2014年5月28日水曜日

一万PV達成

昨年5月15日にこのブログを開始して、一年とちょっとが経った今日、アクセスが10,000PVを超えた。更新頻度もまばらなこのブログ、ほとんどがFacebookからの誘導で外部アクセスの少ないだろうこのブログ、よちよち歩きでここまで来ておかげさまで一万。これからも気楽に続けていきますんで皆さん宜しくお願いします。

ちなみにネタごとのアクセスランキングはと言うと、
1位. 「新ブログ開始」 みなさん原点を確認したくなるということなんでしょうか。
2位. 「ブラジルで運転免許を」 リアルで出会った人が、実は読者だったということもありました
3位. 「穴があったら・・・」 写真がインパクトありますからね
4位. brasileiros bonitos #1 今日のブラジルイケメン#1」 イケメンコーナー、続きを待っているとの声が多く寄せられています
5位. 「助け」 これはもう、胸が一杯になるのでコメントのしようがありません

てな感じでした。
個人的には「葉には葉を」が快心のタイトルでお気に入りだったのですが、あまり伸びなかったようです(涙)

2014年5月13日火曜日

黒い自転車

「それなら、あの自転車にペンキを塗ればいい」
「自転車なんて乗れさえすれば良いんだから」

というのが父の意見だった。「あの自転車」とは、車庫の奥に長いこと眠る、その昔兄が使っていたらしきものだ。股の部分に4段ギア変速機がついていて、折り畳み式のカゴが横後ろについている、一昔前のタイプの、あの自転車のことだった。

それは地元の中学校に進学して通学用の自転車が必要になったときのことだ。入学式の日からしばらくは、新入生には徒歩しか許されず、1週間ほど徒歩期間を経た後に自転車で通学を許される、確かそんなことだったと思う。猶予期間があっただけに、周囲の友達はどうやら新しい自転車を買ってもらっている様子であることは感じ取ることが出来た。僕はどうなるんだろう。4人兄弟の末っ子である僕には新車があてがわれるわけがない。そうはいっても、車庫に眠るアイツは相当に錆びている。さすがに買ってくれるかも。淡い期待は冒頭の妙案で吹き飛んだわけだ。

かつては黒だったであろう錆び錆びの茶色い自転車を、黒いペンキで豪快に塗装していく。たぶん、作業自体は楽しいものだったのだと思う。だけど気持ちは冴えなかった。父がやったのか自分も手伝ったのか今となってはもう覚えていないが、作業は進み、ほどなくして黒い自転車は再生した。僕にとっては都合の悪いことに、この自転車が普通に走れた。

いざ自転車登校が始まると、さらに具合の悪いことがわかった。友人たちのマシンは皆、一様に新しいだけでなく、形自体が違っていたのだ。シンプルなママチャリ的なヤツで、変速機は当然のごとく手元に付いている。だれもまたがって股間でカチカチなんてやらないのだ。古くて、黒くて、形がヘンな自転車。乗っていて周りの視線が痛いほど気になった。というより、勝手に自分で気にしていた。元々あったレトロなデザインがモダンな真っ黒に塗られたことによって逆にシックかつ前衛的なデザインだったのではと思うのだが、当時の僕にはそれがどうしても憂鬱だった。

いまの自分は父と同じ意見だ。「自転車なんて、乗れればいいんだから」という意見に至極賛成だ。わざわざイベントごとに新しいものを買う必要などない。両親はアンチ物質主義であり、物持ちの良いのを尊しとして育ててくれたので、おかげで良い金銭感覚が備わったと感謝している。でもあの13歳くらいの少年には、さすがにこたえた。ニキビも声変わりも一緒に来ましたよ思春期まっさかりです的な年頃に、あの黒い自転車は厳しかった。

すぐにサッカー部の先輩にイタズラされた。
練習がおわって、みんなで帰ろうとしたときにそれがわかった。

いじめというようなものではなく、ただ単に、それが「ヘンな自転車だから」なんだろう、自転車置き場に置いてあるのを上下ひっくり返されていたというもの。まぁ、子供にありがちなからかいみたいなもので、それ自体は挨拶みたいなもののはずだったし、自分もそれを「誰だよぅ」みたいなことを言いながら普通に対処するはずのものだった。

でもそれを見た途端、それまで我慢していたものが崩壊したというか、我ながら情けなくて涙が出てきた。あの「ヘンな自転車」は、暫く付き合った結果、自分自身の分身みたいな感じになっていて、ソイツがバカにされた様子を見たら、自分がその場にひっくり返されているみたいな感覚が襲ってきて、なんとも情けなくなって。父親が良かれと思ってペンキを塗ってくれたんだぞぅ、ヘンだけど、まだ普通に走るんだぞぅ、みたいなことを思うと、涙が溢れて止まらなかった。その場に居合わせたサッカー部の同級生は慰めてくれたし、イタズラして先に帰った先輩の同期生ですら、さすがにビビって「ひでぇヤツだ、気にするな」的なことを言ってくれたのを覚えている。でも家に帰っても涙が止まらなかった。

翌週、みんなと同じタイプの自転車に乗っている自分が居た。
自分がどういう風にして親に説明して新車をゲットしたのかは覚えていない。
そしてあの黒いアイツが、どう処分されたのかも、記憶が無い。


今日の仕事帰り、自転車屋の前を通りがかった瞬間に、ふとあの光景が浮かんできてこの話を突然書きたくなった次第。

2014年5月10日土曜日

もうすぐ一年

来週、一時帰国の途に就く。赴任開始が2013年6月4日だから、一周年まで一か月を切ったことになる。家族は一足先に日本へ一時帰国して、ひとりすこし落ち着いた時間が出来たいま、無性になにかを書きたくなってきた。


