『コパ・ムンディアル』・・・
1980年代にサッカー少年だった向きにはこの響き、憧憬と共に甦るのではないだろうか。コパ・ムンディアルとは、アディダスのサッカースパイクの商品名で当時の超高級品、カンガルー皮製で価格は2万円と、当時プーマのパラメヒコと並び称された名品である。当時履いている人間を見たことが無かった。寝る前にベッドの上でアディダス社のカタログを見ながら巻頭を飾るその写真を穴のあくほど眺め、「うぉー、履いてみてー!」とゴロゴロのた打ち回った経験をお持ちの方も少なくないだろう。当時のサッカー少年は、コパ・ムンディアルの意味やそれが何語であるかには全く頓着しなかったが、その語感は強烈にインプットされていたのであった。
そのコパ・ムンディアル/コパ・ド・ムンドつまりサッカーワールドカップが、いよいよ来週当地ブラジルで開幕しようとしている。小学校3年生から父親の影響でサッカーを始めてからサッカーは常に身近なものであり続け、社会人2年目には日韓ワールドカップがあった。そして自分がブラジルに移り住んだら一緒にW杯もついて来た(笑)。つくづくラッキーだと思う。このイベントについて、少し書いてみたい。
・お祭り騒ぎは見られない
開幕を間近に控え、サッカー大国ブラジルはさぞかし盛り上がっているでしょうと方々から質問を受けるが、答えはNOである。国民は冷めた視線をイベントの主催者であるブラジル政府に送っている状況だ。
昨年のコンフェデ杯開催時にはブラジル全国で中流層・学生を中心とした一般市民によるデモが発生し、国は大混乱に巻き込まれた訳だが、国際的に注目が集まるこの一大イベントをターゲットとして再度メッセージを発信しようとする勢力は多いと言われている。通常であれば4年に一度の国威発揚のタイミングであるこのイベント前にはブラジル国旗がいたるところに掲げられ、道行く車にも日本の正月宜しく国旗がたなびく、そんな光景が見られるはずが、今回は自国開催であるにもかかわらずそれが見られない。市井は警戒ムード一色なのである。
・誰の為のコパ?
「ブラジルに必要なのは学校・病院、そして治安改善。スタジアムは不要、いったい誰の為のコパ(ワールド杯)?」というメッセージが国民を取り巻いている。また今回のW杯とリオ五輪との開催が決まった2007年・2009年に比べると失速感が否めない現在のブラジル経済を取り巻く世相も、お祭りに浮かれてはいられないというムードを増幅している。国家経済の前途が不安な今、ゴージャスなFIFAクラスのスタジアムを大盤振る舞いで建設している傍らで学校、病院、刑務所などの社会サービス施設が大幅に不足しているのであるからして、税金の使途についての不満が高まるのも当然と言えよう。加えて、皮肉にもここ数年の低所得者層に対するバラマキ政策が功を奏した結果、中間層が増加し、この中間層が声を強めているという状況も無視できない。
ブラジル政府は大会期間中、大量の警察官を投入して治安維持に努めるとの方針を発表しているが、5月21日には8つの州で文民警察官の労組が待遇改善を求めてストを実施するなど足元からぐらつくまさかの事態も発生、不安要素は払しょく出来ない。ブラジル代表の活躍を一番求めているのは、そうしたアラを隠してくれる効果を期待しているブラジル政府だというのは、今や市井の一致した見方であると言えそうだ。
(シナリオB)
一方で、この国の人々の動きが、もう一つの展開を見せる可能性も無くは無い。
ブラジル人は「見栄っ張り」なので、本性を隠しているだけだと。
本当はサッカーに熱狂したくてしょうがないし、ブラジルが優勝すると信じている。
でも自らを中流層と自認する人々は、社会派ぶって教育問題を語り、デモに参加し、下賤なサッカー及びW杯を否定している。
しかしひとたびブラジル代表が大躍進を始めたら、国民は大興奮に巻き込まれ、社会問題は無かったかのように一旦忘れ去られ、オリンピックでまた再燃する・・・。
そんな展開も、このブラジルなら起こりうる。
・問われる自己責任
一部の報道によると、今回のイベントで300万人の観光客の来伯が見込まれているという。大会開幕一か月を切った5月18日に滑り込みセーフでこけら落としを迎えたサンパウロの大会会場では、チケットと席番の不一致などという珍事が見られたという。押し寄せるゲストを捌ききる能力を受入側に期待してはいけないことは明白であり、色々な意味での『自己責任』が問われる大会になることは間違いない。トラブルに対する弁済も一切期待できない。日本からお出かけになる方には、くれぐれもそのあたりの覚悟を決めた上で、所持する携行品は最小限にして、会場を目指してもらいたいものである。
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