2019年11月14日木曜日

電車内で出くわす事件たち

飲食店勤務を始めたこともあって、夜遅い時間に東海道線に乗ることが増えた。で、多く出くわすのが泥酔者と、嘔吐事件。

自分は酒をやめてもうすぐ3年になるが、世の中には前後不覚になるまで飲む人が結構沢山いるんだということに今更ながら気がついた。

もちろん、少し前の自分だって、同じ様に酩酊状態で電車に乗っていたクチではあります。しかしいったん外の世界から眺めてみると、まぁ異常な状況がそこにはあって、しだいに当時の自分が周囲にかけたいろんなことごとが思い出されて来たりして、それはもう本当に空恐ろしく申し訳なく感じる訳でありますが今日は客観的な観察記をふたつほど。

◆観察記その1
つり革につかまって、新橋から横浜手前まで立って寝ており、ゆらゆらーと振り子のような運動をしていた30代と思しき男性。最後、揺れが一際大きくなったかと思うと突然、オェーと手の中に。指の間からこぼれ落ちたサムシングが、ひとしずくほど前に座っている女性の膝に落下、女性凍結。

その彼の斜め前に立って角地にいた自分は、突然の出来事にフリーズしかかったけれども、とにかくこちらへと彼を誘い、壁際の場所を明け渡した。でも出来たのはそれだけで、しばし呆然としてしまった。

すると私の反対隣でずっとスマホゲームをしていた50代サラリーマン風の男性が、おもむろに自分の鞄の中からビニール袋を取り出して、彼に与えたのである。30代男性はオエオエとその中に続投しつつ、袋もやがてタプンタプンになりながらも、臨界点を迎える前に電車は横浜駅ホームに滑り込んだ。

サラリーマン氏、『ニイちゃん、もうすぐ横浜、降りる?なんだ、飲み過ぎか?』と手慣れた様子で降り口へ導き降車、凍結から我を取り戻してウェットティッシュ的なもので拭きとり作業をしていた被害女性も少し遅れて降りていった。

いったいあのあとどうしたんだろう。クリーニング代とか交渉しようにも酩酊状態の彼には話ができないと思われ、おそらくは泣き寝入りなのだろうが、気の毒としか言いようが無い。

そして感心したのはサラリーマン氏の落ち着き払った振る舞いである。あのサッと出てきたビニール袋は、まさに値千金、あれが無ければ相当の被害拡散が起こっていたはずなのだ。

起こってしまったことは仕方がない、あとは助けるべ、といった所作が、オトナだと感じ入ったのである。

◆観察記その2
それは突然の『オロローン』だった。

今朝の通勤電車、新橋駅に着く前の東海道線で、私の隣に立って居た事も気がつかないくらい気配の軽いスマートな白人男性(20代)が、突然自ら保持していたビニール袋にオロローンしたのである。しかも何度も。あれは何だろうか。二日酔いか、体調が悪かったのか。

袋を持参していたということは、予感はあったと言うことなのだろう。しかし、その若者は何度も続投していて、その袋は大変心もとないサイズであり、結構なタプンタプン具合に達しちゃったではないか。

そこで、私である。
驚いたことに、先日のサラリーマン氏よろしく、サッと体が動いたのである。その日のおやつ用にと家から持参していたクッキーの入ったジップロック(大)を、サッと取り出して中身を外し、
“ just in case “ とか言いながら手渡したのである。どんなケースやねんと自分でツッコミたくなりつつも、そのアクションは件のサラリーマン氏を彷彿とさせる鮮やかさがあった(笑)。

若者氏は、それを受け取り、白人が顔面蒼白になると本当に青ざめるんだと世間にわからしめるかの顔色で、『アリガトゴザイマス』と答えるではないか。その瞬間に、電車は新橋のホームに滑り込み、若者氏はジーンズのケツのポケットにそのジップロック(大)を突っ込んで、タプタプの袋と共に降車しどこかへと歩いていった。

実はそのジップロックは使い回し品で、前に子供が林間学校へ行った際に服が入っていたこともあって『2日目のきがえ』と謎の日本語が書いてあったことはきっと若者氏最後まで知る由もないだろう。

