2021年10月29日金曜日

ブログのこと

昨日の投稿には、115件のアクセスがあった。これは結構早いペースだ。自分の考えを公開すると言うことは恥ずかしいことなのだけれど、いざ思い切って実行すれば、こうして反響を手にするというのは、有り難く、嬉しいことである。ネタによって反響の伸びがある時と、全く伸びない時と大きく分かれるのも興味深い。

このブログへと繋がるリンクは私のFacebook上にしか貼られていないので、その大部分が私のFB友人の皆様によるもの、と言う訳だ(オーガニックな外部流入もごくごく少ないが、記事によってはあるにはある)。

2013年の5月、ブラジル駐在前に『ムンド・ノーヴォ(=新しい世界)』を開設、現地で起こる様々な事柄を書き留めていこうと始めてみた。投稿して来た記事の本数は、これで139本目となる。

気がつけばブラジル駐在を終え帰国して転職、副業始めて自分のお店やりたいと、自分の生き方がどんどん変わっていった。だがブログタイトルは変える必要が無かった。新しい世界を覗きに行こうという好奇心は、一貫して変わらなかったからだ。

過去の記事を振り返ると自分のその時考えていたことなどが時系列に連なっているので自分史の整理になるというオマケもついていた。

お気楽に勝手気の向くまま書き進めた結果、開設から全期間で集めたPage Viewは4.9万となっている。一番多いアクセスはブラジルで運転免許を取るノウハウ記事。その次に飲食店開業に向けた会社を作った話。興味深いのは『新ブログ開始!』の初回記事が3位にランクインしていること。これはどういうことなのだろう。

ま、引き続き気の向くまま綴っていきたい。


2021年10月28日木曜日

遠くを見る覚悟

■失敗者は知っている

禁煙、ダイエット、英会話などの外国語、自己啓発の各種メソッド…それらを語った本は世に数多あれど、その本質はあまり語られていない気がする。


私はダイエット失敗者でありその後に成功者となった身なのでそれがよくわかる。なぜ過去の自分は出来なくて、8年前の自分には出来たのか。その違いを自らの体験で身をもって知っている。


また、外国語について言えば現在においても継続しようとして何度も失敗している中国語、これは現在進行形で失敗者である。だが過去には英語、ポルトガル語と成功事例を持っている。そのため、私は成功の本質を見抜いていると言える。


その本質とは、遠くを見る覚悟なのだと思う。


手前はウンザリすることばかり

いざ何かを始めたときに、日々の進捗に目を当てすぎるとガッカリしてウンザリして嫌になる。だから、遠くに目を向けることが大切なのだ。


運動習慣や勉強を始めて1週間で成果など出る訳がない。一週間で体重計に乗ってみたりテストに取り組んでみたりしてもガッカリするだけだ。それでも日々のアクションを愚直に月単位、年単位で継続できる仕掛けが必要なのだ。


いざ何かを始めたら人間誰しも即効性のある効果が欲しくなるものだ。それゆえに、『すぐに上達するナニナニ』などと言う本が存在しているのだろう。


でもそのマインドにはフタをしなければならないのだ。遠くを見つめることで、クレクレの自分を封印し、泰然とコトに取り組む仙人と化す、これこそが成功の本質に他ならないのだ。


山の頂、麓から見るか遠くから見るか

高い山の頂上を麓(ふもと)から眺めたときの目線や首の角度は、かなり急角度に上を向く形になる。けれど100km離れた富士山を眺める首の角度は、自ずと穏やかで無理のないものになっていることだろう。そしてその焦点も、遠くにあるからぼんやりしていることだろう。


遠くの頂を、自然な目線でボンヤリ見つめる。


これこそが継続の極意だと私は考えるのだ。


■頂のすり替え技

本質は上述の如しであるが、ここから少し応用の話を。


私のダイエットは血尿体験とともにある。

これがまた良かった。


と言うのも、医師に血尿対策(実際には腎臓結石対策)として運動+食事制限をせよと言われ、それを愚直にこなしていたら結果的に15kgダイエットに繋がったからだ。


つまり、運動を始めたときには違う頂を見ていたのだ。『健康山』を見てはいたが、『ダイエット山』は見ていなかったのだ。


これは『ボンヤリ眺め』の権化である。ラッキーだった。8ヶ月継続して、気がついたら15kgダイエットに繋がっていた。その間、服がダブダブになったりお腹が明らかにサイズダウンしていたりして実感は先に来た訳だが、体重計に乗ることは敢えて避けた。8ヶ月先を楽しみにしようと思えたのだ。


