スーパーのレジの行列、自分の列とは違う隣のレジ(それまで無人だった)に店員が入り、「開きました」というでもなく、さり気なくレジをオープンする。そこにポッと来てスッと入る人の列・・・。最寄りの既存の列の2番手の人に対するこちらへどうぞ的な案内はない。
幼稚園の学費、園の都合による予定変更で、ある費用が割り引かれるはずになっていた。だが通常通りの請求が来た。それを申し立てた人に対しては割引済みの請求書が出し直された。だが同じ条件の人に一斉に同様のアクションがなされることはなく、あくまで「気がついて請求をした人にだけ」ディスカウントの連絡をする。
ブラジルは徴兵制だが、法律で定められた幾点かの忌避事由(勉学を継続しなければならない、家族を養わねばならない等)に該当すると免除されるという。ただ18歳になると全員に召集令状が来て、面接を受ける必要があるのだという。ただし、ほとんどが忌避できるのだという。どの点で忌避できたのかは明記されず、多くの場合定員オーバーとの書面通知で終了するのだという。
ブラジルで販売されている製品にはSACという消費者問い合わせ窓口的なコンタクトが法令の要請により明記されている。しかしいざかけてみると、自動音声+プッシュボタンで用件を細かく振り分けられ、 30分程度待たされ、いざ担当者が出てもプッシュボタンで話した内容を再度聞かれ、次の担当者に転送され、20分待たされ・・・ということを繰り返すので、消費者は脱落していく。
最大手に分類される当地の銀行。すでに帰国した同僚の口座を解約したい。法定の委任状はある。手続きについて、まずもってWebに情報が記載されておらず、担当者に電話で問い合わせ、その通りに支店に出向く。受付で電話とは違うことを言われ、出なおせと言われる。その場で担当者に電話をかける、「ああ、そのケースでは実はどーのこーの」となり、翌日折り返しとなる。じっさい、出直しとなる。翌日、担当者の部下から電話がかかってきて今までとは違う新しい書類を用意せよと言われ、疑問点を問い合わせると最初の担当者が出て、その点については私の上司が担当者だからあなたから直接連絡して問い合わせてほしい、となる。
というような例の全ては、白黒つけない国民性と、あえて白黒つけない為のシステムがもたらしたものだ、と思う。万事グレーにするから逃げ道が常に用意されていて、道を知っている人には特急レーンがある一方、弱者も追い詰めない。機会はあからさまに平等ではないが、一方で『ダメなこと』、『ダメなサービス』や『ダメな人』への懲罰もない。
善人というのはこういうものだ。
善いサービスとはこうあるべきだ。
物事というのはこうでなければならない。
・・・というようなことは全て曖昧にして、逃げ道を残してある仕組みが、この国にはある。
自らが糾弾者であるときには肩すかしだが、自分がいつ糾弾される立場になるかもしれない、明日は我が身、お互い様、グレーにしておくことはメリットだ。
こうしたことは、日々の仕事でも結構遭遇する。
「向こうの担当者が怠慢で連絡がつかない」
「それじゃしょうがないね」
・・・じっさい、この国ではしょうがないのだ。
日本ではまずこうは行かないだろう。
「向こうの担当者が怠慢で連絡がつかない」
「お前はガキの使いか、ソイツの上司を捕まえて糾弾せよ」
まあ、こうなるかと容易に想像できるけれど、このスタンスはブラジルでは嫌われる(と思う)。こうしたあからさまな追求姿勢を取る人は、この国では非常に稀なのでそれが彼らには奇異に映ると思うからだ。
どちらが良い悪いではなく、こうした違いが、日本とブラジルにはある。
ぱっと見では「ラテンなひとびと」「おおらかな国民性」で済まされるかもしれないけれど、実はそうではなくて、社会がきしまないようによく工夫された処世術の積み重なり、成れの果てがこの雰囲気なんじゃないのかと感じている。
こちらに住み始めて2年半、こうした経験値を積むことができてラッキーだと思っている。それは交渉相手方の状況を推察するフトコロの広さに繋がるのだと思うから。この社会の違いについて、引き続き興味深く、観察をしていきたい。