◆まとめ
で、まとめると、二度目だとわりと早く体が動いたってのが発見。きっと夜のサラリーマン氏もこんな風に過去に経験があって、それであんなに素早い対応だったんだろうか、などと感じた次第。

まぁ、基本的に吐瀉物は危険物だから、子供を持つ身としては危険因子を背負い込まない、感染しないことが先決でもあるわけで、そのあたりはうまいこと折り合いをつけていかなければなりませんね、とも考えながら。

2019年10月29日火曜日

修行

最終更新から気がつけば結構な月日が経ち、走り続けて来た道を少しだけ振り返ろうと思いこれを書いてます。

結論から言うと、修行の意味でバイトを始めました。ブラジル系の飲食店です。一旦、オリンピック前に開店したいという目標はサスペンドとします。

今年の318日に会社を作って以来半年間、金策の為に色んな人を回ってプロジェクトの話をしました。その中で浮かび上がって来たのは、素人の俺に出来るのか?という点。

人と話せば話すほど、大枠は面白いけれど、皆一様にツッコむのは『アンタ素人でしょ?』というポイントであり、またそれは自分の中でもクエスチョンとして次第に大きくなって行った訳です。

なので、一旦『中の人』になってやろうと。

既に14回勤務していて、毎日が発見に満ちています。飲食店が抱える問題点を、内側から見て、耐性を作る作業です。いざ開業してピンボケ経営者にならぬ様、現場感覚を身につける。

23回、夜だけ、現行の仕事(株式会社マーズフラッグ)に抵触しない範囲で、やって行きます。幸い体力作りは6年前から継続しているし、スタンディングデスク勤務などしていて、立ち仕事は訓練済みと(笑)

無理しない様、身体に気をつけながら、勉強を進めていきます。
尚、くだんのブラジル人パートナー候補者氏には、この話をそのまま伝え、一旦関係解消としました。

2019年6月12日水曜日

大切な地域社会

こういうのは、良いと思う。
JR戸塚駅での、横断幕である。

地域社会の振興はつまり自分達の繁栄に繋がるわけだ。青少年の健やかなる発育は、地域を挙げて讃えるべきと。

そんなことは、いわば当たり前ではあるのだけれど、果たしてフニオチしている人は、どのくらいいるのだろうか。少なくとも私は、40代前半の今くらいまで、考えとしてストンと咀嚼出来てはいなかったと思う。

◾️地域コミュニティとの関わり方
思えば私が20代・30代とコーヒーの貿易商をしていた時、生産国で大きな圃場を持つ農家ほど、いかに彼らが「地域社会=local community への貢献」をしているかについて、それはそれは誇らしげに語っていた。サステイナブル農法の概念を世界中に定着させたNPO・レインフォレストアライアンスの認証基準の中には、地域社会への貢献が必須要件として明確に定義されていた。

それほどに、地域コミュニティとの共生は、あまねくあたりまえに尊ばれるべき科目である訳だ。

たしかに世に出ている様々なプロパガンダやPR記事にも、『地域社会との関わりを大切にして』といった文言が踊っている。そうした記事が、これまでは全く目に留まらなかった私がいる。

◾️子育てを通して感じること
ところが親になり、妻実家のすぐそばに居を構える事となってはじめて、今まで字面でしか追っていなかった『地域社会の大切さ』を見に沁みて感じる様になった。

子供を育てる側になると、子育て自体が日々のハッスルになる為、外部環境のハッスル要因は出来る限り抑えられたものであってほしい、と願う気持ちが出てくる。その為、自分の家庭が根ざす地域社会は、日々平穏なものであってほしいし、それ故に地域社会に水を遣る活動を大切にするのだ、と。

また、そうした平穏な環境を保つことがいかに難しいかも、成熟した皆ならわかっている、そんな構成員で形造られる環境こそが、良いコミュニティなのだと。

◾️世代を嗣ぐコミュニティ
私は物心ついた時から、大学は故郷の外へというマインドであった。長兄の姿を見習っていただけなのかもしれないが、それは確実に刷り込まれていた。結果、大学は関東へ進学し、そのまま東京の会社に就職し現在に至る。故郷に戻ろうという発想は一切なかった。