こうしたすり替え技は、自らのクレクレマインドに蓋をする上で大いに役立つことだろう。


それでも難しい継続

とまあしたり顔でそんな事を書いていても、いまだに中国語は手付かずに等しい惨状を呈している。乗って来ない自分が居る。


ゴルフは遠くの頂を眺め続けて頑張って10年継続したが、大きな成果は得られなかったし、次第にライフスタイルとも合わなくなってきた。だからスパッと辞めた。水泳は30年かかって(笑)独力でなんとか形には出来た。エクセレントではないが、自分がなりたかった形には近いものになった。


人間には向き不向きがあって全部取りは出来ない訳で、捨てるものは捨てたら良い。未練はつきものだが、そこはドライに選択すべきだ。


人生の時間は限られている。効率よく割り当てなければならない。


すぐに成し遂げられるコトなど、存在しないのだという認識も、大切なのだろう。また、なかなか到達しないコトを楽しむ余裕も、大切な要素かもしれない。


あの手この手で移り気な日々の自分をマインドコントロールして、遠くを眺める覚悟を継続出来る、ノリが合う、なりたい自分像に近付ける、そういうコトに、これからも視点をボンヤリと取り組んでいきたいものだ。

2021年10月14日木曜日

さといものナントカ煮

責任感とは何か、11歳の頃、恩師に教えていただいた話である。

小学校の頃、私は給食が楽しみで仕方のない子供だった。下手したら朝登校する前から、ずっと給食のことばかり考えている子供だった。

そしてそれが高じて、5年生のある日自ら思い立ち、毎朝やるホームルームの中で、教室に掲示してある献立表の中から当日のメニューをみんなの前で読み上げるという『今日の献立』なるコーナーをやりたいと担任に申請し、承認をもらったのだった。

なんのことはない、日直さんが司会をする会のおわりくらいに前に出て行って、その日のメニューを読み上げ、『◯◯は実に1ヶ月ぶりの登場です』とか『なおこのメニューは先生も好きだと聞いております』とかなんとか付け加えておしまい、ただそれだけのことである。

日替わりの日直とは違い、毎日のレギュラー枠を獲得する話だ。もともと目立ちたがり屋だったというのと、朝からメシのこと考えてみんなで景気つけようぜ的な発想だった様に、当時のことを記憶している。いずれにせよ、毎朝みんなの前に立って気の利いた(少なくとも自分ではそう思っていた)コメントが出来るというのは、この上ない喜びであり、毎日意気揚々とネタを考えつつ学校に通っていた。『茄子は今年豊作ですからね、嫌いでもしっかり食べなくちゃいけませんね』なんて言うコメントも確かわりとウケた様に、記憶している。

コーナーも無事に立ち上がり、巡航モードになりつつあった、たしか2ヶ月目とかそのくらいの出来事だったと思う。ある日、当日の献立に私が読めない漢字があることに気が付いたが、発表の際にそのまま『・・・と、さといものナントカ煮です』などとごまかしを打ったのだった。

そこに烈火の如く『バカモン!』のいかづちを食らわせたのが当時担任で翌年6年生も見てくれることになる吉田勝俊先生だった。曰く、『自分で作った仕事、責任を持ってちゃんとやらないでどうする!下調べしないでことに臨むとは何事だ』とのことで、そんな責任感の無いヤツにコーナーをやらす訳にはいかん!と私はその場でコーナーを剥奪されたのだった。

これが人生で初めて責任感というものについて教えて頂いたタイミングであった。なるほど、仕事とはそういうものか、と深く感じ入り、私は調子に乗って毎朝喋っていたコーナーを剥奪された恥ずかしさと反省とがないまぜとなった涙を、すごすごと戻った席でひとり流したのであった。

今日ふとこの思い出が蘇った様に、この吉田勝俊先生の教えは、これまでの人生の様々なタイミングで何度も蘇って来た。その都度、吉田先生と過ごした2年間に頂いた他の多くのご示唆と共に、心の中で風呂敷に包み直して、改めて大切にしまい直すのだった。