幼稚園の学費、園の都合による予定変更で、ある費用が割り引かれるはずになっていた。だが通常通りの請求が来た。それを申し立てた人に対しては割引済みの請求書が出し直された。だが同じ条件の人に一斉に同様のアクションがなされることはなく、あくまで「気がついて請求をした人にだけ」ディスカウントの連絡をする。
ブラジルは徴兵制だが、法律で定められた幾点かの忌避事由(勉学を継続しなければならない、家族を養わねばならない等)に該当すると免除されるという。ただ18歳になると全員に召集令状が来て、面接を受ける必要があるのだという。ただし、ほとんどが忌避できるのだという。どの点で忌避できたのかは明記されず、多くの場合定員オーバーとの書面通知で終了するのだという。
ブラジルで販売されている製品にはSACという消費者問い合わせ窓口的なコンタクトが法令の要請により明記されている。しかしいざかけてみると、自動音声+プッシュボタンで用件を細かく振り分けられ、 30分程度待たされ、いざ担当者が出てもプッシュボタンで話した内容を再度聞かれ、次の担当者に転送され、20分待たされ・・・ということを繰り返すので、消費者は脱落していく。
最大手に分類される当地の銀行。すでに帰国した同僚の口座を解約したい。法定の委任状はある。手続きについて、まずもってWebに情報が記載されておらず、担当者に電話で問い合わせ、その通りに支店に出向く。受付で電話とは違うことを言われ、出なおせと言われる。その場で担当者に電話をかける、「ああ、そのケースでは実はどーのこーの」となり、翌日折り返しとなる。じっさい、出直しとなる。翌日、担当者の部下から電話がかかってきて今までとは違う新しい書類を用意せよと言われ、疑問点を問い合わせると最初の担当者が出て、その点については私の上司が担当者だからあなたから直接連絡して問い合わせてほしい、となる。
というような例の全ては、白黒つけない国民性と、あえて白黒つけない為のシステムがもたらしたものだ、と思う。万事グレーにするから逃げ道が常に用意されていて、道を知っている人には特急レーンがある一方、弱者も追い詰めない。機会はあからさまに平等ではないが、一方で『ダメなこと』、『ダメなサービス』や『ダメな人』への懲罰もない。
善人というのはこういうものだ。
善いサービスとはこうあるべきだ。
物事というのはこうでなければならない。
・・・というようなことは全て曖昧にして、逃げ道を残してある仕組みが、この国にはある。
自らが糾弾者であるときには肩すかしだが、自分がいつ糾弾される立場になるかもしれない、明日は我が身、お互い様、グレーにしておくことはメリットだ。
こうしたことは、日々の仕事でも結構遭遇する。
「向こうの担当者が怠慢で連絡がつかない」
「それじゃしょうがないね」
・・・じっさい、この国ではしょうがないのだ。
日本ではまずこうは行かないだろう。
「向こうの担当者が怠慢で連絡がつかない」
「お前はガキの使いか、ソイツの上司を捕まえて糾弾せよ」
まあ、こうなるかと容易に想像できるけれど、このスタンスはブラジルでは嫌われる(と思う)。こうしたあからさまな追求姿勢を取る人は、この国では非常に稀なのでそれが彼らには奇異に映ると思うからだ。
どちらが良い悪いではなく、こうした違いが、日本とブラジルにはある。
ぱっと見では「ラテンなひとびと」「おおらかな国民性」で済まされるかもしれないけれど、実はそうではなくて、社会がきしまないようによく工夫された処世術の積み重なり、成れの果てがこの雰囲気なんじゃないのかと感じている。
こちらに住み始めて2年半、こうした経験値を積むことができてラッキーだと思っている。それは交渉相手方の状況を推察するフトコロの広さに繋がるのだと思うから。この社会の違いについて、引き続き興味深く、観察をしていきたい。
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