だが、最近故郷の友人から、「今なんと、自分の息子の担任、あの時のアノ先生だよ」とかってエピソードを聞くと、ああ、それは地域コミュニティならではの安心感だなとつくづく感じるのだ。そして、自分が歳をとるにつれて、コミュニティを大切にしようと言うマインドが高まってきているのを感じる。

夏祭りとか、餅つきとか、焼き芋などといったイベントごとが頻繁にあって、毎度そこでいつもの子供達が顔を合わすと言うのは、なんとも良いものだなと思い始めている自分がいるのだ。子を持ち、そして孫を持つ過程で、このマインド変化がどんどん加速するのだろう。自分のこの先の心境の変化は想像に難くない。

◾️故郷を出ること
10代当時の自分の様な飛び出す思考の人間も、昔から地元コミュニティを大切にするマインドな人間も、どちらもアリなんだろうし、要はどちらを好むかの違いだけなんだろう。でもきっとコミュニティの発展のためにも、少ないながらも飛び出す野郎の存在は必要であって、そんな人間が外から持ち帰ってくるエッセンスでまたコミュニティが発展することもあるのだろうと思うのだ。大航海時代のポルトガルが発展した様に、維新の志士が故郷を飛び出した様に。

ディズニー映画のモアナの一族は定住してコンサバに平和に暮らしていたが、突如忍び寄る危機に対してあまりに無策だった。そんな中で変わり者のバァちゃんが導く様な形で島の若きプリンセス・モアナが島を救うために飛び出すのは、必要に駆られたとはいえ、まさに異端児的な感じなのだろう。

そして実は定住前の昔は彼らも『海の民』だったが、航海の末にやっと発見し手に入れた平穏な島暮らしを維持する為の施策として、危険と隣り合わせの航海暮らしを封印したのだ、と気付くストーリーは、組織の趨勢を描いて切ない。

◾️横断幕と異端児の関係
とまあ駅の横断幕をキッカケにしたコミュニティ考は、止まらなくなってしまった。コミュニティを守るための地元志向と異分子とのバランスについての考察であった。上矢部高校陸上部の活躍を祈念してやまない。 

以上

2019年6月8日土曜日

食品衛生責任者の資格をとる

行ってきました、食品衛生責任者講習。
小川町・連合ビルで、09:45〜16:30までみっちり。
内容は如何にして食中毒リスクを減らすかというもの。
店舗経営の課題に直結するため、大変興味深く、勉強になりました。
最後に一応選択式5問のテストがあって、当たり前ですが全問正解しました!(ホッ)

2019年6月7日金曜日

屋号を決める

Tranquilo (トランクィーロ)

くつろいだ、落ち着いた、平静な、と言った意味のポルトガル語だ。

ブラジルでは、挨拶にまで
「最近どうよ?」
Tranquilo
みたいに使われたりする。
強いて言えば、いい感じ、的な返し。

これを、屋号と決めた。

僕のお店で現出したい空気感は、このtranquilo感なので。本当は名詞形tranquilidadeが店名としてはふさわしいと思うけれど、やや長いので、ここはあえてトランクィーロで行こうと思う。

かの物件に申し込みが

入ったらしい。五反田の物件に申し込みが。
僕はといえば、粛々と金策を最速で進めるのみ。
そんな中、施工業社さんからパースが上がって来た。
それは、かの物件が持つ魅力を最大限に引き出して、それでいて新しさも感じさせる、人をワクワクさせるデザインだった。
現・鉄工場のファサードにあしらわれたタイルや大きなガラス面を配した表の枠組みをそのまま活かした提案になっていて、大家さんが見たら、きっと魅力に感じてくれるのではと信じている。そのパース図を、大家さんに渡して来た。
もう何度かの物件に足を運んだだろう。
はじめての内見、5社の業者さんとの下見、夜の金曜日の視察、平日昼間の視察、大崎駅東口からの徒歩アプローチ視察、品川駅高輪口からの徒歩アプローチ視察、などなど。

もしこの物件が流れても、今回のようにやる事は同じだ。
見るポイントが研ぎ澄まされたと言う効用があったと評価しよう。
今回の物件との出会いがもたらしてくれたのは、ステキな施工業社さんとの出会い。
あとは成り行きに任せて、粛々と自分のことをやろう。

