2021年9月18日土曜日

基本我流、ときどきメソッド

先日、月に一度の水泳に行ってきた。

1kmを25分くらいノンストップで泳ぐことを習慣としている。


ざっくり一月に一度、無性に泳ぎたくなる。

無性にリセットしたくなる、というのが正しいだろうか。


水泳の良いところは、ランニングより純度高く無になれるところだと思う。

そして全身をくまなく使って運動し、関節が伸びる感じがしてとても良いのだ。

つまり心身ともにリセット感があるところが、とても気に入っている。


■水泳の恐怖

子供の頃、私の中で水泳は超がつく苦手科目だった。

小学3年生まで、5mしか泳げなかった。だから水泳の授業が、苦痛で仕方なかった。

水は怖いし、だいたいにおいて授業の日は寒いし、みんなで浴びるあのシャワーは

やけに息苦しいしと。


さすがに5年生になるにあたり、これじゃモテないよなということで一念発起、

町の図書館へ出向いて水泳の本を読み漁り、独学で25m泳ぐべく模索を始めた。


本で座学→町民プールで闇練→別の本で座学→町民プール というのを繰り返しているうちにある事実に辿り着いた。オレは水の中で目を閉じているから怖いのだ、と。


実にバカバカしく、単純な発見だったのだが、これは私の中で人類史で言うところの「火の発見」クラスに大きな出来事であった。


水の中で目を開けるのは痛かったが、怖く苦しく前が見えないよりはるかに良かった。

私は拙いフォームながらも、水の中で目を開けるという原始的な解法を得て、25mを

泳ぐことが出来た。だからといってモテはしなかったが、悪目立ちする様な有様ではなくなっていた。

そしてその後、水中メガネというものの存在に気がつくことになる。。。


■もがいて模索した経験がベースとなること

小学校高学年で、自らブレイクスルーに辿り着いた経験はその後の人生で大きな基盤となった。

世にメソドロジーはたくさんあれど、まずは自分で飛び込んでみて模索して、そうしてから

メソドロジーに頼ってみるのが吉、という感覚が備わったからだ。


傍目にはこれが遠回りに映るかもしれないが、自分にとってはこれが近道だと思う。


ブラジルに4年住んでいる間、ランニングのやりすぎで膝を故障した。

負荷の低い運動を探し、半年だけ水泳教室に通ったことがある。


マリオ先生という元水球ブラジル代表オリンピアンがオーナーですというその教室は、幸にして職場の近くにあった。

しかもそのマリオ直々に教わることが出来るというだけあって、こぢんまりとしたその教室は、サンパウロ中心街区に勤める一般のサラリーマンやOLで賑わっていた。そのマリオ先生に教わって触れたのが、私にとって人生初の水泳メソドロジーであったのだ。


呼吸法、足と手のタイミング、脱力、身体の伸び、どの教えも眼からウロコだった。

その昔小5で読み漁ったハウツー本や、さんざんもがいた時に浮上したクエスチョンマークが、30年経って蘇り、解きほぐされていく、そんな感覚だった。


この時、メソッドが活きる為には、もがき苦しんだ結果としての疑問や不満といった類の累々が、ベースとして蓄積されていなければならないのだと感じたものだ。課題感があればこそ、メソッドが染み込むように活きるという体験をしたのだ。


■習慣としての水泳

さて、今回は貯まったスタンプカードで区民プールが無料で利用できた。

小5の僕からしてみたら、信じられない趣味を持ったことになる。しかも1kmも泳ぐなんて想像だにできないだろう。

これからも自分のゆったりペースで、陸をランニングし、水を泳いで、身体のバランスを保っていきたい。

そして新しいコトに当たる時は、まず我流で取り組んで課題のベースを構築し、そこにメソドロジーを振り掛けて苗を育てたいと考えている。



ふたたび立ち止まる

2018年からギッコンバッタン動き続けてきたポルキロレストラン構想。

今年の6月に、計画を全部白紙にして様子見モードへと移行しました。


その決断に至るまで、遠藤さんとコンビを組成して半年間ほど一緒に走りました。

二人でコンセプトとメニューを磨いて、試作して、幾つかの物件に正式申し込みを入れたが叶わずと

いう状態が続きました。


そうこうしているうちに断続的緊急事態宣言の状況が発生した為にお互いの状況が変わり、

この中途半端な『プロジェクト待ち』のステイタスを維持することが難しくなり、

コンビをいったん解消することになりました。


いろいろな相談に乗って頂いた先輩方、ありがとうございました。

Zoomで意見交換に付き合ってくれた友人達、ありがとうございました。


この構想は、金融機関にNOを突きつけられただけでなく、モードチェンジして狙いを定めた狭小物件のオーナーからも採用されない、客観視すると総合的に魅力の低いプロジェクトであったというのは大きな発見でありました。


私としては本業に勤しみつつ、副業アルバイトは求められたら応じる形で継続し、アンテナと感覚は維持しつつ雌伏の時を過ごします。環境の変化と潮目の流れにしばし身を委ね、なるようになるさ的に構えてみようと考えています。









(わが店にこのロゴを掲げる日を夢見て)