2025年9月29日月曜日

先の雨を語りたがるオトナ

ネット上の雨雲レーダーなどの登場により、ここ数年で一般市民が気象情報にアクセスできる術が劇的に増えた。野球というスポーツは、イングランド発祥のサッカーやラグビーと違い、雨で中止になる性質のものだ。必定、週末の少年野球の場においても、雨の話は多くなる。

チームの父兄達は、自分調べの気象情報に基づいた自前の天気予報を高らかに語り、

何時から降るから中止にした方が良い、だの、午後雨上がる予定だから計画を変更して午後だけにすれば良い、だの

まるでにわか気象予報士かという勢いで、運営について語り出す。


やってみなきゃわからんのでとりあえずやってみよう、という状況に身を委ねることは、大人としてカッコ悪い姿なんだろうか。周りのオトナ達を見回すと、『能天気に活動をしていて突然雨に降られて計画を修正せざるを得なくなった』というオチを避けなければならないと判じているふしがある。


だが、いくら予報が進化したとはいえ、予想は予想である。

外れることも結構ある。これがわりと、結構ハズレるのだ。

んで、予報が外れてもし降ったなら、降らないって言っていたのに・・・とつぶやいておしまい。

予報が外れて降らなかったなら、何事もなかったかのように通常営業。。。


結局、予報が当たっても外れても、行動は変わらないと思うのだ。

だけれど、オトナは事前にあーだこーだ講釈を垂れることをやめない。

降っても止んでも、それに合わせて活動すれば良いだけなのに、自分の予測を披露することを止めないのだ。

せめて自分だけは、したり顔で未来を語る様な感じには、ならないでおこうと心に決めている。

2024年9月9日月曜日

Tricity125 x 少年野球 = 最高 の件

かつてのブログで、バイクの話(人生初のバイクを買おう!からの二輪免許取得の話)を書いた。息子の少年野球を手伝う為の足として、免許を取得してバイクを購入した。購入のあれこれを書くのをすっかり忘れていたので、もはや我々親子の欠かせない相棒となったヤマハTricityについて触れておきたい。

これを書いているのが2024年9月。

早いものでもう息子は6年生。少年野球最終学年の夏もおわり、彼とのタンデムライフも終点が見えてきた今日この頃で、いささかの感傷も含まれていたりする。


◾️車種選定までの流れ

子供を乗せたタンデムで1日10〜30km走行する用途が明確なので、安定性と乗り心地を重要視。そして少年野球の荷物を積むと言うことで積載量を次に重要なポイントとして、購入するバイクを選択した。


Tricity125以外の比較対象として最後まで候補に残ったのは、ホンダのLeadとPCX。


Leadは教習車だったので良く慣れた車両で、シート下積載も豊富で魅力的、PCXはスタイリッシュで取り回しが良いというところをレンタルバイクで半日乗って確かめた。結果として抜群の安定性と安心感とそこそこの積載量、車体が重いのがやや心配だったものの総合点でヤマハTricity125に決定した。


Leadは質実剛健なるも全体に地味な印象が落選の主因、PCXは乗り味の軽さ(私の用途からするとマイナス評価)と足元がステップスルーではない点がネックとなり、軍配はYAMAHAのTricity125に上がった。






















◾️一年間の猶予期間

2021年9月末に小型二輪の免許を取得、

2022年2月にTricityが納車され、一人運転を開始。

免許取得から1年間は二人乗り禁止。

2022年10月1日に解禁となった。


二輪初心者の私にとって、この一年間は慣れの期間として大きな意味があった。

この期間に一通りのヒヤリハットに出会うことで、心の準備が出来た。

息子をタンデムで乗せる前に、まずは十分に一人で練習しておく必要があったと心底思う。


◾️野球少年の荷物

私自身はサッカー少年だった為よく知らなかったのだが、野球少年は荷物がやたら多い。

バット、グローブ、夏はクーラーボックス、やたらとデカイ2リットル水筒、弁当、補食、

その上、息子はキャッチャーをやっていて自前の防具セット(プロテクター、レガース、ヘルメット、マスク)を持っているので毎回その荷物を運ばねばならず、キャッチャーミットもあり、他の野手に比べてグローブが一個増えたり。


その上、私自身も審判員としての資格を取って毎週審判をやらせて頂いているので、その防具やシューズなども運ぶ。と言うわけで、とにかく荷物の多い親子なのである。


購入時にオプションとしてリアキャリアをつけて、かつその上部に荷物を載せツーリングネットで固定するという形でなんとか走行している。


◾️結果的に最高だった車種選択

と言うわけで我々親子の少年野球ライフにとって、我ながら最高の選択をしたと思っている。


不安要素として車体重量(165kgもある!)があったものの、取り回しはすぐに慣れたし、自重の重さはむしろ高速走行時の安心感に繋がる側面もあるから、結局メリットでもあった。


