかつ前衛的なデザインだったのではと思うのだが、当時の僕にはそれがどうしても憂鬱だった。
いまの自分は父と同じ意見だ。「自転車なんて、乗れればいいんだから」という意見に至極賛成だ。わざわざイベントごとに新しいものを買う必要などない。両親はアンチ物質主義であり、物持ちの良いのを尊しとして育ててくれたので、おかげで良い金銭感覚が備わったと感謝している。でもあの13歳くらいの少年には、さすがにこたえた。ニキビも声変わりも一緒に来ましたよ思春期まっさかりです的な年頃に、あの黒い自転車は厳しかった。
すぐにサッカー部の先輩にイタズラされた。
練習がおわって、みんなで帰ろうとしたときにそれがわかった。
いじめというようなものではなく、ただ単に、それが「ヘンな自転車だから」なんだろう、自転車置き場に置いてあるのを上下ひっくり返されていたというもの。まぁ、子供にありがちなからかいみたいなもので、それ自体は挨拶みたいなもののはずだったし、自分もそれを「誰だよぅ」みたいなことを言いながら普通に対処するはずのものだった。
でもそれを見た途端、それまで我慢していたものが崩壊したというか、我ながら情けなくて涙が出てきた。あの「ヘンな自転車」は、暫く付き合った結果、自分自身の分身みたいな感じになっていて、ソイツがバカにされた様子を見たら、自分がその場にひっくり返されているみたいな感覚が襲ってきて、なんとも情けなくなって。父親が良かれと思ってペンキを塗ってくれたんだぞぅ、ヘンだけど、まだ普通に走るんだぞぅ、みたいなことを思うと、涙が溢れて止まらなかった。その場に居合わせたサッカー部の同級生は慰めてくれたし、イタズラして先に帰った先輩の同期生ですら、さすがにビビって「ひでぇヤツだ、気にするな」的なことを言ってくれたのを覚えている。でも家に帰っても涙が止まらなかった。
翌週、みんなと同じタイプの自転車に乗っている自分が居た。
自分がどういう風にして親に説明して新車をゲットしたのかは覚えていない。
そしてあの黒いアイツが、どう処分されたのかも、記憶が無い。
今日の仕事帰り、自転車屋の前を通りがかった瞬間に、ふとあの光景が浮かんできてこの話を突然書きたくなった次第。
「自転車なんて乗れさえすれば良いんだから」
というのが父の意見だった。「あの自転車」とは、車庫の奥に長いこと眠る、その昔兄が使っていたらしきものだ。股の部分に4段ギア変速機がついていて、折り畳み式のカゴが横後ろについている、一昔前のタイプの、あの自転車のことだった。
それは地元の中学校に進学して通学用の自転車が必要になったときのことだ。入学式の日からしばらくは、新入生には徒歩しか許されず、1週間ほど徒歩期間を経た後に自転車で通学を許される、確かそんなことだったと思う。猶予期間があっただけに、周囲の友達はどうやら新しい自転車を買ってもらっている様子であることは感じ取ることが出来た。僕はどうなるんだろう。4人兄弟の末っ子である僕には新車があてがわれるわけがない。そうはいっても、車庫に眠るアイツは相当に錆びている。さすがに買ってくれるかも。淡い期待は冒頭の妙案で吹き飛んだわけだ。
かつては黒だったであろう錆び錆びの茶色い自転車を、黒いペンキで豪快に塗装していく。たぶん、作業自体は楽しいものだったのだと思う。だけど気持ちは冴えなかった。父がやったのか自分も手伝ったのか今となってはもう覚えていないが、作業は進み、ほどなくして黒い自転車は再生した。僕にとっては都合の悪いことに、この自転車が普通に走れた。
いざ自転車登校が始まると、さらに具合の悪いことがわかった。友人たちのマシンは皆、一様に新しいだけでなく、形自体が違っていたのだ。シンプルなママチャリ的なヤツで、変速機は当然のごとく手元に付いている。だれもまたがって股間でカチカチなんてやらないのだ。古くて、黒くて、形がヘンな自転車。乗っていて周りの視線が痛いほど気になった。というより、勝手に自分で気にしていた。元々あったレトロなデザインがモダンな真っ黒に塗られたことによって逆にシックかつ前衛的なデザインだったのではと思うのだが、当時の僕にはそれがどうしても憂鬱だった。
いまの自分は父と同じ意見だ。「自転車なんて、乗れればいいんだから」という意見に至極賛成だ。わざわざイベントごとに新しいものを買う必要などない。両親はアンチ物質主義であり、物持ちの良いのを尊しとして育ててくれたので、おかげで良い金銭感覚が備わったと感謝している。でもあの13歳くらいの少年には、さすがにこたえた。ニキビも声変わりも一緒に来ましたよ思春期まっさかりです的な年頃に、あの黒い自転車は厳しかった。
すぐにサッカー部の先輩にイタズラされた。
練習がおわって、みんなで帰ろうとしたときにそれがわかった。
いじめというようなものではなく、ただ単に、それが「ヘンな自転車だから」なんだろう、自転車置き場に置いてあるのを上下ひっくり返されていたというもの。まぁ、子供にありがちなからかいみたいなもので、それ自体は挨拶みたいなもののはずだったし、自分もそれを「誰だよぅ」みたいなことを言いながら普通に対処するはずのものだった。
でもそれを見た途端、それまで我慢していたものが崩壊したというか、我ながら情けなくて涙が出てきた。あの「ヘンな自転車」は、暫く付き合った結果、自分自身の分身みたいな感じになっていて、ソイツがバカにされた様子を見たら、自分がその場にひっくり返されているみたいな感覚が襲ってきて、なんとも情けなくなって。父親が良かれと思ってペンキを塗ってくれたんだぞぅ、ヘンだけど、まだ普通に走るんだぞぅ、みたいなことを思うと、涙が溢れて止まらなかった。その場に居合わせたサッカー部の同級生は慰めてくれたし、イタズラして先に帰った先輩の同期生ですら、さすがにビビって「ひでぇヤツだ、気にするな」的なことを言ってくれたのを覚えている。でも家に帰っても涙が止まらなかった。
翌週、みんなと同じタイプの自転車に乗っている自分が居た。
自分がどういう風にして親に説明して新車をゲットしたのかは覚えていない。
そしてあの黒いアイツが、どう処分されたのかも、記憶が無い。
今日の仕事帰り、自転車屋の前を通りがかった瞬間に、ふとあの光景が浮かんできてこの話を突然書きたくなった次第。
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