2016年8月30日火曜日

コカ・コーラ ブラジルの挑戦

今年7月、コカ・コーラブラジル社が、コーヒー製品を出すという報道が流れた。
Torra MÉDIA(ミディアムロースト)と
Torra ESCURA(ダークロースト)がある

業界外の人からしてみると、新鮮味が薄く感じるかもしれないこのニュース、飲料業界の人間には興味津々の情報なのである。その理由は、二つある。

一つ目は、投資判断として。

飲料製品で世界最強かつブラジル最強のコーラ社が、レギュラーコーヒーというコテコテに伝統的で何の新鮮味も無い商品で、競合ひしめくレッドオーシャンな市場に参入したということ。誰もが思っているのだ。『勝算は?』と。

二つ目は、マーケティングの観点から。

ブラジル国内で茶のブランドとして有名な”Leão”を使って売り出すという点。コーラ社はすでにブラジルにおいて、Leãoブランドのマテ茶を使ったティーバッグ、リーフティー、ペットボトルなどの飲料製品で最大手である。そのブランド名をコーヒーに流用するというのだから面白い。きっとケーススタディーとして後世に残るのではないか。

そして発売された商品を見てみたところ、三つ目の興味深さを見つけた。

それはパッケージ表面にかかれた”Exportado do Brasil para os Brasileiros”「ブラジル人向けにブラジルから輸出された」製品ですという文言。これは一種のシャレで、これまでの固定概念である「ブラジル国内流通コーヒー=輸出規格外の粗悪なコーヒー」という図式を逆手に取ったものであろう同僚によれば、「これはブラジル人に対しても真意が伝わるかどうかというエッジの効いた表現だよ・・・」とのことである。

価格は250g9.5レアル(295円)
自宅のコーヒーメーカーで試飲してみたが、味わいはまさにインターナショナルスタンダードと言える、スッキリした出来映えだった。ブラジルの伝統的消費者層には「薄すぎ」ていたり、「アッサリしすぎ」ていて疑問に映るかもしれないが、より国際的な経験を積み始めた中間層以上にヒットするかもしれないと感じさせた。とはいえ、この作り込みは、誰の真似でもない、真新しいアプローチだ。

最大手でありながらこんなチャレンジングな決断をしたコカ・コーラブラジル社に拍手を送りたいし、また彼らがそうしたチャレンジを奨励する企業風土を維持していることを、リスペクトするのである。

2016年8月17日水曜日

オリンピックを巡る温度差

これは我々日本人が周く認識するところと思うが、日本人はオリンピック好きである。
一方、今回のリオ五輪に対しては、多くのブラジル人が開催反対の立場である。ここに五輪大好きニホンジンには理解できない大いなるギャップがある。

今回は、ブラジルで開催されているオリンピックに対する日伯の感情差について、書きたいと思う。この点は、日本人が最も理解しにくい部分だから、尚のこと読み応えのある回になると筆者として確信する。

■オリンピックを巡る会話例

私  「オリンピック見てる?」
相手 「俺、アンチだから全く見てないよ」

・・・というのは先日私がマンションの管理人と共有スペースで出くわした際に交わしたやりとり。いやはやなんともすわりの悪い会話運びではある。

次は7月末にブラジル人を連れて日本出張中、訪問客先の工場長(71歳)との面談冒頭の雑談でのやりとり。

工場長 「わざわざブラジルからお越しくださってありがとうございます。ブラジルはオリンピック直前で大盛り上がりでしょう?」

ブラジル人 「私は政府の税金の無駄遣いについて面白く思っていませんので、五輪ブラジル開催については反対の立場です。なので、五輪についての一切を目にするのも嫌です」

工場長 「ああそうですか、私は集団就職で東京に出てきたときに東京五輪がありまして、それはもう感動したものです。当時私は18歳でした。日本人選手の活躍のみならず、エチオピアのアベベ選手が裸足で優勝した時などは、勇気をもらったものです。2020年には再度東京五輪。札幌、長野の冬季を含めると、私にとって4度目の日本開催の五輪。世界中から集まるオリンピアンの競技を4度も目の当たりにできるというのは、幸せな事です。」