125cc原付二種というカテゴリに、かくも安定感が高くタンデムに最適な車種を投入してくれたヤマハさんに感謝である。同じ境遇で車種選択で迷っている方がいたら、Tricityを強くお勧めしたい。


2024年4月22日月曜日

応援のちから

自分は今まで、「応援」というものの力を信じたことがなかった。

もちろん、声の限りを尽くして仲間を応援して来た。だけど、それはチームスポーツや学校のクラスであれば当然のことであって、応援は活動の一部ではあったものの、そこで期待できる効果は『本来出せる力が毀損しない』程度のパワーしかないとでも思っていた節が、自分にはある。


それが大きく覆された体験をしたという話をこれから書こうと思う。

昨年12月3日に、湘南国際マラソンに参加した時の話である。


◾️人生三度目のフルマラソン

エントリーした湘南国際2023は人生において三度目のフルマラソン。準備の仕方もある程度把握できていた。日頃走っている活動に加えて大会3ヶ月前から逆算して20kmや30kmといった長距離走も計画的に取り入れ、装備やエイドについても万端に準備して当日を迎えた。


スタートから入れ込みすぎない様にをこころがけ、混雑の中でも焦らず、ゆったり目のペースで序盤は大過なく走れた。中盤、私の大好きなういろうが大会公式エイドとして一口サイズで提供されていたりしてテンションが上がった。自分で用意していたエイドも想定通りのタイミングで補給することが出来、苦しいながらもなんとか30km地点に到達した。


◾️いわゆる30kmのカベ

そこから次第に気温が上昇し、向かい風がキツくなり始め35km地点あたりで様子が一変した。突然両足の膝から下が痛くなり、歩かざるを得ない状況が訪れたのである。なんとか自分の感覚をダマして身体に鞭打ってみても、足が全く上がらず、数百メートル走っては止まって歩いてを繰り返すという、最悪の状況が訪れた。


過去2回のマラソンも30km以降はいずれも辛かったけれど、これほどまでに痛くキツい状況になったのは初めてであり、頭と心が動揺した。フィニッシュまでにはまだ7kmあるのにこんなに足が痛くなってこの先どうなるんだ?と。このまま歩いてフィニッシュまでノロノロと行くのだろうか。せっかく3〜4ヶ月かけて準備したのに、なんてザマだと情けない自分に落胆していた。1年に一度の楽しみにしていたイベントなのに、納得の行かないフィニッシュを迎える虚しさで、心底ガッカリしていた。それでも身体は言うことを聞かない。全く足が上がらないのである。


そこから5km程度だろうか、歩いたり止まったりゆっくり走ろうとしてみたりを繰り返して最後の折り返し地点(西湘二宮IC=39.6km地点)を過ぎ200mほど走ったあたりだろうか、自分が今まで走って来た反対側の車線に大きな声を上げながら走ってくる赤シャツ集団を発見したのは。


◾️謎の赤シャツ軍団

男女合わせて7〜8人だろうか、同じ赤いシャツを着てペースメーカーの様な走り慣れたスタイルの一団が、周りに声をかけながら走っている。曰く、『まだまだ行けますよ!』『あと少し、ペース上げられる!』『がんばりましょう、諦めないで!』などなどそれぞれのメンバーが、周りの一般ランナーに声をかけながら走っているではないか。それにつられた元々は無関係の人々だろう、装いやゼッケンナンバーもバラバラの人々がグループに加わっている。その集団は赤シャツ軍団を核に、50名ほどに膨れ上がっていて、その登場はレース後半の間延びした一角に突如現れた疾風の如しであった。


私は対岸で起こっていたその事象を目の端に留めつつ、そのチア・アップも耳に聞き留めながらも、どこか他人事としてそれを聞き流していた。とにかく両足が重く、全く言うことを聞かないのだから。しかしその集団も折り返し地点を周り、自分の後ろに迫って来ることになる。一度は遠ざかった赤シャツ声援も、次第にボリュームが上がり、私も赤シャツとその他一行の集団に飲み込まれた。