2021年10月11日月曜日

人生初のバイクを買おう!からの二輪免許取得の話

■移動手段の確保

少年野球のあれこれについては前回書いた。

何はともあれ、ムスコ氏は楽しく毎週チームの練習に通っている。


ところがやや遠方のチームを選んだために、送迎の足が必要である。

我々のチームには決まった練習場が無い(多くの新興少年野球チームには固定の練習場は無い。逆に伝統のあるチームには代々地域のどこどこグランドを優先的に使える様になっているといった関係性が構築されていたりする)為、毎週土日祝午前午後、あちこちに移動する必要がある。ほぼ毎週、なんらかの試合が組まれたりするので、相手チームの本拠地まで足を伸ばしたりする必要性も出て来る。


家には妻も娘もいるので、車を持ち出して練習の時間帯駐車しておくと、残された家族が不便する。

かといって妻に私と息子をポトリと落としてもらうにしても、終わる時間で迎えに来てもらわねばならず、結局家族になんらかの不自由を強いる形となる。


つまり毎度、片道10〜20kmほどの道のりを移動する必要があり、車だと不便で不経済。同じチームのパパさん達はバイク二人乗りで送迎している。私もその利便性を手に入れたく、よし!バイクを買おう!と思い立ったのである。


■バイクの免許

まずは免許である。

今まで全く関心を持ったことのなかった二輪の免許。


調べてみると、二人乗りが出来る最小規模のバイクとは、125ccを指すのだという。

原付二種とも呼ばれるカテゴリーの様だ。

(四輪の普通自動車免許で乗れる原付は、50ccまで。この制限速度は30km/hで、二人乗りはできない。)


私のケースの場合、必要となる免許は、『小型限定普通二輪免許』である。

四輪の普通自動車免許を持っている人は、試験場へ行き一発試験に臨むか、教習所で実技のみのコースを受講するか、の選択肢があるのだという。一発試験は求められる技能の難易度が高く、私の様なバイク素人のケースなら、教習所がベターということになる様だ。


地元の自動車学校の門をたたき、早速入学金87,000円程度を持って登録に向かう。

ここは妻が15年前に自動車免許を取得した教習所だったので、なんと家族紹介割引が適用となった(▲6,000円!)。


短縮コースだと5時間程度で済むが割増料金を支払う必要があり、かつ今は混んでいるからたいして早く終らない、とのこと。

なので結論として、8時間受講の通常コースとした。息子と二人乗りするのはスクーターだけの想定なので、オートマ(AT)限定にした。なお、8時間とは実技だけで、自動車免許がある人は、学科が免除となるということでこれは嬉しい。


■コロナ x 自動車学校

受付の方から私の受講動機を聞かれそのまま説明したら、『子供さんの送り迎えとは、珍しい理由ですね』とのことらしい。ほとんどが通勤に使うといった理由なのだそうで、そのまま少し雑談となった。目下コロナ禍において教習所は空前の二輪ブームなのだそうで。新たにパーソナルな通勤手段を手に入れたい向きが押し寄せているということと、「リモート勤務で時間が出来た」からなのだとのこと。


リモート勤務で時間が云々というのは、通勤にかける往復の移動時間が無くなったということを意味しているのだとは思うが、ひょっとするとそうじゃ無い人もいるのかもしれないなぁなどと勘ぐってしまったりした。いずれにせよ、若者がクルマ離れしていると言われる状況で自動車学校が客を取り戻したというのは良い話だし、なんだか現代の風吹けば桶屋が儲かる的なヤツだと感じ入ったりした。


■ヘルメット購入

1時間目は適性検査、2時間目から実技なので、それまでにヘルメットを買って持ってきてくださいと。


はて、二輪のヘルメット。私の場合、人生で初のアイテムである。いったいどこで買うんだ?から始まる訳である。ネットでも販売は多いが、何しろ試着も出来ないので初回購入には不適である。イエローハットの二輪版である2りんかんというお店があるのを発見し、ネットある程度下調べした上で、安すぎず高すぎない名の知れた国産メーカーのものを購入した。


細かい話だが、教習所には教習期間中を通して1,000円で借りられるロッカーがあり、そこにヘルメットを置いておける仕組みがあって、これは大いに助かった。


■教習はじまる

周りの受講生は、学生ばかりということはなく、30代〜40代と思しき男性も割と多かった。

四輪の受講生はほぼ学生さんばかりという印象だったが、二輪についてはそうではなく、なるほど受付情報通りでさもありなんといった感じの年齢層であった。


受講生2名に対し、同じバイクに乗った教官が一人つく。インカムで指示をもらいながら、坂道、クランク、T字、急制動、障害物、一本橋などの課題をクリアしていくというものである。実際に乗る教習車は、HONDAリード125という定番とも言うべき車種が採用されていた。これが人生初めての125cc乗車経験だったのだが、新しい車両で加速も良く、毎時間とても楽しい体験だった。この教習、私としては自動車の運転で実際に使う交通法規に精通していることもあって、心理的な負担は低かった。