・・・二人とも、実に真面目にそれぞれの見解を表明しているのだけれど、通訳する身にもなってもらいたい、そんな波乱の面談の幕開けであった(笑)。

■五輪好きな国民
一般に、日本人はオリンピックが非常に好きな国民と言えるだろう。
それは、データは無いのだけれど、他の通常の地球市民がそうであるレベルより強く、好きなのだと感じる。

これは完全に私見だが、日本人がそれほどかように五輪を好きなのは、『体格において劣等感まみれの日本人が、ルールなど平等なスポーツシーンにおいて、体格で優勢な他国民を、持ち前の精神力を基底にした鍛錬で撃破、溜飲を下げる体験が快感』であるという、この感情がベースになっているに違いないと分析している。なんとも鬱屈したメンタリティだが、あながち外れてもいないと思うのだ。

ブラジル人も勿論、一般的には好きなはずだ。サッカー、バレー、柔道や陸上など、ブラジルでも盛んな種目が多くある。だけれど、今回の五輪開催には両手放しでは喜べない国民感情があるのだ。それは政治的なものである。

■労働党政権とリオ五輪
リオ五輪2016の開催が決まったのは、2009年。
ちなみにFIFAワールドカップ2014のブラジル開催が決まったのは2007年。

この二つの国際イベント招致を決めた期間の大統領は、髭面でおなじみのルーラである。2008年のリーマンショックまでのブラジルは、奇跡と呼ばれる経済成長を遂げ、その追い風を背景にルーラ大統領はこのビッグイベント招致をシンボリックに成功させた。

2013年、経済は失速、大統領は同じ労働党のルーラ子飼いの短髪の女性、ジウマ・ルセフ大統領。貧困層へのバラマキでわかり易く支持を受けていた労働党政権も、経済が失速して国民不満が堆積、数多くのスキャンダルをきっかけに国民から疑義を突き付けられ、ブラジル全土で労働党排斥のデモが起こっていた。

この年はW杯前哨戦であるコンフェデ杯開催の年であり、国際イベント直前にあてつけたデモのメッセージは、『我々に豪華なスタジアムは要らない。必要なのは学校であり、病院であり、社会福祉施設なのだ』というものであった。

国民の悲願・労働党(=ジウマ大統領)の罷免は今年2016年に至ってやっと実現したのだが、その後、皮肉にもリオ五輪は時間差でやってきた。つまり、中間層以上の国民にとって、「かつて労働党が呼んだ招かれざる客」はホスト不在とも言うべき状況下、おもむろに登場したわけだ。

■中流階級としてのタテマエ
かつて労働党の不正を糾弾するデモにおいて、主流派は中間層以上の人間であった。「我々はバラマキを悪とみなす、本当に貧困層を助けたいならば、財源を有効な社会福祉政策に回すべき」という所謂『まっとうな』主張をする人達である。

今回のリオ五輪においても、それに対してアンチを唱えることは、ブラジル人をして自らを『まっとうな人達』に類する者であると宣言するに等しい行為だ。かくして教養のあるブラジル人は、まっとうな主張のくびきにとらわれてしまった感がある。いまさら「オリンピック好き好き、ガンバレブラジル」なんて、口が裂けても言えなくなってしまったのだ。

表だって応援出来ないまっとうな人々は、こそっとTVで観戦していることだろう。そしてSNSでも積極的にはこのイベントについて言及しないはずである。それだから日本人には、ブラジル人に五輪のことを聞く前に一呼吸おいて、相手の立場を推し量って頂きたいのである。もしくは、例え相手からの回答がポジティブなものでなかったとしても、この様にブラジルに流れる風潮を鑑み、ぜひとも大目に見てもらいたいものである。