『そんなもんじゃないはずww!』

『ゴールはすぐそこですよ』

口々に赤シャツの爽やかな男女が、笑いも誘いながら周りを盛り上げている。私は思う。誠にありがたいことなんだけど、足が言うことを聞かないんですごめんなさい。しかしこうも思う。いったいこの人達は何が楽しくてこんなにありがたい活動をしているのだろうと。なにしろものすごく爽やかなのだ。多くの人が自分のことだけで精一杯なこのフルマラソンという舞台で、他人を鼓舞出来る方々っていったいどんな人々なのだろう?などとぐるぐると考えていた私に飛び込んできた言葉があった。


『自分を信じて!』

その集団が私を飲み込んで通過し終わる時に、ある一人の赤シャツの方が、私の目を覗き込んでこう言ったのだった。その方は私の横を通り過ぎるときに明確に、私個人にそう言ってくれたのである。いや正確には、そう言われた様な気がしただけかもしれない。


◾️自分を信じること

この時、イナズマが自分を貫いた気がした。

自分を信じて・・・か。


確かにこの数キロ、足が痛くなってから、心の中で情けない自分をけなしてばかりいた。

このまま不満な結果で終わることによって、準備期間に充てた時間やらワクワクしていた自分やらを裏切ることになるから、残念な気持ちで帰りの電車に乗ることになる結果を予見して、勝手に心底ガッカリしていた。


確かにそこには自分を信じる気持ちはなかった。

イナズマ後5秒くらいそう反省すると、「いっちょやってみるか!このままじゃなんか自分が可哀想だ」という考えが急に浮上したのである。


試みにペースを上げてみる。

といよりも、ほぼ歩いていたので、走ってみる。


痛みを感じない。

なぜか痛みが消え去っている。


いける。

さらにペースを上げる。


30km以前のペースはおろか、それより速く走れている自分が現れた。

痛みは無い。


気がつけば一度抜き去られた赤シャツ集団の中に自分はいた。

もう、赤シャツの皆さんの応援の声は聞こえなくなっていた。自分を信じて、自分で自分を応援する声が、頭の中を占めていた。がんばれ俺。


そのままの勢いで集団を抜き去りひとり走る。自分、悪く無い。痛みも復活して来ない。このままペースを上げ続けて、どうやらこの魔法にかかったままフィニッシュラインを切ることが出来そうだ。


あと1kmの看板通過。

痛みは来ない。このまま行く。

感動で涙が出始めた。こんなことってある?


会場の大磯ロングビーチ入り口は上り坂だがペースは落とさない。他のどの競技者よりも早いペースで、坂を駆け上る。そして泣いている。感動と感謝が、全身を貫いている。


ありがとう。

応援をありがとう。

こんなことってあるんですね。

応援がこんなにもパワーになることが、この世に存在するんですね。


赤シャツのみなさん、目を覗き込んで『自分を信じて!』を言ってくれた方、本当にありがとう。

でもなんで痛みが消えたんですか、教えてください。


そんな頭の中のまま、気がついたら号泣していて、そしてフィニッシュしていた。


後からフィニッシュゾーンに着いた赤シャツの方に感謝の気持ちを伝えに行ったのだが、号泣していたのでコトバにならなかった。我ながら気持ち悪かったと思う(笑)


以上、47歳で人生初めて魔法にかかった体験をしたという話。

子供達にそういう世界があるのだと言うことを、伝えていきたいと思う。

みなさんにもこんな体験、ありますか?




2023年9月17日日曜日

少年野球の球審をして思うこと

ここ1年半ほど、息子がお世話になっているチームで審判の役割を務めている。


■審判の分担

少年野球の業界では、練習試合や公式戦で、『審判出し合い』と呼ばれる制度を採用していることが一般的であり、それは4人制で運営される試合の2名ずつを対戦相手と出し合うということを意味する。公式戦も勝ち上がってトーナメントの上の方になると、大会運営側が4人の公式審判員を出してくれたりするが、一回戦や手前の段階では相互出し合いがポピュラーなのである。


その際に、『タテ』と『ヨコ』を分担し合うという了解事項があって、『タテ』とは球審と2塁審を指し、『ヨコ』とは1塁審および3塁審を指す。チームAさんは今日はタテをお願いします、なのでチームBさんはヨコです、というふうに。


この中で最も負荷が高いとされるのはホームベースでキャッチャー後ろに控える球審であり、他の塁審と異なりストライク・ボール判定やホームインの判定を含む内野全般(1〜3塁ベース付近は除く)のジャッジ、並びに決められたメカニクスに基づいたフォーメーションの指揮を請け負うことになる。