ただ、混雑しているという前評判通り、次のコマの予約が2週間後からしか空いていませんなどという状況になっており、一コマも落とさずに進んだわけなのだが、最終的に卒業したのは7月アタマに入所してから2ヶ月後のことだった。


■卒検

8時間目は卒検ということで、これまで教習で習ってきた技能を披露する場となる。

一人ずつ後ろに教官がピッタリくっついて、インカムでコースを指示していく形をとる。

大型、中型、小型、それぞれAT限定含めて16人ほど集められ、ゼッケンナンバーごとに一人ずつ試験をこなしていく。


ゼッケン7番だった私は、4ターン目だったということで大いに緊張した。

44歳にもなって、試験会場でドキドキするなんてことがあるんだと改めて新鮮な思いを持った。

緊張している間、『いやいやいや、これだけ仕事でもタフな状況をくぐり抜けて来た自分、緊張なんてするわけないじゃない、そもそもイージーな試験なんだから。小型だよ、しかもAT限定だから』『緊張するのは失敗をイメージするからだ。成功だけイメージするのだ』などと自己暗示にかけても全く緊張は消えず、我ながら情けない小心者だと再認識した。


結果発表は一斉で、合格者だけ呼ばれ、部屋へと誘導される。不合格者は教室に入れず、再度予約をすることになるのだろう。

印象として、1/3くらいは不合格だったと思われる。割と厳しい試験結果だ。


■運転免許試験場

教習所の卒業証書、卒業時に併せてもらった各種書類を持って平日の運転免許試験場へと向かう。

08:30開始とあるが、こういうものはだいたいその前から開場するものだと08:00を目指して二俣川へ。

案の定、08:00過ぎには開いていた。証紙購入、写真撮影、キオスク端末での暗証番号入力、ちらほらと見かける外国人の方は都度不安げに質問するが、係官の応対は冷たい。日本語が母語じゃない人に対して、そんなに早口な回答はないだろう・・・などと気持ちがざらついたりしながらも、11:00前に晴れて交付を受けた。

2021年9月30日、これが私の小型自動二輪免許の交付日だ。


■タンデム解禁まで1年

バイクの二人乗りを、タンデム走行と言う。

ここで私の様な取り組みをしている人間が理解しなければならない重要なルールがある。


二輪免許の交付を受けてから1年間は、タンデム禁止と道交法で決まっているのだ。

つまりこの息子とのタンデム少年野球プロジェクト、実に1年がかりなのだ。


いまは3年生の秋。

タンデム送迎が可能になるのは、4年生の秋。

そこからタンデムで色々と出来るのは、引退までの丸2年ちょっとという計算になる。


まぁ、それだけ出来れば十分楽しめるだろう。

父親との想い出の一部に、タンデムバイクでいろんなところへいったなぁというページが加われば、それだけで嬉しい。多感な時期に本人も楽しいと思えるであろうバイク体験だから、強く残ってくれたら幸いだ。


1年後を見越したバイクの購入計画については、次の回に書こうと思う。

2021年10月8日金曜日

少年野球について感じる違和感

野球狂想曲

小三の息子が野球を始めて半年になる。

3ヶ月ほど最初のチームに所属し退団、1ヶ月ほどチーム浪人生活をする中で、様々なチームを広く見学し、その上で選んだチームに入り2ヶ月が経過した。


今のチームはPCGPlayers Centered Games)という新たな概念に沿って運営されているチームなので、違和感は少ない。


だがサッカー部出身の私がここ半年で覗いてみた野球業界のあれこれは、相当に違和感の連続だった。


これは自らが所属したチームからの経験則ではなく、試合の対戦相手を通してみたり、見学を通してみたりして、数多くのチーム(そこにいるオトナ達)を観察した上で得た感想である。


これら違和感を感じたというのは、異種スポーツ出身という背景のみならず、私の仕事がネットベンチャーであり、日々updateすることを生まれながらに宿命付けられた存在であるというのも、ひょっとすると関係しているのかもしれない。