2019年5月27日月曜日

空中殺法


何は無くとも、金策である。

金融機関との話
4月走り初めの頃は、ある投資家からの一言『この事業は間違っても銀行が貸してくれる性質のものではない』を信じて、パトロン的な位置付けの方々からのリスクマネーをあてに数件話をしたが、いずれもゼロ回答であった。

その中で悟ったのは、今の世の投資家たる人々の耳目は、市場の拡大性向や事業のハネ率などを鑑みて、ネットやクラウドサービスといった掛け算で計算のできるビジネスに向いているという事。私の様な『ゼロスクラッチからの飲食店』と言ったtraditionalな事業は彼らにとってセクシーに映らないという事だった。

そんな中、我が自宅を地元の横浜信金さんが訪ねてくれたのだという。自宅をノビダージ株式会社の登記場所にしていたので、官報を見てまずはご挨拶を、とのことだった。私の留守中に妻が受け取った名刺の支店へすぐさま電話して、金融機関からの融資は正直選択肢になかったのだが、話を聞いてほしいとアポ取りをした。

信用金庫は地域経済のため
1時間に及ぶ私からの事業説明を受けて担当氏は『なくは無いんじゃ無いか。いま、信金としても自治体と連動した創業支援制度を多数用意している』とのことだった。ただしネックとなるのは、本社の登記場所(私の自宅横浜市港南区)とお店の場所(五反田 or 神田の都内を想定)との相違だという。

地域社会への貢献を是とする信金には、当然のことながらその地域で税金を納める事業を対象に支援を行うと言う至極当たり前の事実を知ったのだ。この日の結論として、都内の信金を当たろうと言う収穫を得た。一方でヒントをくれた横浜信金さんには、将来成功して横浜市内への店舗展開を狙う際に融資をお願いすることで返礼としたいと心に刻んだ。

物件調査
そうこうしつつも、物件市況感の勉強のため飲食店.comを通して五反田と神田の物件希望を登録。気になる物件が出てはメールが送られて来る度に内見を申し込み、足で相場感を養うアクションを始めた。一週間のうちに4件の視察を実施したのを通して、思いの外都内の物件は少なく相場は高いと言う事実を思い知らされた。

するとGW明けに五反田に今までにないレベルで我が希望にマッチすると思われる物件に出会い、すぐさま視察し、これまでとは明らかに違う総合点で秀でているという感触を得た。駅徒歩5分、間口広く、3つの駅にアクセスがあり、そうでありながらもいかにも五反田といった喧騒から離れて比較的閑静、家賃リーズナブルと来た。さてこれをどうするか。例え手付けは自己資金でを打ててもその後の融資やプラン内容次第では家賃だけ払い続けることになる。当初は20206月開店を想定してスケジュールを組んでいた訳だが、半年ほど前倒す可能性が浮上した訳だ。

空中殺法だけど全能感
いろんなことが同時並行で、いかにも空中殺法である。
・物件
・店舗デザイン
・内装
・厨房
・料理
・人繰り
・融資
・許認可
確たるものは何も無い。
でも全て後回しでは何も進まない。
一つ一つ仮説を立てて相互に絡み合う要素を計算して精度を上げていく。
『自分の中である程度確度の高い概算』の形にして、絵に描いた餅をホンモノにすると信じ、周りを説き伏せて行く作業。

実際やるのは初めてなんだけど、今まで20年の商社+IT企業の経験の中で会得したノウハウの中に色んなエッセンスがあった気がして妙な既視感に包まれていたりする。とても面白いのだ。自分が世の中を変えることが出来ると心底信じているものなので、誰に何を言われても、きっと道が横たわっているはずだという思考しか浮かばないから不思議だ。

今日時点では、信金さんと公庫さんとの協調融資を前提に話を進めている感じである。
それでも25百万円の融資を得るターゲットに対し、それぞれの金融機関での正式な稟議前だが総枠としてざっくり10百万円ほど不足している状況である。それでも、実に楽しい。

