2015年4月28日火曜日

通訳の仕事とイタコ

2週間にわたるアテンド行脚が終わった。

我々にはこのように、日本からのお客様を受け入れ、週単位で旅を共にするということが多くある。

こうしたシーンで、駐在員には旅の計画立案・予約手配、運転手、現地通訳をこなしつつ、契約にもつなげるというマルチファンクションが求められる。私にはその通訳をする際に、つねづね気を付けていることが一つある。

それは「自分のフィルターをかけない」ということである。

お客様は、ブラジル人事業主に対して、積極的にメッセージを発信しようとしているのであって、媒介に立つ私のフィルターを介して変換されたメッセージを期待してはいない。なので出来る限り忠実に、一語一語を訳し伝えるようにしている。「正しいこと」や「話を要約した骨子」を伝えるのではなくて、お客様の発したメッセージをそのまま伝えることに全力を注いでいる。例えそれが間違った内容を含んでいたとしてもだ。結果的にコミュニケーションで遠回りをしたとしても、そのことが顧客満足に繋がると考えている。

反対にブラジル人の発言を日本語に通訳する際も、一語一語出来る限り忠実に通訳する。時折自社に都合の悪いことを突然話し出す人もいるが、その時もフィルターはかけない。ハプニングとしてそのまま『ポロリ』扱いとする。そうすることで顧客の持つ弊社への安心感を優先する。もし自分が反対の立場だったとしたら、透明性の高い通訳者を好むからだ。

ときにはあまりに日本的で伝わりにくい表現が出るときもある。『いやー、これはどうあがいても伝わらないだろう』と感じたフレーズであっても、出来る限りの補足説明を尽くして伝えるべく努力する。その結果としてブラジル人の腑に落ちなくても、トライした事実は顧客に伝わるはずだ。効率を追求することはせず、寧ろその逆を行くのだ。コミュニケーションとは、元来そういうものだろう。

利益誘導戦法は、どうせバレる。
言葉を理解しない人同士であっても、大のオトナの間に入ったコミュニケーションの取り持ちである。話し手の顔色やニュアンスでだいたいの内容は感じるものだ。なので、はじめからそれはしない。むしろボタンのかけ違いがその場で露呈して、問題解決を促したというケースも過去多くあった。きな臭い情報に蓋をするような所作は、問題先送りに他ならない。

大事なのはイタコイズムだ。

話し手の哲学・情熱・大切にしていることなどを自らに乗り移らせ、そうしてその勢いを借りて伝える。話すのではなく、伝えるのだ。こうした精神を、これからも大切にしていきたい。

2015年4月11日土曜日

信号が変わるとき

つねづね疑問に思っていたことがある。
なぜサンパウロで車を運転する人はあんなに飛ばすのか。
と考えていたら、自分も飛ばしていることに気が付いた。
はたして我々をしてスピードを上げさしめる仕組みが、この街にはあったのだった。

ネタを明かすとそんなことかと言われそうだが、実は気が付いている人は少ないのではなかろうか。答えは点滅や黄色といった経過措置の無い青から赤への信号切り替えである。

日本では通常、ドライバーは信号をある程度予測できる。なぜなら赤になる前に歩行者信号が点滅し、それが赤となり、次に車道の信号が黄色になり赤になる。サンパウロにはそれが無い。突然赤になり、ガチョーンと止まらざるを得ない。しかもCET(交通違反取締専門の公社)がはみ出しを厳しく取るので、横断歩道に乗り入れて停車などしたら罰則切符を切られるのだ。

となると人間はどうなるか。
ガチョーンと打ち切りに遭う前に、青であれば出来るだけ急いで通過しようとアクセルを踏むのだ。だからバンバン飛ばすのだ。

歩行者専用の信号など存在する交差点の方が少数派であり、その歩行者用も樹木が生い茂って見えないとか、そんな出来事が盛りだくさんであるから、全く期待できないのである。

ここで本題終了。

■□■□■□■□
ついでに脱線して文句があるとすれば、一方通行車道の二つが交差する歩行者信号なしの横断歩道では、交差点内に4つある横断歩道のうち、半分の2つには渡るタイミングが一度もないという事実。これどうよと。

ブラジルでも歩行者優先は原則なのだが、サンパウロ市内では車は歩行者を無視する。
ここに南北に延びる車道と、それを横切る東西の車道があったとする。
それぞれ進行方向は南→北と、東→西である。

南→北の車道が青になったとき、それに沿って歩く歩行者が、西側の横断歩道を渡るタイミングが無いのだ。

左折する車がひっきりなしに曲がっていくので、左折車が途切れない場合、歩行者に渡るチャンスは訪れない。唯一、南→北の青信号が赤になった瞬間を狙うしかない。それとてすぐに東→西の直進車がドバーっと入って来るので時間的にはほんのわずかだ。

同様に、東→西が青の時、北側の横断歩道はバンバン侵入してくる右折車の波に洗われており、また渡るのが難しい。

これはつまり、高齢者には道を渡るなということだ。
ほんの少しのことで改善が出来ることだと思う。

◇◆◇◆◇◆◇◆
もうひとつ、これは都市設計の専門家がいたら教えてもらいたいのだけど、一方通行で都市を作るのと、両側通行で都市を作るのとどちらかが優れているのか、はたまた実はevenなのか、教えてほしい。道の幅は同じであるからして、供給される道路の総面積は変わらない。でも1台あたりの走行距離はアクセス不可の場所が増えるから増加するという問題。

