2013年7月30日火曜日

わらしべ長者的な・・・

社内、社外を問わず、サンパウロを訪れる色々な方々にお土産を頂戴している。だいたい気を使っていただいて、日本食材などが多くて本当にありがたいのだが、今日、面白い偶然が起こった。

先々週来伯した弊社の後輩、みそと乾燥わかめを持参してくれた。しかもお味噌はだいぶ重かっただろう大型の品物で、きっと半年持っちゃうんじゃないかというサイズ。それにそうめん揖保乃糸という土産だった。「今、日本は夏なので」という、理由としてふさわしいのかどうかの判別がつきにくい枕詞を武骨な彼から聞かされた時はすぐに状況を理解できなかったが、その場でうまい返しが出来なかったことだけは確かだった。こっちは冬だがという返しは、無粋に過ぎるというものだ。

いずれにせよちょうど以前スーパーで買ってパスタに使った玉ねぎとズッキーニが微妙な分量残っていたので、わかめと一緒にぶち込んで超ヘルシーな味噌汁ディナーを実行した。米はまだ炊けないのでそれだけでと思ったが、さすがにさびしかったのでまさかのそうめんを別で茹でてあわせてみた。パスタ以外の汁麺モノに飢えていた身には、これが意外とイけた。

翌日、とある知り合いの知り合いみたいな人に会う機会があった。その人も気を利かせて日本から食品を持ってきてくれた。レトルトカレー。その翌日、早速カレーそうめんを敢行する。これがまたイけた。なにしろ米を炊ける物品はもうすぐ到着する船便荷物に入っちゃっているので、こちらで炊飯器を買うのも悔しいというそういう状況下で、そうはいってもご飯と一緒に食べるとたいそう美味かろうものだけがありがたいことに次から次へと届けられるわけなので、かろうじて代替となるそうめんが大活躍するという次第でこれはまことに皮肉な状況であった。しかし常につきまとうのが、「普通にそうめんが食べたい」というもの。

しかし考えてみると武骨氏は、これをどうせよという意図だったのだろうか。つゆならサンパウロで手に入るっしょみたいな感覚か。はたまた味噌汁とわかめでこれだけ世話してやってるんだから、あとは自助努力でしょ、みたいな。繰り返すが、実にありがたいと思っている。ありがたいのだけれど、「みそ、わかめ、そうめん」という組み合わせは、つくづくシュールだとも思う(笑)だから、突き放されたみたいなそうめんの居所がここ数日ふわふわしていたのは確かだ。

そんななか、本日お会いした日本から出張のとあるお客様が、なんと創味のつゆと調味料各種をわざわざ小生のためにご持参頂いたという!まさにミッシングピースここに現れり!!!
まだ国内出張に出ている途上なのですぐには試せないが、戻り次第すぐにオーソドックスなそうめんに取り組むことは間違いない。こんなタイミングで、放り出されてすぐにアタマ撫でてもらえるみたいなことが起こるなんて。。。

外食だとついついボリューム超過になりがちなこの国で、数少ない自炊食には出来るだけ質素なものを努めて食したいと思っているこの身に、色んな形で授かるありがたい食品群。そんな中に偶然合わさった素晴らしいマッチングが、ものすごく嬉しくて、切り取ってみた。
わらしべ長者みたいなブラジルの土産食生活。
本当にありがとうございます。

2013年7月21日日曜日

初・ブラジルの床屋(Cabeleireiros=カベレイレイロス)

よく考えてみたら、海外で床屋に行くのは初めてだった。
ブラジルに住み始めて一月半、そろそろ髪の伸びが気になり始めた今週、ランチ時に同僚とフラフラしつつ食堂を探しているうちにふと雰囲気の良かったその場所を見つけて以降、土曜日になったらあそこに行こうと密かに楽しみにしていたのだった。しかし、しきたりがわからない。

いままで出張はあったけど、海外に住んだことは無いので床屋に行くような必要性は無かった。今回行く前にやたらと緊張したのもそんな訳だったからだ。そこは住んでいる場所にほど近く、店の構えは小さくなにやら雑然としており、男性用の理容室チックな比較的安めなお店だろうということはかろうじてわかる風情。

José Maria Risboaという通の名前から取って店名はJosé。実は意を決してなんだけど、さらっとした体で入ってみる(笑)。中では初老の男性と30代と思しき雰囲気のある二人の男がはさみをふるっている。待ちだ。「入っていいか?」「ちょっと待っててくれる?」みたいなやりとり。