店舗造作パートナー選び
その他の活動として例えば現在、初期費用の大部分を占める店舗デザインについて、費用の確度を上げる作業をしている。それは融資先への交渉迫力につながるからだ。店舗デザイン.comというマッチングサービスを利用したら、2日で15件の大中小様々な企業がエントリーをくれた。その中から5社を選定し、残りはお断りをし、面談を始めた。予算を提示しなければ話も出来ない訳だが、まだ概算の概算でありかつ融資がとなる条件付きでこの話は成立しますという、全く我ながら頼りないそれでも何とか自分として信じる事業計画で、それぞれのデザイン会社さんとの話をする。私は飲食の素人であり事業計画はこの様に空中殺法であることを説明し、それでも助けてくれるかということを予め合意した上でコンペを進めることにした。どの会社さんも物件の現場を見ないことには良い提案が出来ないからと現場調査を求めてくるので、5社別々のタイミングで不動産業者さんにお願いをして大家さんに時間をもらう。130分で計測や視察を終えてもらう。今日、全社終えた。6月第1週で提案が出揃うので、1社選定をする予定にしている。

仮にこの物件が他に取られて流れたとしても、今回選考した1社さんと次に浮上する物件をベースに計画を練り直すことにする。そうすることで、同時並行の要素を一つ消すことが出来ると考える。このやり方にしても、誰にアドバイスをもらったわけでもなく自己流の考え方で決めたアプローチである。件の大家さんとしては、まだこれと言って有力な選定候補は私を置いて浮上していない様子である。この5度にわたる内見を積極的な姿勢と評価してくれたらと願ったりする。もちろん大家さんとしてもすぐに家賃収入が発生することがベストであることは百も承知であるが、僕に出来ることは自分という人間のアピールくらいだ。

人繰り
金策に匹敵する大きな懸念は人繰りである。
今日面談をした日系ブラジル人に強い人材派遣業社さんのヒントを頼りに、媒体に広告を出して反応を見ることを方針決定した。このアクションにより、厨房とホールそれぞれのメインキャストにおおよそのあたりをつけたい。きっとこの点は事業の大きなキモになろう。そしてこの人繰りにある程度のメドが付くならば、融資先と話す際にも説得力のある事業内容になる。

■クラウドファンディング
クラウドファンディングのお話はみなさんから提案頂くが、現行話している融資先からはクラウドファンディングはいずれリターンを提供しなければならないため、自己資金として判定されないケースが多い様だ。よってまずは融資+自己資金でどこまで行けるかを確定すべきと自分で考えている。

以上、今現在の私のあり様を、徒然なるままに。

2019年3月26日火曜日

結果は一勝一敗でした

昨日のラブコールに対するお二方の反応は対照的で、結果一勝一敗でした。さてそれぞれにおいて次のプランを考えねば。

Positiveな方は、すぐに話したいとのことで、早速WhatsApp で通話し、あらましがその場できまるという早業。こうしたありがたい姿勢に対しては、こちらからも速攻でお返ししなければなので、紙に落とし込んでポルトガル語で提示するステップを自分で41日までにと区切って回答。


いざお店が始まったら苦難の連続だと思うので、今のこの状態はとことん楽しんで進めないとね!

2019年3月25日月曜日

副社長候補とレシピ提供者候補

会社を作ったので、次はメンバー集めである。
一人は副社長候補、もう一人はレシピ提供者候補。すでにメールは送ってあって、その返答待ちである。

▪️副社長候補
この人はサンパウロ時代の友人の旦那さんで、日系3世。彼とは、僕が駐在している時に間接的な商談機会があって知り合うことになった。

初対面のその日、僕は仲介者としての立場で彼をとある顔の広い日本人に紹介したのだけれど、その面談時の彼が、強烈に印象に残っている。彼自身にとってとんでもなく不利になる発言をしたのだった。その訳を聞けば、『あそこで取り繕っても後々に説明がつかなくなるだろ?ウソはダメだ』とのことだった。

そのことをもって、彼のことを信頼するに十分だったし、その後の付き合いを通してもずっとブレない、印象通りの彼だった。ノビダージのレストラン現場を取り仕切る日系人として、彼以外の候補を思いつかないので、僕としての想いのたけを乗せて今朝オファーした。

