2023年3月23日木曜日

ロールモデル

思春期の私はとかく自分に自信がなかった。それ故に常に誰かしらのロールモデルを追い求め、その人に近づき過ぎては傷つき、新たなモデルを追い求めて…を繰り返していた気がする。

中三の夏、部活も終わり、高校受験を控えた自分は算数の出来の悪さに危機感を覚え、自ら親に塾に行かせてほしいと頼み込み、自宅至近で中規模な「西塾」に通うことになった。そこには自分の通う中学校の生徒も居れば、隣の中学の生徒も居た。我々は徒歩や自転車で通っていたが、隣の中学校の生徒達は、塾の出すマイクロバスで通って来ていた。

隣の「東中」の生徒達は、男女共に背の高い生徒が多く、どことなく大人びた印象があり、男女の仲も良くスキンシップもなんの衒いもなくする様な、そんな連中だった。一方の我々はと言えばまだ男女の壁がある様な、おくてな子供達であり、なんとなく私の中で引け目を感じる要因となっていた。そのコンプレックスが一気に憧れへと変わる事件が起きたのは、夜の授業が終わり、「東中」のバスが出発する前のことだった。

いつものように自転車で帰ろうとした私に、出発を待つバス組の連中の騒ぎ立てる声が聞こえて来た。曰く、ネコが道路で死んでいると。運転手となる先生が話を聞きつけ、かくなる上は車道にあった猫の轢死体を、塾の前の地面に埋葬するほかないだろうとのことで、先生はバスの運転を急遽中止、どこからか持ち出したスコップで穴掘りを始めたのだった。

その穴を待つ間、ひとりのバス組の女の子がダンボールだったか新聞紙だったかの上に横たわるネコを持っていた。名前をセベさんと言い、活発で大人びた印象の、目立った存在の女の子だった。はじめは気丈に振る舞っていた彼女も、さすがにその光景に耐えかねたか、泣き出してしまった。その瞬間、隣に立っていたY君が『セベ任せろ』とその亡骸をさっと引き受けたのだった。

ただ傍から見守るしかなかった自分自身。猫を持つでもなく、それをさっと引き受けるでも無かった自分。映画のワンシーンの主役の様な振る舞いを自然にこなす大人びた同級生達。それらのコントラストが悔しくて、でもその差をどうにも埋めらなくて。。。

その時のY君は、いまでも僕のロールモデルであり続けている。当時の大人びた彼らが今どんな大人になっているかは知らないし、また、知らなくて良い気もしている

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