しかしどこで待つんだろう。理容椅子は3つで客が二人だが、なぜか一番奥の椅子にはどっかとオバチャンが腰を下ろしてお菓子を食べている。このオバチャンはお店サイドの人なんでしょう。なぜお菓子?という気持ちにはふたをして、なんとも手持ち無沙汰な時間を過ごす。しかたなく二つの理髪椅子の背後にすっとおいてある病院ロビー風のベンチ椅子にすわり、正面見てると髪を切られている真っ最中の男たちと鏡越しに目が合っちゃうので、右90度の位置にあるTVで柔道の中継を眺める。

ほどなくすると若い方の従業員の客が終わり、自分を椅子に招いた。前の客が40レアルとなんぼを払っているのを確認し、やはり法外な料金ではないなと密かに安堵する。座った瞬間に「どうしたい?」と聞かれたので、「短くしたい」と答える。事前に聞いていたバリカンを意味するmaquina(なんと、『機械』という意味)という単語を使い、横と後ろはmaquinaだと。すると、3か2か?と聞かれ、わからんと答える。「ま、はじめようか」みたいな感じでmaquinaが使われ始める。まずは3からいくぞと。もっと行きたかったら2でもう一回いくから、みたいなこと言っている。

Joelという名前のその従業員は若そうだが貫禄ある髭面のイケメンで、作業もすばやく、トークもさりげない。シャンプーもないので全行程15分で修了したのだが、その間にサンパウロに住んでどれくらいか、どこに住んでいるか、会社はどこか、なんの会社か、何年いるつもりか、なぜこの店にしたのか、等々のトークに静かに花が咲いた。最後に『これからキミは僕のお客になるね!とチャーミングな笑顔で』言われ、思わず惚れてまいそうになる。$45レアル(=2,300円くらい)で、仕上がり好きな感じ。良い出会いがありました。
José Cabeleireilos
R. José Maria Lisboa, 670 São Paulo
一番右手奥白シャツがJoel


2013年7月20日土曜日

笑顔でサービス

世界で日本とブラジルくらいではなかろうか。
微笑みの国タイは、次点くらいか。
レストランや空港など、街の普通のサービスを自然な笑顔付きで得られるのは。

仕事や旅行を通してかれこれ30か国以上を巡ったが、上に書いた以外の国では笑顔など望むべくもない。というより、無愛想がスタンダードなのだと思う。だからツッケンドンにされても、もう腹は立たなくなった。

・・・というのはオオウソで、旅慣れていようがそうでなかろうが、こっちが客なのになんでそんな態度をされなきゃいかんのだとか、レジ打ちながらガムをかむなとか、カウンターのむこうでは私語をつつしみなさいとか、実に色んなことでいまだにイライラする。などというように国際化できない自分がなんとも情けないが、ニホンジン生まれだからしょうがないとも思う。

ま、もっとも、日本が異常だというのもアタマでは理解してはいるつもり。

そんな私が赴任したここブラジルは、本当に人が良くて、男も女も笑顔が自然に出る人達で、オンでもオフでも、サービス業に従事してても、みんなにこやか。だからいつも気持ちが良い。だいたいこちらの人はあいさつの後にちょっとした話をするのが普通で、それが無理ない感じでとても自然。チップも要らない文化だから、それを見越した不自然にスマイル大盛りな妙な対応とか過剰サービスに出くわすこともない。

日本人移民が定着した背景にも、食分化が似ているということに加えて、こうした笑顔の要素も少し含まれているのかなとも思ったりする次第。

2013年7月14日日曜日

入院を通して考えたこと

■血尿と腎結石
前回71日の更新を最後に、ブログの投稿が出来ませんでした。それは73日に血尿が出て、4日には腎結石とわかり入院して手術していたからです。手術と言っても開腹手術ではなく内視鏡で行う石の破砕術でしたのでシンプルなものでした。ですが全身麻酔でしたので、実に30年前、7歳の時に鼠径ヘルニアの手術で一度経験して以来の出来事を、サンパウロ赴任後1か月で体験したのでした。

術後一週間経過の昨日7月12日(金)には、腎臓から尿道にかけて留置されていたステントが抜け、これで晴れて元通りの身体となったので、今日土曜日はサンパウロ市民の憩いの場Parque do Ibirapueraに走りに行ってきました。本当に久しぶりの、すがすがしい週末を過ごしています。夕食にはスーパーで買い出しをしてトマトソースのパスタを作ってルームメイトと一緒に食べました。彼はそれと聞いてワインを買ってきてくれて、「おいしい」と言って食べてくれましたがはてさて味は大丈夫だったのだろうか。。。(笑)

■周りのサポート
今回のことを通して、職場の皆さんの多大なるご協力を頂きました。家族が来る12月までは独身なので、上司の奥様には栄養のことを心配して食事を運んで頂いたりしました。診療を受ける際には、同僚にポルトガル語の通訳をしてもらいました。それも一度でなく、何度も病院に同行してもらってのことです。本当にありがたいことでした。もし将来我々のサンパウロ事務所が拡大して多くの若いヤツらが赴任してくるようになって同様のことが起こったら、必ず彼らにこの恩返しをしたいと思います。もちろん、そのときまでに僕がポルトガル語をマスターしていることが条件です。