▪️レシピ提供者候補
その彼は、サンパウロ外食業界でその名を知らぬ人はいない程の有名人で、6軒のジャンル多彩なレストランオーナーである。全てゼロから作り、星も獲得している叩き上げの人物。

その彼とは、JETROの紹介でサンパウロで会った。彼の経営するレストランのその席で初対面となった。

第一印象は、とにかく目ヂカラがハンパねぇオッサン。50代後半とのこと。

その日は僕がJETROから聞かされていたお題目である、『彼が日本向け投資に興味があって、日本での外食産業playerを俯瞰した絵図を知りたい』というものに対する、あくまで客観的な商社としてのレポートを一通り話して、その後にふと僕の夢であるポルキロレストラン構想をペラペラと語り出した時だった。

彼は突然身を乗り出して、その目ヂカラと共に、
『キミ、やってよ』
へ?

『だからさ、キミが日本で箱を作って、ポルキロをやる。その箱で僕のバールのアイデアも実現してもらう。経営者はキミ。それでいいじゃん』
いや、そんな、僕は帰国したら転職することが決まっていて、未確定なことが多すぎるからさ

『並行してやればいいじゃん』
どうやら、マジで言ってるっぽいね貴方?

『マジだよ』
…1週間考える時間をくれ。

『わかった』

というやり取りを経て、結局1週間の後に正式に断った。やはり、転職前に何かをコミットすることは出来なかった。いくら夢があっても、あらゆる事が空中殺法過ぎるだろうと。

そして、やり手風に構えた彼に対する恐怖も先に立ったという素直なところも、ある。

でも今は違う。
箱出来たし、当時の僕とは違って、今なら彼と対等に渡り合えると思う自分がいる。そして何と言っても、僕のポルキロのレシピに彼のエッセンスを入れて正統性を高めたい。

回答によっては、直ぐにブラジルに飛ぶ構えだし、二人ともNoだったら、その時は他を考えるしかない。


とにかく今は待ちである。

2019年3月23日土曜日

夢に向かって箱を作る

■会社設立とレストラン開業
今月、会社を作りました。
名前はノビダージ株式会社。Novidade Inc.
意味はポルトガル語で新しいこと、something new.
2020年6月までに都内でポルキロスタイルのブラジリアンレストランを開業したいと思います。
現業の(株)マーズフラッグ が主、ノビダージ(株)が副としてパラレルで推進して行きます。

■やること=ブラジルの風を日本に届ける
4年間のサンパウロ駐在生活を経て、私には夢が出来ました。
それが、『ブラジルの風を日本に届ける』ことを仕事にしたい、と言うものです。
この風を運んで成し遂げたいことは次の3つです。
  1. 合理的かつ能動的な食事形態(ポルキロスタイル)により、新しく自由な食事オプションをニッポンの消費者に提供する
  2. 昔の僕の様なニッポンの若き働く世代のみなさんの心身の健康を取り戻し、(僕が実現した様に)その彼らが得べかりし家族との時間を取り戻す契機を提供する
  3. 日系ブラジル人が安心して働ける雇用環境を創出する=ノビダージの従業員には日系ブラジル人を優先雇用

なぜブラジルの風を運ぶのか?
サンパウロ駐在時代の僕には、日々次から次へとイベントが起こりました。具体的には次の様なものです。

●赴任ひと月で激しく血尿が出て手術、執刀医が術後指導の中で運動習慣をはじめとした健康化を導いてくれたこと。以来、走る習慣が身についたこと。

●ポルキロスタイルが提供する野菜たっぷりの食生活が、リバウンド無しの15kgダイエットを助けてくれたこと。

●道端のポンジケージョやふとした一銭飯屋のバカリャウが、死ぬほど美味しかったりしたこと。

●サンパウロの社会全体が、我が家の0歳〜4歳及び3歳〜7歳の二人の子供の健やかなる発育を手助けしてくれたこと。

●高速道路で当時1歳の息子が気を失った時、偶然通りかかった空の救急車が助けてくれたこと。

●2013コンフェデ杯、2014W杯、2016リオ五輪と、自分が住む国でこんなにも短期間で開催されることが稀有なスポーツイベントに運良く出くわしたこと。このレアイベント達が、自分のライフタイムサイクルに俯瞰軸を与えてくれたこと。


