2014年6月30日月曜日

壁を乗り越えるということ

小学生のころ、初めて25mを泳げた日の達成感を今でも覚えている。自分でも不可能だと思っていたことが、ある一つのきっかけで一気に達成に結びついたあの手ごたえ感を忘れることは無い。恐らく人生で初めて困難を克服した瞬間だったのだろうと思う。というとなんだか大げさだけど、当時の自分が直面していた壁の相対的な大きさで言えば十分なものであったはずだし、たぶん、その「困難」に絶対値的な規模の大小は関係ないのだと思う。

僕の記憶は、小学校3年生で経験する転校から一気に鮮明になる。転校前の小学校1年生・2年生の記憶はモノクロで、転校以降はカラーになるくらい、変化の大きいイメージだ。転校した先の小学校では、明らかに前の学校に比較して水泳の授業がしっかりしていた。時期的に、そのころから「恥じらい」を知ったからだけなのかどうかは不明だが、記憶がカラー映像になると同時に水泳の授業が恐怖に変わったのを明確に覚えている。なにしろ泳げないのだ。しかも女の子もみんな見ているではないか。5mも泳げない自分は、あからさまに無様だ。

恥ずかしいまま3年生の1年は過ぎ、問題意識を抱えたまま4年生のプールシーズンが到来したが、泳げないままだ。どうあがいても5m手前で立ってしまう。悔しくて、ひとり図書館に通い、水泳の本を読み漁る。写真を見て、風呂で真似てみる。出来ない。研究を重ねつつも進歩が無いまま、夏休みが終わりを迎えようとしていたある日、風呂で思いついて実験をしてみた。水の中で目を空けてみたらどうだろうか、と。予想に反して、水の中で目を空けても痛くはなかった。当時水中メガネは水泳部員しかしていないもので、一般生徒の私はそれを着用するという発想も、親に買ってもらうという概念すらなかったのだ。

「水の中で目を開ける」・・・なんだそんなことかとツッコミをもらいそうだが、小学校中学年の悩みとはまさにそんなものなんじゃないだろうか。それを誰にも相談せずに、図書館でさんざんもがいた末に解決策を自分で見つけたという点が、大いなるブレイクスルーだった。周りの大人たちに相談したのかもしれないが、きっと彼らには当たり前すぎて、水の中で目を開けているのか閉じているのかなんて確認をする人が居なかったんじゃないかと思う。

夏休み明けの初プールの日、果たして僕は、クロールで25mを泳ぎ切った。目を開けながら泳ぐ世界は、それまで目をつぶって泳いでいた不安だらけの暗黒の世界とは全く別物であって、喜びに満ち溢れていた。息継ぎの問題があったが、それまで本を読んで知識の蓄えはあったので、初めてでも無理なく出来た。息継ぎについては先行してイメージトレーニングを多く積んでいたのだった。

当然の様に25m泳ぎ切る仲間たちに紛れつつ、人知れず25mを初めて泳ぎ切った私は、達成感に満ち溢れていた。周りからしてみたら大きな出来事でも何でもないことが、自分自身の中だけで、大きなフルーツとなって収穫された瞬間だった。そうか、やればできるのかと。

そしていま、壁にチャレンジしている。
ゴルフだ。

入社後3年目に当時の上司よりクラブ一式おさがりを譲り受けたときから始めたので、私のゴルフ歴は14年ほどになる。その間、一度マイブームが到来して練習を積んだ時期があり、スコアも向上したことがあったが、ここ8年ほどは年に一度の社内コンペに顔を出すか出さないかといった頻度で、練習も全く行っておらず、当然スコアも惨憺たるものであって、正直「ゴルフやります」というステイタスを取り下げようと思っていたほどであった。自分自身にセンスのかけらも感じないのだ。

はっきり言って、下手な人間にとってのゴルフほどつらいものはない。わざわざ遠くのゴルフ場まで運転手をして出かけて、同組の目上の人間と迫り来る後ろの組を気にしつつ、天文学的なスコアをカウントし、カートなどに乗れるわけもなく常に何本もクラブを持って走り回り、いつも林の中でボールを探している。くたくたに疲れ果て、ボールは無くなり、手の皮は剥け、しかも結構な金を払って、かつ帰りも運転手だ。こんな理不尽なことはないのだ。でも、ゴルフが上手い人になりたいという憧れだけは強く持っている。ゴルフが上手だと、何しろカッコイイのだ。

古いタイプと言われそうだが、ビジネスマンの読み書きそろばんに、恐らくゴルフは入るだろう。まぁ、そこまででなくとも、ゴルフは上手いに越したことはない。『あの人ゴルフが上手い』というのは、例えて言うなら『あの人の奥さん綺麗』に似たレベルの感覚があるんじゃないだろうかというのが私の持論だ。自尊心をくすぐるような感覚。そして下手な人間は、ゴルフ場に存在してはいけないってくらい、自尊心をズタズタに傷つけられるのだ。そのくせ、全然練習してないから上手くなれっこないことだって一方では強烈に理解している自分が居るから、尚のこと憤懣やるかたないのである。

ここへきてサンパウロ駐在を開始し、当地クラブの会員権を取得した。直属の上司が名手であり、お互いに家族が一時帰国するというタイミングが到来した。恐らくこの時期を逃したらまとまった時間を集中的に練習につぎ込むことのできる機会は、たぶん子供達が成人するまで二度と訪れないだろうと思われ、上司にレッスンを申込み、6月中旬から土日特訓が始まった。この2か月間の限られた期限内に、なんとか上達してみせる。

水泳の壁と同じように、きっと何かが邪魔をしていて、それを取り払えば世界が広がると信じている。まさか目を開けるなんて簡単なことだとは思わないが、いくつかの点に気が付き、それを取り除く作業をステップアップにつなげるという作業を、楽しみながら取り組みたいと思う。もし上達が叶うなら、その瞬間というのは人生に一度しか訪れないものだから。そして何かに上達するという経験も、人生の中でそうそう経験できるものではないと思うから。

「高くつくぞーこの授業料!」「お、今の悪くないゾ」とか言われながら上司と2人でワイワイ回るこのレッスンラウンドは、きっと後で思い返せば青春時代の様にきらめくワンシーンになるんじゃないかと、期待しながら毎週末を楽しみにして夜寝る前に胸を膨らませている。水泳の壁を乗り越えた子供の頃の体験があるから、大人になった今、ゴルフの壁を楽しく攻略しようと思える自分がいる。子供時代の自分の闘争心と、良き上司に恵まれたことに感謝しつつ、いま、こんな日々を過ごしている。

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