ところで今回入院した病院は、上司の配慮でサンパウロで一二を争う上等で高級な病院こと”Hospital Sírio Libanês”というところで、なんでも2009年にガンを患った現大統領のジウマ・ルセフ女史もこの病院に入院したとか、前大統領のルーラ氏も咽頭ガンで入院したなどとという、実に由緒正しき病院に入れてもらったのでした。名前の由来はシリア・レバノン系移民の手によって設立された病院とのことで、日本以外の国ではよくあることですが、医療はお金をかけただけ良いレベルのサービスを受けられるというアレです。当方の費用は保険でカバーされていたので、かように良き病院に入ることが出来たという訳ですから、この点も会社の制度に感謝です。

さて症状が出てからの話ですが、最初のスクリーニングを終え、総括しに来た一般医から『ということで、検査の結果、腎臓にある石が犯人と思われますんで、街の泌尿器科で更に専門的な診断を受けてください』と言われて、いったんはそこでおしまいになりそうになりました。しかし問題を先延ばしにしてこれ以上時間をかけたくなかったので、今すぐ専門医と話がしたいと申し出て、その病院の専門医を呼んでもらうことになったのでした。すると一般医氏、すぐに懐から出した病院内携帯で専門家と話し、彼が15分で来てくれるということになりました。泌尿器科医はポルトガル語でurologista「ウロロジスタ」といい、本当に15分後に『私がそのウロロジスタです』といって現れたのが白衣ではなくセーターにスラックス姿の御齢70手前かと思しき好々爺だったときには思わずのけぞりそうになりました。まさかあなた執刀しませんよね、みたいな・・・。

Dr. Jamil Chade, urologista at his clinic Centro Médico Chade
■高名なドクター
Dr. Jamil ChadeDr. ジャミウ・シャージ)というお名前は忘れません。実はその好々爺の彼こそがサンパウロ泌尿器科業界を代表するビッグ・ネーム(協会長をやっていたりする)であり、彼の個人クリニックにはいまだに患者があふれかえる、そんな売れっ子ドクターだったのです。ですが施術前はそんなこたぁわかりっこない訳ですから、ひたすらにビビりました。じぃさん、手が震えてレーザーで違う臓器を傷つけてしまうのではとか、内視鏡ビジョンちゃんと見えるのかとか、いろんなことを思いましたが今思うと杞憂以外のナニモノでもなかったということになります。

その後、CTスキャンで造影剤を投与されながらさらなる検査を受け、すぐに手術という段取りになりました。その段取りの速さも、やはり凄腕のジャミウだからこそのスピード感だったのかと頷ける次第です。院内の至るところに笑顔でナシをつけて段取っちゃうあたり、チャーミングなジャミウならではの芸当の様な気がします。もっとも僕の支払い手段が保健機関のフルカバーだということを知ってのことかもしれませんが、それこそ邪推というものでしょう。

術後、一週間の経過観察を経て病院の道を挟んで向かいにあるジャミウの個人クリニックへ向かいました。ステントを抜くためです。痛いのか痛くないのか全く説明がなかったので、その一週間はたいそう心配したものでしたが、あまりにアッサリと抜けたので拍子抜けとハッピーとないまぜになっているそんな表情の僕に向かって、『先日採った石の成分を分析して、今後のあなたの食事制限の方針を決めましょう』と語るジャミウの姿は、今までで一番頼もしく感じたのでした。センセイ、ついていきますっ!

■健康であることの意味
今回のことは、僕にとって大きなインパクトをもたらしました。いままで入院などしたことがなかったからです。健康という担保が損なわれると、自分がとたんにサラリーマンとしてもしくは一家の大黒柱としてえらく頼りないものになってしまう、そんな体験をしたのは大きな意味を持ちました。結石の原因は、おそらく20代後半からいままでにかけての10年弱、東京本社勤務という環境下で、とにかく奔放にやりたいようにやってきた食事と、とにかく運動してこなかったことが全て形になって表れたものだと受け止めています。これが石で良かったと思います。娘は3歳半、息子は6か月と、まだまだパパがんばらねばなりません。今回、離れた土地で健康を損なって家族に心配をかけてしまったので、これからは食事内容を一気に切り替えて、適度な運動をし、身体の中身をそっくり変えていく、そんなふうに決意しました。今回このタイミングで啓示が得られたのは、ほんとうに幸運でした。節制をがんばります。メールで欠席しますと書こうとすると、『結石します』と変換されるうちは、少なくともこの決意は消えないと思います。