そしてこれらに対処すること自体が、極めて自然なライフハック(=quality of lifeを高めるため自ら行う見直し活動or取り組み)になっていたのだと今となっては思います。

一方で、当時の本業であった食品原料貿易という仕事を通しては、実に商売のやりやすい環境下で思う存分に動かせてもらいましたし、達成感も得られました。

ですがそれはあくまで『今までの誰かが成した何か』に水を遣り育てることでありました。なぜ駐在事務所があったのかと言えば、会社の何代も前の先達が成した礎の上に築かれたものでありました。なぜ仕事がやりやすいかといえば、それはブラジルには親日の土台があり、100年以上かけて移民が築き上げた土台に乗っていたに過ぎません。

ブラジルの風に当たって人生を俯瞰するうちに、気がつけば、自らの力でこの社会に貢献したい、インパクトを残したい、と言う思いが頭をもたげてくるのを抑えることが出来なくなっていたのです。

日系人コミュニティに恩返しをしたい
仕事や遊びを通して知り合った多くのブラジル人には、自分の育った故郷の街には、幼少時代に同窓であった日系人子弟が何人か居たという思い出がありました。そしてその日系人『カトウ』とか『ヤマザーキ』とかは、誠実だったとかエラく勉強熱心だったというポジティブなエピソードが必ずと言って良いほど出てきたものです。

また『ジャポネス・ガランチード』(=Japonês garantido)というキャッチフレーズというかコピーみたいなコトバが多く使われていました。かつては差別的なニュアンスもあった様ですが、現代では現地ブリジストンタイヤのTVCMに『ジャパンクォリティ』を誇る象徴として使われるくらい、ポジティブな意味に変化している言葉です。入植直後はポルトガル語もろくに出来ず、生活様式も妙ちくりんな集団であったのが、嘘はつかないわ、やたらと教育熱心であり入植後二世になると医者やら弁護士やらをガシガシ輩出するわで一目置かれる母集団となり、そうして今に至る訳です。

それを座して享受するだけの人生で良いのか?恩返しするべきではないのか?と言うのが、自分の心の底から湧き出た発想です。その恩返しを実行する為に考えたのが、日伯のGapを埋める活動です。我が祖国日本とブラジルとの間には、様々な局面・観点において大きなGapがあり、それを埋めようと努力することは日系社会に恩返しとなるのではないかと確信を持つに至りました。

日伯社会に存在するギャップ
日本から遠く離れたブラジルには、治安の問題など、悪いところが取り沙汰されることが確かに多いけれど、実はそれだけじゃなく、良いところがたくさんあって、そのことを大部分の日本人は知らないと言う現実があると感じています。

例えばヒト。ヒトというか、人々が暮らす社会、とでも言うべきか。
ブラジルでは他人との関わり合いにおいて、ヒトはヒト、が通念として定着しています。
これが非常に心地良い。

向こう三軒両隣監視し合う長屋的な日本社会とは歴史も文化も違うので、一概に良し悪しを語れるものではないけれど、何か道から逸れるとLINEやネットで袋叩きに遭う的な日本社会とは対極に位置すると言えなくもない。

一方で他者に興味がないかと言えばそれは逆であって、道で困っている人の荷物はヒョイと持ち上げるし、地下鉄の席は老人や妊婦、子連れなどであれば四方八方から『ここに座れ』と声がかかるくらいです。断られたらどうしようと言う様な逡巡はそこにはなく、けれんみのないアクションがブラジル人にはある。それはブラジル人の底に流れる自己肯定に裏打ちされた揺るぎない自信という様なものがリンクしていると分析しています。

日本に暮らす日系ブラジル人子息にとっては、学校や職場で直面するこうした日伯社会のギャップが時に息苦しいものとしてのしかかるであろうこと、想像に難くありません。例えばここに、私が埋められるギャップがあると考えるのです。

■『べき論』を排除して人生を『aproveitar』する集団
僕たちノビダージは『aproveitar』これを後押ししたい。
自分たちがそうした集団になるし、我々が提供する場所ではそれを感じて欲しい。
なので私たちはそれをブラジルの風と表現します。