サンパウロは一方通行制であり、日本は両側通行だ。ジャカルタなんかも一方通行制だけれど、サンパウロ同様渋滞は多く成功しているとは思えない。となると、一方通行制を敷くメリットはなんなのか、という疑問がわく。誰か知っている人が居れば良いのだが。。。


2015年4月9日木曜日

バナナ経済圏

コーヒーを中心とした農作物の仕事の出張で、25か国ほどの国を回った。そうした国々を眺める中で、バナナ経済圏という、ある一定の共通項を持つ国やエリアが存在することが紡ぎ出されてきた。

コーヒーは、赤道を挟んで北緯南緯25度以内に挟まれた地帯の、標高や気候の特性など多様な環境条件がマッチする場所で栽培される。そして、バナナはコーヒーが栽培できる場所にはたいてい生えている。そう、植えられているというよりは、『生えている』のだ。

コーヒー生産国の中でも標高が低いなどしてコーヒーが生育できない環境にあっても、バナナは生えている。バナナは生育環境を選ばず、強く、そして生育も早い。幹はドンドン成長するし、フルーツもバンバン実り、年に何度も収穫できる。

そしてこのバナナ、フルーツを提供するだけでなく、大振りで肉厚な葉や茎は建材にもなる。簡単な住居であれば、これらを編み込んで壁を作る国は多い。そして茎の繊維は、衣服やカゴ等の部材となる。

つまりバナナは、衣食住のすべてを供給するオバケ産物なのだ。
このバナナが出来る国では、人々は生命の危機に直面しない(しにくい)。
なので楽観的な民族性が育まれる、と思うのだ。

だってそうだろう。放っておけば食い物が実り、建材も供給し、衣服や雑貨の原料繊維も供給してくれるのだ。日本や北方に位置する各国の様に不毛の冬もなく、やせた土地を耕す必要はない。そこで暮らす人々の眉間にしわが寄りにくいと思うのである。

反対に、バナナ経済圏では窮屈な社会システムなどは成立しにくく、効率を追い求めようとするマインドが育ちにくい様にも感じる。


どちらで暮らす人々が幸せか、これは答えの出ない永遠のテーマだと思うが、数多くの国にまたがる共通項を発見したので、これをバナナ経済圏と命名して書き留めておきたいと思った次第である。

2015年4月3日金曜日

焦らして野菜を

むかしは早食いだった。
他の食べ方を知らなかった。ゆっくりしようとしても、無理だった。
それくらいに胃袋を満たす作業を早くしなければ満足しなかった。
肉ひとかけらで茶碗半杯のメシをかきこむような、そんなのが大好きだったのだ。30代になってもそういうことをしていた。

ブラジルに来てからダイエットに取り組んだこともあり、コメを減らして野菜中心の食事に切り替えた。ここブラジルではポルキロという量り売りスタイルのランチ形態がメジャーで、これが野菜摂取の面ですこぶる優れたシステムなのである。





■ポルキロ
というのも、だいたいどこでも置いてあるものは似通っていて、サラダ→冷たいオードブル→温かいオードブル→米やピラフ→肉・魚→デザートと順に回って好きなだけ取っていく。最後に計量して、その店ごとに決まっている単価に掛け合わせた金額を支払うという寸法。店ごとに微妙に味付けや調理スタイルに色があるので、客はその日の気分で店を変えるわけだが、毎日どこかのポルキロスタイルなんてこともざらだそうだ。

対抗馬はランショネッチというローカルな定食屋になるのだが、こちらは量もガッツリあって比較的価格も安いので、しっかり食べたい人や男性が好む傾向にあって、逆にポルキロはヘルスコンシャスな層に支持されている。

また、ポルキロの優れているところは、多く食べたい人とそうでない人、肉を食べたい人と野菜な気分の人、男性と女性、異なる趣向の友達・同僚と一緒に入店できるところである。

筆者が取ったあとのポルキロランチの例
7割方を野菜が占めている


■野菜から入って焦らすテクニック
ポルキロの野菜はバリエーションが豊富だ。レタス・トマト的な生野菜や、一度火を通したズッキーニ、ニンジン、マリネされたナスとオリーブ、なんてメニューがバリエーション豊かに並ぶ。陳列台の後半には、温野菜も登場する。この野菜をガッツリ食えば、後半のメインに到達する頃には腹もだいぶくちてきて、栄養も取れるは米と肉は減らせるわで一石二鳥なのである。そしてなんといっても野菜は軽いからお財布にも優しい。

むかしの自分から考えてみると信じられない思いであるが、今では野菜大好き人間になった。コメはゼロにしても平気だ。これはポルキロの存在があるブラジル生活だからこそ成せる業なのだと思う。

最初は肉をガマンして野菜を無理して多くなんて思っていたものだが、いまでは野菜をたっぷり摂るのが趣味みたいになってきて、腹の減った自分を焦らすことに一種の快感を覚えるような、妙な感覚が定着したわけなのだ。必定、食べるスピードもゆったりとしたものになり、いいことずくめだ。毎日のランニングは継続しているが、このポルキロの充実野菜達が、さらに自分をヘルシーに、そして軽量にさせている気がするのである。


ブラジルと言えば肉を想像する向きも多かろうが、実はこの国は野菜(それからフルーツも天国)の宝庫でもあったのだ。40手前にしてやっと早食いの自分と決別できた様である。