いずれにせよ息子はいまとても楽しく野球に取り組んでいるので良い状況なのだけれど、それはそれとして私が感じた違和感をここにシェアしたいと思うのだ。


野球の魅力

というのも、その昔自分の幼少期、サッカーを本格的に始める前、近所の空き地や路上でプラスチックバットとゴムボールで友人たちと三角ベースみたいなことをして飽きもせずひたすら遊んだ記憶があって、今回自分の息子も興味を持ったように、野球は本来、子供たちを惹きつける要素をたくさん持つスポーツであったはずである。


だがおよそ35年の時を経た私の目に映った野球業界は、驚くべきガラパゴス文化のカタマリであったというのが、なんだかとても残念に思うからである。


違和感を構成するエピソード・サッカー経験者から見た野球あるある(個人的見解)


・野球をする子供達は、常にガミガミ何かをオトナ達に怒られている(サッカーも厳しいチームは厳しいが、少なくとも箸の上げ下ろしにガミガミ的なノリは無い)


・野球をする子供達は、他のスポーツに比べて褒められることが極端に少ない(ダメ出しをされる件数が褒められる件数を極端に凌駕する、と言えば的確だろうか)


・野球は一個一個プレイが止まるので、その都度お説教の様な時間が出来てしまう(サッカーは流れが大事なので、ピタリと止めることはそうそうない)


・野球には、覚えることやしきたりがたくさんある(それ故に子供たちの中にも年功序列的ヒエラルキーが形成されがち)


・例えば、試合中のバット引きやボールボーイといった丁稚作業を経て初めて一人前といった認識があったりする


・野球は頭でするものだというオトナから見ると、ミスをする子供は、ボーッとしているからつまり頭を使っていないから失敗するのだと分析される(子供は失敗するもの、という考え方はどこか遠くにうっちゃられている)


・野球経験者は、『キッチリ』していることを求める。それ故に、『キッチリ』していない子供をひどく叱る(それが低学年カテゴリであっても)


・整列の時につま先を揃えて並ばなければならない、ヘルメット 、バット、グローブは綺麗に並べなければならない(その方が気持ちが良いだろう?強いチームはそういう事が出来ているのだゾと言う)


・野球経験者は、そつのないプレイを尊ぶ風潮があり、そつのない『ちゃんと』した『良い子』のプレイヤーが褒められる(そうするとオトナの目をビクビクと常に意識して器用なだけの子供が量産されてしまう気がするのだが)


・オトナはオトナの視点で技術指導をする為、積み上げが効く世界観前提でロジックを組み立ててしまう(子供の時なんて、昨日出来たことが明日突然出来なくなるなんてざらのはずなのに。積み上がっていないとなじられる)


・オトナはかつて自分も子供だったことを忘れてしまう(嘆き節やボヤキ節が中心となり、ネガティブな言論が大勢を占めやすい。何故なら子供には出来ないことが多いから。かつて自分もそうだったはずなのに)


・自分の息子に対して、異常に熱くなり、暴言を吐くパパコーチが居て、それを周囲は黙認する


・チームによっては監督コーチも罵声指導をしたり、今のはなんでだ?と20回なじるなどの追い詰めアプローチを取ることが黙認されていたりする(低学年に対しても)


・子供たちが『楽しく』野球に興ずると、『ゆるむ』から、『怪我をするモトだ』ということなのであるからして、『引き締めて』やらねばならないという言説が定着している


・『どうせやるなら勝たないと意味がない』という言説が定着しているチームが少なからず存在している(果たして本当にそうなのだろうか)


・軍隊的な規律を持ったキビキビとした行動を取ることが、『爽やかで気持ちの良い野球青年』像であり、細かい点にまで気の配れること、それが上手い野球に繋がり、そういう意識を持ったメンバーが揃うと強いチームが出来上がる、という言説が定着している


・朝、犬の散歩で歩いていると、近所のグランドで自分の息子と思しき4年生くらいの少年に千本ノックみたいなものを浴びせ、肉体的にしごきながら精神的にも罵倒して人格否定している親と出くわすことがある。そして私はその様な親子を少なくとも2組は知っている。その『練習』が終わって帰るシーンにも遭遇したことがあるが、親はさっさと一人で帰り、後片付けは全部息子にやらせる。巨人の星的なイメージを背負ってのことなのだろうか。その光景を見るたびに、毎度涙が出そうになる。