着任したサンパウロはとりわけ寒い冬で、街の表情も暗く、おまけにもっと寒いブラジル南部への出張も何回かあったりして、思えば全体に重いオープニングだった。ひと月でなぜか血尿が出て、腎臓結石の破砕手術をして以降、あんなものはまっぴらゴメンだと体調改善を誓って走り始め、後に15kg減を達成することになる。

7月には駐在生活最初のコーヒー収穫シーズンが到来し、日本からのゲスト受け入れに奔走し、ほぼひと月産地の中で過ごした。お世話になった農園でJapan Nightと称し日本食を振る舞うなど、我ながら必死でいじらしい感じがする思い出だ。

10月には家族が到着して、それまでとは生活リズムが一変。ランチは家に戻るし、定時18時キッカリに帰宅して、風呂・夕食・就寝を共にして落ち着くのが22:00という毎日に変わった。4歳の娘と1歳の息子は二人してあまり寝つきの良い方ではなく、深夜に積み木あそびなどの事態は、しばしば少なくない頻度で発生した。明るくて元気にあいさつが出来、思いやりがあり空気が読むのが上手でありつつシャイで新しいことに保守的な娘と、いつもニコニコ元気印、社交的で道行く人に笑顔で手を振る政治家の様な息子に囲まれて、実に怒涛の毎日が始まった。

このころ、仕事で知り合ったブラジル人の知人からよい仕事のコネを紹介してもらって、その後に大きな展開を生むことになる。この土地で感じたのは、『アミーゴのアミーゴは皆アミーゴ』ってこと。日本でも20代後半になって、とある社長から友人の社長を紹介してもらうなんてことが増えて、自分らしく振る舞えば、自然と仕事はついて来るんだなんて自信が持てたりしたけど、こちらではよりその現象が激しく起こっているような気がする。友人が僕をアミーゴに紹介する時、「紹介するよ、コイツは日本人だけど、フツーの日本人とはちょっと違うぞ」というフレーズを良く聞く。冗談をよく言うし、YES or NOをはっきり言うからそういう評価に繋がっている様だ。もっとも、一般的な日本人が得意な細かい点で緻密で正確という面が不足しているという噂もある(汗)。。。ともあれ、間違いなく自分のキャラにマッチした土地で仕事をさせてもらっていると思う。たとえ自分の仕事に繋がらなかったとしても、親身になって僕に色んな人を紹介してくれようとするブラジル人の仕事仲間たちに感謝だ。得難い、本当にありがたいことだ。

年末には以前ブログでも書いた、息子の熱性けいれん事件が発生することになる。高速道路上で突然意識を失って、右往左往していたら数分後に偶然空の救急車が通りかかって搬送してくれたという数奇な経験は、我々一家にとってたまらないインパクトを残した。当事者だった息子もさることながら、つきそいで泣きながら懸命に我々についてきた娘のガマンも、実に褒めてあげたいと思う。

仕事のことは書けないことが多いので、あまりこの場には書いてこなかったけど、社内の直接関わっていない人も含めて色んな人から「あんまり最初から飛ばして無理しすぎるなよ」的なコメントを多く頂戴しているのを見ると、どうやら相当『前がかり』に映っているらしい。なんだかシャカリキで少々かっこ悪いけど、もとより調整なんかできない性質だし、スロースタートに映るよりはましだと思っているので、このまま行こうと思う。引き続き、自分らしくやっていきたい。

ブラジルと言う国は、ただ日本から遠い位置にあるというだけで、日本人から理解されていないことが多い様に思う。世界最大の日系人コミュニティがあるとか、日本にはデカセギのブラジル人が多いとか、ワールドカップとオリンピックでアツイよねとか、そんなことくらいしかイメージが無いと思う。でももっとこの国のユニークさが理解されないともったいないと思う。人懐こいけど実は見栄っ張り、一生懸命努力するのが見え見えなアプローチよりも努力が表に見えないスマートなアプローチを好む、クレームを表だって言うことを避ける、諦め上手、信じられないくらいに物価が高く、フロリダのアウトレットやショッピングモールは買い物のブラジル人だらけ、とかとか良いところも悪いところも知られていない。人口2億人で、人口ピラミッドも健全で、日本と違って将来は明るいのだけど、それでいて国の上層部の汚職体質、社会保障やインフラ面、治安面でまだまだ問題が多いなんて点も、身近なトピックを通して新聞では伝えないナマのブラジルを書いて行けたらなと思う。ここ数か月は余裕が無くてブログ更新からも遠ざかっていたけど、一時帰国から戻ったら、また頻度上げられるかな。

写真は恥ずかしながら、自作のパンケーキ。日本時代から独自のレシピで土日の朝、不定期で家族に作っているもの。妻と娘が喜んでくれるので、パパ嬉しくてバンバン焼いて残ったら冷凍するということをやってました。自分自身はゴハン党なので、家族にこれを焼いて、自分は隣で米を食うと言うのがパターンだったけど、ひとり身初の週末である今日は、冷凍庫に残っていたこれを持ち出してコーヒーと一緒にブログ書きながらちびちびやっている。みんなで囲んだ朝食のテーブルを思い出したりして。子供に囲まれてドタバタの朝は正直カンベンしてほしいなんて思ったけど、最初に迎えた土曜日からもうすでにサウダージ。こりゃ先が思いやられます(笑)。改めて家族、会社、お客さん、仕事仲間、友人に感謝しつつ、1周年を迎えたいと思っています。