■失敗者は知っている
禁煙、ダイエット、英会話などの外国語、自己啓発の各種メソッド…それらを語った本は世に数多あれど、その本質はあまり語られていない気がする。
私はダイエット失敗者でありその後に成功者となった身なのでそれがよくわかる。なぜ過去の自分は出来なくて、8年前の自分には出来たのか。その違いを自らの体験で身をもって知っている。
また、外国語について言えば現在においても継続しようとして何度も失敗している中国語、これは現在進行形で失敗者である。だが過去には英語、ポルトガル語と成功事例を持っている。そのため、私は成功の本質を見抜いていると言える。
その本質とは、遠くを見る覚悟なのだと思う。
■手前はウンザリすることばかり
いざ何かを始めたときに、日々の進捗に目を当てすぎるとガッカリしてウンザリして嫌になる。だから、遠くに目を向けることが大切なのだ。
運動習慣や勉強を始めて1週間で成果など出る訳がない。一週間で体重計に乗ってみたりテストに取り組んでみたりしてもガッカリするだけだ。それでも日々のアクションを愚直に月単位、年単位で継続できる仕掛けが必要なのだ。
いざ何かを始めたら人間誰しも即効性のある効果が欲しくなるものだ。それゆえに、『すぐに上達するナニナニ』などと言う本が存在しているのだろう。
でもそのマインドにはフタをしなければならないのだ。遠くを見つめることで、クレクレの自分を封印し、泰然とコトに取り組む仙人と化す、これこそが成功の本質に他ならないのだ。
■山の頂、麓から見るか遠くから見るか
高い山の頂上を麓(ふもと)から眺めたときの目線や首の角度は、かなり急角度に上を向く形になる。けれど100km離れた富士山を眺める首の角度は、自ずと穏やかで無理のないものになっていることだろう。そしてその焦点も、遠くにあるからぼんやりしていることだろう。
遠くの頂を、自然な目線でボンヤリ見つめる。
これこそが継続の極意だと私は考えるのだ。
■頂のすり替え技
本質は上述の如しであるが、ここから少し応用の話を。
私のダイエットは血尿体験とともにある。
これがまた良かった。
と言うのも、医師に血尿対策(実際には腎臓結石対策)として運動+食事制限をせよと言われ、それを愚直にこなしていたら結果的に15kgダイエットに繋がったからだ。
つまり、運動を始めたときには違う頂を見ていたのだ。『健康山』を見てはいたが、『ダイエット山』は見ていなかったのだ。
これは『ボンヤリ眺め』の権化である。ラッキーだった。8ヶ月継続して、気がついたら15kgダイエットに繋がっていた。その間、服がダブダブになったりお腹が明らかにサイズダウンしていたりして実感は先に来た訳だが、体重計に乗ることは敢えて避けた。8ヶ月先を楽しみにしようと思えたのだ。
こうしたすり替え技は、自らのクレクレマインドに蓋をする上で大いに役立つことだろう。
■それでも難しい継続
とまあしたり顔でそんな事を書いていても、いまだに中国語は手付かずに等しい惨状を呈している。乗って来ない自分が居る。
ゴルフは遠くの頂を眺め続けて頑張って10年継続したが、大きな成果は得られなかったし、次第にライフスタイルとも合わなくなってきた。だからスパッと辞めた。水泳は30年かかって(笑)独力でなんとか形には出来た。エクセレントではないが、自分がなりたかった形には近いものになった。
人間には向き不向きがあって全部取りは出来ない訳で、捨てるものは捨てたら良い。未練はつきものだが、そこはドライに選択すべきだ。
人生の時間は限られている。効率よく割り当てなければならない。
すぐに成し遂げられるコトなど、存在しないのだという認識も、大切なのだろう。また、なかなか到達しないコトを楽しむ余裕も、大切な要素かもしれない。
あの手この手で移り気な日々の自分をマインドコントロールして、遠くを眺める覚悟を継続出来る、ノリが合う、なりたい自分像に近付ける、そういうコトに、これからも視点をボンヤリと取り組んでいきたいものだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