赴任開始してから、変だなぁと感じ続けたことがある。
それはこの国のインフレである。
本日10月31日、日本では日銀総裁の黒田東彦さんが追加緩和を発表し、円安が進行し日経平均も6年ぶりの上げ幅を記録した。常に思う。黒田さんの立ち居振る舞いは、説明は自らの言葉で透明性高く、取るべきリスクは取るという点で男気を感じさせ、国のエリートかくあるべしと見ていて嬉しく思う。このように、日本では物価をたかだか2%上げる為に、頭脳総動員で様々な手を尽くしている。
ブラジルはどうだ。物価上昇率は6.75%を記録し、一昨日のCOPOM(金融政策決定会合)でSELIC(政策金利)を11%から11.25%に上げることを決めたばかりだ。
このように天と地ほどの違いがある二つの国に住んだ経験から紡ぎ出たのは、デフレを加速させた一番の犯人は、難しい金融政策ではなく、「競争」と「日本人のメンタリティ」の存在ではないのか?という疑問である。
■悪気もなく、実にしれっと
ブラジルでは、至る所で『値上げ』が実にしれっと行われる。
我々日本人は、「これこれこういう状況で、度重なる企業努力の結果何度も価格据え置きを実現して来たのだが、さすがにかかる外部環境の急激な変化にはとうてい太刀打ちできるものではなく云々かんぬん・・・」という儀式がなければ値上げなんてものはまかりならんというメンタリティを持っている。
しかしこの国では値上げに理由は不要である。だからニホンジンは、その彼らの態度を消化するのに毎度時間がかかるのである。なんでそんなに値が上がるのか、なんで彼らは平気な顔でしれっとそれを実現できるのかと。そんなもん、ニッポンでは通用しないんだゾと。
直近10か月で、ミネラルウォーター(20リットル入り宅配)の価格はR$11からR$14へと27%上昇し、理髪店の価格はR$40→50へと25%上昇した。娘の幼稚園のバス代はほぼ自動的に9%上がった。
■インフレというもの
ブラジルのここ5年間の物価上昇率は、年率4~7%のレンジで推移している。だからといって、冒頭の様な値上げをはいそうですかと受け入れるのは、世界でも稀なデフレの国から来たウラシマであった私には、赴任当初到底難しいことであった。だがこの国で生活していろいろな違和感を感じながら物事を眺めているうちに、なんとなく道理がわかってきたような気がしつつある。
そもそもインフレはなぜ起きるのか?たしか大学時代の一般教養科目・マクロ経済学でだいぶ昔に学んだ様な気がする(笑)。旺盛な需要が主導するデマンドプル型と、例えば輸入品の価格上昇などが引き起こすコストプッシュ型とに分かれると確かあった。ブラジルではここ数年後者のケースはさほど見られないので、前者が引き起こしていると判断してよいのだろう。
ブラジルに暮らしたことがある人は、「ブラジルは物価が高い国だ」と口々に言う。そしてブラジルに暮らしたことが無い人は、「え?そうなんですか?全然そういうイメージが無いんですけど」という。誤解を恐れずにざっくりで価格レベルをここに示すとすると、スーパーで売られている食材などは日本と同じレベル、少し加工された日曜品例えば紙製品、シャンプー、衣服、キッチン用品などは日本の2~3倍くらいの価格イメージだ。自動車は日本の2倍、レストランは日本の2倍、ビッグマックは単品でおよそ650円相当だ。そう、実感として想像より高いのである。
■少ない競争
ブラジルではそこかしこで競争が少ない。これが物事を理解する上で大切なキーになる。需要が旺盛と言うよりは、供給がより制限されていると表現した方が適切だろう。だから相対的に需要が常に高い状態となり、モノの値段が上がると理解できる。
では何故競争が少ないのか。関税と非関税障壁とで国内産業を守っているからである。エネルギー資源や食糧資源を輸出するのは国策で奨励の方針だが、逆にモノを輸入するのは難しい制度になっている。また、他の国に比べて新規参入がしにくい法規制が多くあり、税制度などが複雑かつ更新が頻繁で、企業にとっては非営業部門にかける費用が非常に高くなり、いわゆるブラジルコストと言われる部分がかさむ構造がある。故に多くの分野でトップシェア企業のさらなる寡占化が進み易い環境がある(ビール、スナック菓子、食肉分野など)。規模を大きくすれば職能部門を効率化出来るメリットがあり、それが企業買収を加速させている面は否定できないと思われる。
■メンタリティ
最後にメンタリティだ。
そもそも我々日本人には、値上げ=悪という考え方があるように思う。それはこの国で値上げに直面するたびにムカッと来る自分のネイチャーに気が付いたから、実感としてある。だから、消費者の立場であれば「あり得ない、そんな姿勢だったらもうあそこからは買わないよ」となり、逆に企業側の立場であれば「値上げはさすがにまずいよなー、お客さん離れちゃうなー」となる。
ここで、前段の競争の多寡が問題となる。日本では、競争が激しく、値上げしたら消費者が乗り換えていく先の他のサービス提供者がいる。ブラジルではそれが少ない。だからブラジルではしれっと値上げが悪びれずに行われ、日本では据え置きが敢行されるという構図と理解できる。。。
でも、本当に顧客は離れていくのか?ひょっとして日本人特有のメンタリティが先回りして、すべきであった値上げも打ち消してしまってはいないだろうか。
企業では、担当者が値上げを提案するのは難しい。そんなことして顧客が離れたらどうする、と上司に言われてそれに抗弁するロジックを持つ人はそういないだろう。その上司も、さらに上に対して、値上げの結果売り上げが落ちた場合責任を取りますとリスクテイクしないだろう。となるとスパイラルが発生して値上げの芽は未然に摘まれる。こんな例は単純化しすぎだとは思うけれど、こうしたケースが日本のそこかしこで起こり、かくしてデフレスパイラルが示現したのではないかとも思うのだ。
ブラジルの姿勢を目の当たりにすると、「自己犠牲」や「自助努力」にまみれた日本の産業界が不憫でならない。
昨年来、黒田さんのインフレターゲット2%という明確な目標が世論に広まったということは、副次的に現場の担当者が値上げ稟議を持ち上げるのを後押しすることになるのかもしれない。そうすれば、企業もより健全な売上を回復できるのではないか期待するのである。
ことは単純ではない。ブラジルも国際的な競争力は無く、2億人の内需主導だからできることだという議論は勿論ある。でもそれよりも、日本人のメンタリティの部分で、本来すべきことが出来ていない機会があるならば、それは救済されなければならないと切に思うのである。