大学4年の卒業前に、ニュージーランドへ一人旅に出た。テントを持ってヒッチハイクで国中を廻る意図だ。かねてより憧れていたこの国の美しい川や湖を訪ねてみたいということと、英語力を鍛えたいという希望があってのNZであった。
オークランドから入ってクライストチャーチより抜ける3週間の道中、実に62台の車をヒッチハイクで乗り継ぎ、公園などにテントを張り貧乏旅行をした。予算は極限まで切り詰めていたので、常に腹を空かせていたのを覚えている。初期投資としてスーパーで買ったスライス食パンに今日は何を挟んでやろうか、ツナ缶か、喫茶店でコーヒーだけオーダーした時に拝借したバターやジャムか、日々それだけを考えていたような気がする。
相当にひもじそうに見えたのだろう、ある時、ヒッチハイクで乗せてもらった農園主の男性に、メシ食うか?と聞かれ、ハイと答えたら農園内の母屋に案内され、サンドイッチを馳走になった。すると「さあ、いこうか」と言われ、当時英語が良くわからなかったけれど働かざる者食うべからず的なことを言われ、散乱した切り株をひたすらトラックの荷台に積むという重労働をさせられたことがあった。
別のケースでは、30代くらいの男性ドライバーに、「腹減ってるか?」と聞かれ、今度は警戒してさして減ってないと答えたのだが、上手いもの喰わしてやると強引に自宅に連れ込まれた。その時に至って初めて、ヒッチハイクの人間を乗せるにはどう考えても綺麗すぎるメルセデスに、ふかふかのファーみたいな敷物が敷いてあったこと、妙に柔らかい物腰などから、そっちの系の人であったと気が付いたけれど、時すでに遅しである。到着した彼の自宅には巨大なボートが陸置きされており、暗がりの中でも十分にそれとわかる相当ゴージャスな邸宅であったことからさらに身の危険を感じ、慌ててサンキューと言い残しバックパックを掴み逃げ去ったことがあった。幸いにして主は追って来なかった。
旅も大詰め、クイーンズタウンという街に向かう行程では、何を思ったかヒッチハイクではなくインターシティ長距離バスを使うことにした。理由は忘れたが、多少疲れたとか先が見えてバスに金を使えるとわかったとか、そんなところだと思う。そのバスで偶然隣り合わせたのは誠にいけすかない貧弱な日本人学生で、話を少ししただけでコイツとは合わないと思わせる性格の持ち主であった。それが故に途中のトイレ休憩で私は席を変え、一人車窓を楽しむモードに切り替えて彼を拒絶することにした。
クイーンズタウンについてすぐ目の前に拡がるワカティプ湖畔に投宿した。といっても物陰に一人用ドームテントを張るだけであるが、重いバックパックを下ろして寝転がれる解放感はたまらないものがあった。
ひとりゆっくりと日没前のひと時を楽しんでいると、外から声を掛ける日本人が居て、テントを這い出してみるとそこにいたのはなんといけすかない彼だった。「この街でダンロップとデカデカと書いてるテントを見たら日本人の君しかいないと思ってさ」と嫌味とも何とも判断のつかないことを言いながら、彼はメシでも食わないかと僕を誘った。とにかく彼の性格が気に喰わなかったし、2週間以上一人であったから、そうした付き合いももはや面倒に感じられ、断った。
小一時間して彼はまたダンロップテントを訪ねてきた。
今度はなんだとつっけんどんに対応すると、マクドナルドの紙袋を提げて僕にくれるという。一緒に食べようと。中身はニュージーランドご当地メニューのKIWIバーガー(ニュージーランド人の愛称KIWIから取ったネーミングである)のコンボであった。
ついさっきまであそこまで彼を邪険にした自分がすんなりとその差し入れを受け入れるのはなんとも気恥ずかしく感じられたが、そんなチンケなプライドは数週間の慢性的空腹症には勝てる由もなく、あっさりとありがたく受け取った。宝石やハンドバックなどの贈り物に態度を翻す女性の心持とはこんなものかと想像したりもしたのを今のことのように思い出す。
湖畔でいけすかない彼とふたり並んでKIWIバーガーをついばみながら何を話したのかはもはや覚えていないけれど、その味たるや人生最高の称号を与うるにふさわしいものであった。バーガーを食った後、彼は一切コンタクトしてこなかったし、連絡先なども交換しなかった。僕はその後結婚して妻や家族を伴ってこの湖に2度ほど旅行で戻ることになるのだけれど、その都度ダンロップテント横のいけすかない彼と極上KIWIバーガーを思い出すのだった。