・試合の時、母親がベンチの首脳陣にお茶を出す文化が残っていたりする


・さすがに今は無いとのことだが、監督の試合弁当を選手の母親が当番回り持ちで作っていたチームもあったとかなんとか(これは噂だけ聞いた。都市伝説かもしれないw


・・・などと並べてみたが、みなさんにはどう映るだろうか。


野球素人が何か言っとるわ、かもしれない。

そういう甘いことを言っているから、強くなれない、というのもあるのだろうか。


まぁ、それでも尚私が言いたいのは、上記の事柄に触れるたびに、強い違和感とストレスを感じました、そして業界素人の私にはそれらを表明したり共有するのはとても難しい事でした、ということである。


野球で対峙するもの

ここでふとある考えが浮上した。

サッカーと違って、野球には相手以外に対峙するものがあるから、こういう空気が出来上がったのでは無いかという仮説だ。

それは『時間』だ。


『キッチリ』とか『ちゃんと』しなければならないのは、このスポーツは時間を相手にして戦うものでもあるからなのではないか、と。


サッカーなら相手を崩して相手より多くのゴールを挙げれば良いが、野球は攻撃側なら打撃+走塁というワンシーンの中でやらなければならないことが存在していて、守備側なら走者が塁に到達する前に捕球して送球して受け手が捕球して触塁しなければならないと言う様に。


サッカーが概して個性に対して大らかなのは、そういう違いがあるからなのだろうか。


サッカーで指導が厳しくなるとしたら、せいぜい相手に対するファイトの部分とか、体力トレーニングに対する自らへの向き合い方、といった要素になって来る。


だとしたら、野球チームの指導がなんだか『世知辛く』なってみたり、時として指導が人格にまで及び兼ねないというのは仕方のないこと、と言う風になってしまうのだろうか。


だとしたら、子供が野球から離れてより自由で大らかなスポーツを選んでいくと言うのは避けられない流れということになってしまうのだろうか。。。


チーム方針

結論として、親としては、数あるチームの中から、子供の個性に合ったチーム選びをすることが肝要だということになろう。


だけどこの結論をもって、『チームの運営方針はそれぞれだから、個々のチームの方針に異を唱えるつもりはない』という風には終わりたく無い。


今の時代に上記の様なムードで運営されているチームが存在するのは、野球人口の減少に繋がると考える。


現に、日本の少年野球チーム数は減少の一途を辿っている様子である。


私の様な未経験のオトナが深く入り込んで意見するにはハードルが高く、外部の声や血が、入りにくい業界でもある。


自己変革や改革が出来にくいのはそうした外様の風が吹かない業界特性も手伝っているところもあるだろう。


いずれにせよ、私はこの違和感を背負ったまま、いま小三の息子がこれから卒業までの3年半ほどをこの野球業界で過ごすことになる。

現在息子が野球を楽しんでいるのは大変ありがたいことだ。


なので、これからも野球業界のあるあるを眺めつつ、問題意識を抱えながら、息子の成長に寄り添って行けたらと考えている次第だ。


2021年10月1日金曜日

飲食店のサービスマンとして思うこと

今日もランチタイム、『パサドール』というお肉を提供する役目を担って働いた。副業の飲食店バイトである。

■『パサドール』の仕事

来店予約の時間と人数から逆算して必要分量の生のお肉をサーベルに刺し、岩塩を振り、シュハスケイロという専用のグリルにあらかじめ投入しておく。

お客様が来店し、サラダバーを取り、着席し、ドリンクが提供され、テーブルの上のyes/noのチップがグリーンになり、肉皿がセットされたら我々パサドールの出番である。

焼き加減を目視、良き頃合いにてグリルから出し、専用のパレットもしくはまな板に乗せ、よく研いだナイフとトングを装備し、テーブルへと出かけるのだ。そしてすぐに戻っては次のお肉を投入し、提供の進み具合を見ながら切れ間なく食べ放題のお肉をサーブし続ける、それがパサドールの仕事である。

■パサドールが提供するサービスとは

グリルから提供する品目は15種類ある。それらを提供する順序は、お店のノウハウに基づいて設計されている。複数テーブルがあってそれぞれの来店時間も違えばチップがnoになっていることもあるので、完全に順番通りとも行かず、臨機応変な対応が必要となる。

常連さんなどはお気に入りの部位があったりするし、方々から都度リクエストが入ったりする。いずれにせよ、我々の仕事は、ベストな焼き上がり状態のお肉を求められているタイミングで各テーブルにお届けすること、これにつきる。

