今日は会食の予定があるので、珍しくジャケットに袖を通した。
15年前に買い、ダイエットして体型が変わった後もリサイズし、とても大切にしている紺色のジャケット。これを着ると、このジャケットをステキねと褒めてくれた人、Yendi Phillippsさんを思い出すことになる。
■ブルーマウンテンコーヒーをPRしよう
私が商社でコーヒーを担当していた2011年、僕は彼女を日本に招聘するプロジェクトを推進していた。
彼女は前年のミス・ユニバースで準優勝したジャマイカ人(Miss Universe 2010)で、
ジャマイカ・ブルーマウンテンコーヒーの販促PRイベントに彼女を起用しようという訳だ。
私は、複数の輸入商社が所属する協議会のプロモーション担当者として、このプロジェクトを発案して実施する立場にあった。
この企画は同協議会のあり様や考え方からすると完全に異色なものであったが、兼松の上司であったY.I.さんのアドバイスと応援のおかげで鋭意進めることが出来た。
国内協議会参画企業の意思統一、新たな振興資金の運用方法策定及びその使途第一号となるYendiプロジェクトの企画立案コンセンサス取得、現地ジャマイカ側の輸出企業組合からのコンセンサス取得、PR会社選定コンペ実施、故人であるジャマイカ現地駐在のNさん(Nさん本当にありがとうございました)経由でYendiのマネージャーを介したギャラや条件交渉、予算管理。。。いま思うとあれはとてもcreativeなプロジェクトだった。
■商社のおしごと
そもそも商社というものは、一言で言うと『継続する貿易業務を回しベースとなる収益を生みつつアンテナにかかる新しいエッセンスを商売に落とし込む仕事』だ。
商社に働く人間には2種類あると思っていて、それは前段(通常の貿易)に向いた人間と、後段(エッセンス落とし込み)に向いた人間とだ。多くの商社の各事業部においては、前段と後段と同じ人間が担っていたり、同じ課の中で両方をやっていたりする。つまり一つの人間や一つの課が、あたかもひとつの会社組織であるかの様に包括的に機能することを求められる。
そしてこのYendiにまつわる一連の仕事は、後段の要素たっぷりの仕事であって、完全に『後段タイプ』の私には、ど真ん中の大好物だったという訳だ。だからその時の記憶は楽しい思い出しかない。
気がつけばあれから10年経つ。
■Yendiからのリクエスト
そのYendiが来日するひと月前だっただろうか、ひとつのリクエストを頂くことになる。
時は2011年6月。そう、震災の3ヶ月後なのだ。
彼女は被災地を訪問してコーヒーを届けたい、それに関わるコスト自前で負担するから、とこう伝えてきたのだった。私は協議会の他のメンバーさんにお願いしてジャマイカ大使館経由で宮城県多賀城市の避難所への日帰り訪問をセットしてもらった。日本在住のジャマイカミュージシャンと一緒に行くことで、コーヒーと音楽とで被災されたみなさんに少しでも何かを届けようという形となり、Yendi一行の滞在後半にその企画はセットされた。
PR会社の企画は、伊勢丹デパ地下や銀座7丁目交差点でのゲリラ的プロモーション、鹿野農林水産大臣(当時)を表敬訪問する等の活動を通してTV情報番組やweb記事への露出を誘引するものであった。トータルで1週間程度の滞在だっただろうか。その忙しいスケジュールの最後に、被災地訪問を付け加えたのだった。
津波の爪痕残る街を一通り視察した後、当時避難所となっていた多賀城市体育館の仕切られた空間を実際に目の当たりにして、Yendiとマネージャーさんは絶句していた。もちろん私にとってもそれは壮絶な印象を伴う体験であった。それでもイベントタイムになるとYendiは快活にスピーチをして、ミュージシャンの奏でるボブ・マーリィの曲をみんなで歌ったり踊ったり、その場で抽出したブルーマウンテンコーヒーを配ったりして、楽しい空気感にしてくれた。
■Yendiの人柄
彼女とマネージャーさんと過ごした当時の1週間は、今となっては遠い昔の良い思い出だ。美しいだけでなく、その外連味のない素直な性格は身に纏うオーラに表れていて、きっとこうでなければ世界を制する事は出来ないのだろうと思わせるに十分だった。
全行程にフルアテンドした自分からおねだりするのは憚られたので、彼女と写した写真も無いし、コンタクトももらっていない。
いま私はSNSフォロワーとして彼女のその後の活躍を遠くから眺めているだけだ。
でも2日目にホテルへお迎えに上がった際に私のジャケットを褒めてくれことだけは、大切に心にしまってあって、こうして時々思い出させてもらっている。
■もう一つの思い出
協議会メンバーにはUCC上島珈琲株式会社さんも加盟しており、現ユーシーシーホールディングス株式会社会長の上島達司さんからお褒めの言葉を頂いたことも深く記憶に残っている。
被災地訪問の前日、協議会とYendiとで内輪のディナーがあった。会には上島会長も出席された。
散会の折、上島会長のお車でYendiとマネージャーさんを送って頂けることになった。協議会メンバーはお店の外でお見送りしていたところ、『武井さんあなたは一緒に乗りなさい』とのことで突然呼ばれ、会食会場からホテルまで15分ほどの道のりをご一緒した。その際に、何気ない会話の中から私の住んでいるところを聞かれ、お答えしたのを覚えている。今回の私の働きについても労いの言葉を頂いて、とても嬉しかった。ホテル到着後、お二人を無事に送り届けてその日は自宅に帰った。
翌日、被災地訪問を無事に終え都内に帰還した私にユーシーシーさんから電話が入る。
『会長から、武井さんにお車をとのことでしたので、ご自宅への帰宅に使って下さい』
とのことだった。指定の場所には黒塗りのハイヤーが私を待ち構えていた。
当時私は葉山に住んでいたので、大いに助かったことは言うまでもない。
が、それよりも何よりも、あのお立場から私の働きを見て頂いて、当時30代の一担当者であった私にかくも手厚いご配慮を頂いたことに、大きな驚きを覚えた。大きな組織で人を統べるお立場の方の、真髄に触れた、一生忘れることのない貴重な体験となった。
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