私たちノビダージの希求する世界観は次の通りです:
・家族最優先(これ当たり前だけどね、ニッポンでは言いにくい)
・simpático(いいヤツら)
・tranquilo(平静・こころ静かな)
・flexível (可変・常に変わる・柔軟)
・常識は退化の始まり。常識を地球の裏側から見つめ直す
・ステレオタイプに縛られない
・べき論は捨てる
・規模は追わない
・ヒトはヒト。価値観はヒトそれぞれ。自らの価値観をヒトに押し付けない
・良いものや良い仕組みを世の中に伝える

肝心の金策はこれからです。
走りながら修正していくこともあるでしょう。
ですが法人登記を終えた今日、自らこの場でこの宣言をすることで、自分に推進力を与えるつもりでこれを書きました。

(これを契機にブログに写真と名前を公開しました)

2019年1月6日日曜日

酒を絶って丸2年

もう丸2年が経つ。
20171月にアルコールを断つと決めてから。
当時自分の気持ちの中では1年限定の実験的な試みだったので、これがここまで続くとは想像してもいなかったが、もはや完全に定着した感がある。

ここまでの取り組みについて、まとめてみた。

酒断ちのメリット
・睡眠が抜群に安定したこと
・朝のスタートが抜群に良いこと
1日を通して気持ちがポジティブになれること(これは別途実施中の運動習慣にリンクしている部分もある)
・ちょいと赤提灯へという選択肢自体が無いので、誘惑に負けない(笑)

少し困ること
・何でお酒を飲まないんですか?と聞かれ、もともとノリで開始した実験であり、理由も複数あるので端的な回答に困る
・素敵なBarに出くわした時、『本来の意味でのBar体験』が出来ないと感じること
・乾杯の一杯目だけ少し寂しさを感じること
 (ただ意外にも、酒を飲みたいと思ったことは一度も無い。ノンアルコールビールの存在が大きいのかな)

お酒を通した社交について
当初、自分自身の社交性が失われるのでは?という心配は大きくあった。
それに関する考察は次の通り。
・『飲まないんです』と伝えると、周りは最初一杯目まで色々と言うこともあるが、二杯目以降は皆、忘れている
・自分自身40代になっているので、酩酊することによる冤罪リスクや人に絡んだり同じ話を繰り返すリスクなど諸々のリスクを低減出来ていることを考えると、『行って来い』以上のゲインがある
・学生時代や前職時代の僕の『へべれけ時代』を知っている人からするとノンアルタケイ氏への違和感が暫くは気持ち悪い様だが、それも次第に慣れて頂ける
・ニッポンのノンアルコールビールは非常に良く出来ており、その味わいは本当のビールと相当似ているレベルに進化している。その為、時々酔っ払っているかのような感覚に陥ることもしばしば。それもそうだと思う。人生20年飲酒をして来て、あの味の液体を飲むと酔った感覚に陥るというパブロフの犬的なこともあり得るのだと思う。
・ノンアルを周りと同じペースで飲んでいれば、割り勘でも同じ様なコスト感に仕上がる為、周りが請求しずらくなるという様なことが起きない
・ただ、各お店でノンアルビールの在庫量はさして多くなく、良いピッチでノンアルビールを飲んでいると、在庫が払底するという事象がしばしば発生することになる

断・ポテトチップス
そして次なるターゲットはポテトチップスなのである。
この数年、実は断酒よりも先に取り組みを開始しては挫折、今度こそと始めては断念、を繰り返して来たのがこのポテトチップスである。大好きなのだ。でも、食べ過ぎて調子が悪くなることもしばしば。なので、今年はこれを断ってみようかと。

断酒は、飲み始めたが最後一杯で終わらせるなどという芸当が出来ない自分だからこその、ゼロ百の判断であったわけだが、ポテトチップスも同様で、いざ始めると一瞬で袋食いも全然アリな自分だからこその断腸の思いで実行する断チップス。せんべいだけはOKと言う事で、鶴太郎化を避ける道も用意しつつ臨むことにしたい。

2019年正月)