この球審はプレッシャーが高いので、基本的にはお父さん達は皆敬遠する役回りである。

だが私はこの球審を進んで担う様にしている。


■審判への批判

お父さん審判は、完全にボランティアである。その上、両チーム出し合いなので、持ちつ持たれつ、お互い様のところもある。露骨に偏った判定をすれば批判もされようものだが、基本的には善意でやっている4名が初めて顔を合わせたその日に協力しながらアドリブで連携して試合をつつがなく終えるように進行するのであって、規範を持って公正に務めるのが精一杯。手心を加えようなどとは思わないし、思う暇もない。


それでもベンチから批判が聞こえてくることがある。その発信源は、大人である。

教育の場でもある少年野球の現場で、その様な姿勢を大人が示すことに、大きな違和感を感じることがある。


それでも毎試合、誰かがやらねばならないわけで、もし監督コーチといったチームスタッフが審判をやるとベンチでの子供達へのケアが減ってしまう。やはり審判は父親でカバーするのが理想だ。だから私は審判を務めている。1年半で球審だけで45試合を経験して、場数を踏んだことで多少のことでは驚かなくなり、来月には県の公認講習を受けに行くことが決まった。


チームの皆さんからは労を労ってもらえる。チームの大人も子供もみんな労ってくれる。

ただ、ミスをした時に凹むのは自分だ。多くの時間を勉強に費やさねばならない。

無事に終えて褒められることは特になく、ミスをして批判をされることがあるという、割に合わない構図がある。

それでもやっていて楽しいのは、自分はこういうのを好む性格にあるからだと考えている。

『誰かがやらなきゃならないことを自分が担っている時の役に立っている感』が好きなのだ。


このことについて思い出す一コマがある。


■運動会の1,500m走種目

自分が中学3年生だった頃、運動会の種目決めをクラスでしていて、当時私は級長(学級委員長的なポジション)を務めていたので司会をしていた。玉入れ、綱引き、騎馬戦などなど、様々な種目に誰が出たいかという希望を募り、被りがあればジャンケンで決めていくという話し合いをしていた。最後に空席として残ったのは1,500m走で、持久走をみんなの目の前でやりたいという酔狂な人間は陸上部くらいなもので、出れば皆の目前で何周も恥を晒すことになりそうなのは自明と言えた。


この空席が埋まらなければ会が前に進まない。司会者である自分で手を挙げた。

結果、全学年で出走した中で下級生にも抜かれ、みじめな形で競技を終えた覚えがある。

それでもその時の自分は、組織の大事な役割をこなした達成感で満足していた。

自分は組織に貢献したのだ、と。


■自作自演

こうした自作自演のメンタリティは、我ながらヘンテコな思考回路だと思う。

だが同時に、こうして自己満足することで、自らの精神衛生を保つのにとても役立っているのだとつくづく感じる。


これからも引き続きマッチポンプな人生を選択していく気がしてならないのである。 

2023年3月23日木曜日

ロールモデル

思春期の私はとかく自分に自信がなかった。それ故に常に誰かしらのロールモデルを追い求め、その人に近づき過ぎては傷つき、新たなモデルを追い求めて…を繰り返していた気がする。

中三の夏、部活も終わり、高校受験を控えた自分は算数の出来の悪さに危機感を覚え、自ら親に塾に行かせてほしいと頼み込み、自宅至近で中規模な「西塾」に通うことになった。そこには自分の通う中学校の生徒も居れば、隣の中学の生徒も居た。我々は徒歩や自転車で通っていたが、隣の中学校の生徒達は、塾の出すマイクロバスで通って来ていた。

隣の「東中」の生徒達は、男女共に背の高い生徒が多く、どことなく大人びた印象があり、男女の仲も良くスキンシップもなんの衒いもなくする様な、そんな連中だった。一方の我々はと言えばまだ男女の壁がある様な、おくてな子供達であり、なんとなく私の中で引け目を感じる要因となっていた。そのコンプレックスが一気に憧れへと変わる事件が起きたのは、夜の授業が終わり、「東中」のバスが出発する前のことだった。

いつものように自転車で帰ろうとした私に、出発を待つバス組の連中の騒ぎ立てる声が聞こえて来た。曰く、ネコが道路で死んでいると。運転手となる先生が話を聞きつけ、かくなる上は車道にあった猫の轢死体を、塾の前の地面に埋葬するほかないだろうとのことで、先生はバスの運転を急遽中止、どこからか持ち出したスコップで穴掘りを始めたのだった。

その穴を待つ間、ひとりのバス組の女の子がダンボールだったか新聞紙だったかの上に横たわるネコを持っていた。名前をセベさんと言い、活発で大人びた印象の、目立った存在の女の子だった。はじめは気丈に振る舞っていた彼女も、さすがにその光景に耐えかねたか、泣き出してしまった。その瞬間、隣に立っていたY君が『セベ任せろ』とその亡骸をさっと引き受けたのだった。