社会人となって20年単位の日々が過ぎると、いつしか仕事の接待やプライベートなどで高級店での飲食シーンは増えていて、客としての体験ばかりが嵩んでいた。それがいざサービス提供側に回るとその視点は逆転することになる。

ことブラジルのシュハスコレストランとなると、自分自身ブラジル全土のさまざまなチェーンに行き倒したということもあり、またその場でツアコンとして日本人顧客にシュハスコの魅力を代弁していた経験も伴うとあって、いざ提供する側となると、語りたいことはこんこんと湧き出してくるのである。

なのでお店に入る時には、顧客としての経験とブラジル時代の経験を元に、自分なりにいくつかの工夫をしている。

■アイコンタクト

まず、挨拶の際のお客様とのアイコンタクトである。しっかりとアイコンタクトしてくれるお客様は、店員とのある程度の会話を許容する。逆に最初のアイコンタクトが軽めであれば、接待などの会話を重視したい意思の表れでありこちらからの介入は最低限にすべきだ。仕事仲間か、接待か、プライベートか、その会食の主旨によって、サービスの濃淡は変えるべきだ。

■一言でわかるアイテム説明

次に、アイテムを運んでテーブルに入るたびに発生する商品説明である。それぞれの商品ごとに、一言で伝わるキラーフレーズを幾つか自分で開発して用意している。例えば看板商品ピッカーニャなら「いよいよ一番人気が来ました」やノリが許されるテーブルなら「キング・オブ・シュハスコ来ました」だったり、カイノミなら「脂少なめ肉汁タップリ」などなど。

長い説明は聞いてもらえないし、真面目な説明もつまらない。これはどこか営業シーンにおける質疑応答への返答と似ていて、とにかく喋り出し一発目でキャッチーに仕留めなければならないのであって、企業の役員と偶然乗り合わせましたという『エレベーター・ピッチ』になぞらえても良いだろうか。

お客様が逆にもっと知りたいみたいになって、質問してくれたら少し真面目になって情報をインプットするチャンスだ。

「キング・オブ・シュハスコ来ました」

「え?なんですかソレ」

「ピッカーニャ・腰からお尻にかけての柔かい部位で、日本ではイチボと呼ばれる希少部位です。ブラジルではピッカーニャの質がそのシュハスコレストランの価値を決めるという程のシグニチャー・ミートなのです。だからキングなのです」

「へー w」

「ちなみにこのイチボ、当店ではこの岩塩だけで焼いたものと、ガーリック味・ブラックペッパー味の3種類ご用意があり、余すところなく提供しております。どうぞお楽しみください」

などとテーブルを後にする。

このやりとり、たいした時間はかからないが、会話のキャッチボールに折り込むことで、膨大な情報量を自然にインプット出来る。

このテーブル、次に違う種類の肉を持っていけば、たいていの場合において、「次のこの肉はどんな肉なんですか?」とウンチクを聞かれることになる。

その様にして聞かれたら、第二弾を恭しく開陳するのである。もし聞かれなければ、仲間内の話が盛り上がっているか、私のことを嫌だと思ったかのどちらかと判じて、その場をサクッと離れるw

もし自分が大学生アルバイトだったら、こうは行かなかっただろうということばかりだ。実際に共に働くパサドール仲間達は、日本の大学生か、本国から派遣されているブラジル人、そしてフリーターの20代の人なんかで構成されている。サービスのバリエーションはそれぞれ違ったほうが良くて、全員が私みたいなことをやったらそれこそくどいと嫌われるだろう。

■ライフタイムバリュー

いま自分は、このお店が大好きで、日々対峙するお客様がお店のファンになってもらいたいと心底願ってサービスをしている。一発勝負でおしまいではなく、ライフタイムバリューを上げることこそが顧客とお店(会社)双方の理想形つまりwin-winな関係に他ならないと信じている。

ブラジルを愛し、ブラジル料理を愛し、いつかブラジルレストランを自分でやりたいから、心からのサービスを一期一会で出し切る、そんな思いでやっている。

またそれと同時に、初対面のお客様と話をするときに、22年間の法人営業のノウハウをフル活用してそのシーンを楽しめている自分がいることも認識している。それらの情熱をフルで駆使してシフトに入る私は、やはり明らかに浮いた存在なのである(笑)