ただ傍から見守るしかなかった自分自身。猫を持つでもなく、それをさっと引き受けるでも無かった自分。映画のワンシーンの主役の様な振る舞いを自然にこなす大人びた同級生達。それらのコントラストが悔しくて、でもその差をどうにも埋めらなくて。。。

その時のY君は、いまでも僕のロールモデルであり続けている。当時の大人びた彼らが今どんな大人になっているかは知らないし、また、知らなくて良い気もしている

2022年11月23日水曜日

息子と並んで

ここに至るまで、いったい何回息子とトイレで並び立ったことだろう。

オムツが外れてからと言うもの、外出すれば必ずと言っていいほどその機会は訪れるわけで、レストラン、商業施設、スポーツ施設、高速道路のサービスエリア、映画館などなどあらゆるシーンで彼との「機会」を共にして来た。


娘とはオムツ替えしなくなってから別々だけど、息子とは本当に数えきれない回数、横並びで何らかのお話をしながら、あの数十秒間のセッションを繰り返して来た。


そんな短時間であるから、会話の中身は自ずとさっぱりとしたものにはなりがちなのだが、短いが故に逆に芯を食った感想を聞けたり、本音が飛び出したりもする。ある種の「解放」がもたらすリラックス状態が、彼をして本音を語らしめるのだろうか。最近では手洗いの後に息子がハンカチを差し出してくれる優しさも嬉しい。そう考えると、二人で行くトイレは私にとって新しい彼を発見する場なのだとわかる。


早晩、息子は一人でトイレを探し、一人で戻ってくる様になるのだろう。一緒に来てくれとは言わなくなるし、同行の必要もなくなる。だからあと少しの間、この発見のつれションを大切にしなきゃなと思う。

2022年6月30日木曜日

エレベーター、先から乗るか後から乗るか

11階から下に降りるエレベーターを待っていた。11階は、このビルの最上階である。ボタンを押してほどなくして、目の前の筐体のランプが点灯したのでそこで待っていた。すると私の後ろに若い男性が立ち、同じくエレベーターの到着を待つ格好になった。

3機あるそのビルのエレベーターの、1番右は貨物用であり、独立系統での運用がされており、私の目の前の筐体が到着予定(ランプ点灯中)であっても、突然その貨物用が着いたりすることもしばしばあったりする。今日もその展開となり、貨物用が到着、若い男性氏はするするとその貨物用に吸い込まれていく成り行きと相なった。

貨物用が着いてその扉が開くとほぼ同時に、私の目の前の筐体がまさに到着する予定であるという事を示すランプ点滅モードに切り替わった。そのため、私は男性氏に私は目の前のこれに乗ります、あなたは先にどうぞというポーズを示し、彼も恐らくそれを理解して貨物用の扉を閉めた。

その時の私の心理としては、今まで待っていた目の前の筐体から咄嗟に貨物用に切り替えることを厭う気持ちが4割、若い人が急いでいる雰囲気だったので、その彼を一瞬でも止める事に遠慮する気持ちが4割、最後の2割は、その一瞬で決断する事をただ放棄したい、方針転換を決める事自体が面倒だ、というズボラな思いが占めていた。

そして、乗ってみて思い出した。貨物用は、ことほどさように独立運用がされているので、11階で突然停まった様に、えてして他の階でも同様に感度良く停まりがちだったなと。するってーとなにか、急いて先発便に乗った若人は、2割ズボラ・4割思考停止の45歳氏に到着時刻で敗北するということになるのか、と。

まったく人生、わからないものだなと。かくしてズボラ氏は、勝ち誇る感じにならぬ様(ま、そもそもこんな事をウダウダ考えている時点で誠にしょうもない訳だが)、先に到着した後1階のホールを先回りしてそれとなく物陰に隠れ、若人氏の到着と歩き去る後ろ姿を見届けたのであった。しかし若者のアクションは否定されるべきものでは無い。一方のズボラ氏の6割は消極的姿勢が占めていた訳で、なにも褒められたものでは無い。結果論、勝敗がついただけのことだ。

恐らく自分は過去の似たシーンでどちらの立場も体験しているはずだが、その結果を眺めることは極めて少なかったはずだ。そもそもどの時点で「勝敗」を切り取るかも重要なポイントになるし、もっと言うと、それは「勝敗」なのか?という疑問にもぶち当たる。

そうか、つまり、だから人生はわからないし、面白いものなんだ、というわかった様なわからない様なことを自分の中の結論めいたものとして、次の予定へと急ぐズボラ氏であった。