2013年6月30日日曜日

絶品アイスとオスカル・フレイリ通り(Rua Oscar Freire)

同僚のブラジル人社員(生粋のパウリスターノ・・・単なるパウリスタつまりサンパウロ州出身ではなく、サンパウロ市内の出身者)に連れて行ってもらい、東京からの出張者と共に市内随一の高級ショッピング街・オスカル・フレイリ通りを歩く。この日は4日続いた雨が上がって久々の良い天気。街歩きのテンションも自ずと上がる。
















ここは日本でいうところの表参道と自由が丘を足して二で割ったような、そんなたたずまい。高級ブランドやスポーツブランドのアパレル店、セレクトショップなどが居並ぶショッピングストリートで、そうはいっても建物の高さが低いので通りとしての調和感がある。

街を歩く人も、点在するカフェのオープンテラスの最前線に陣取る若夫婦なんかも、皆オシャレで雰囲気がある。フェラーリやシトロエンのレトロカーなんかも路駐してあったりする。


















そんなOscar Freireで、同僚が大好きなお店だと紹介してくれたのが、"Bacio di Latte"というジェラート屋さん。























店内から外に至るまで行列、店の外で座り食べ、立ち食べをする人が埋め尽くしており、遠目で見るとここだけ異様な人だかり。






















入口から店内を撮影。奥左手にガラスケースがある。
白を基調としてナチュラルカラーを使った内装は、素材のピュアさを想起させ、商品とマッチ。

















店内右手の陶器製ミルクジャーたち。

















奥でチケットを買い、カウンターの向こう側に居る店員さんにそれを渡しつつ2種類 or 3種類のフレーバーを伝える。

店一番奥にあるトイレまでオシャレ

















オーダーする人でごった返す店内。
とここまで書いてわかったのだが、商品の写真を撮るのを忘れていた。
あまりのおいしさに、撮るのを忘れて食ってしまった。

僕はミルククリーム、ピスタチオ、コートジボワール産カカオを選択したのだが、いずれも素晴らしい濃厚さで甘すぎず、行列の訳が分かった。価格は大(Grande)でR$12.00(600円)だが、3つのフレーバーを選べるので大満足。一番安いPequenoでR$8.00(400円)、2フレーバー。
サンパウロに来たら、ぜひとも足を運びたいお店である。4店舗あるようだ。
http://www.baciodilatte.com.br/

というわけで、Oscar Freireの雰囲気と、感動のアイスを、写真ナシでおすそわけ(笑)

brasileiras bonitas #2e3 今日のブラジル美人#2&3

お待たせしました。#2と#3が一緒に撮れました。サンパウロ市内のモルンビーショッピングというショッピングモールで見かけたモデル級の美女を二人ゲットしました。現物で見るともっとスゴイです。さすがにかなりレベルが高かったので、話しかけるのにヘンな汗をかきましたが、笑顔で対応してくれました。


左はMelissa、右は名前をよくヒアリングできず(涙)。
もちろんキンチョーしていたので、年齢も聞き出せず。
Melissaは杏ちゃんみたいな雰囲気で、脚はこの写真の感じより2倍くらい長いです。
写真右手のブロンドさんは、終始笑顔で話を聞いてくれ、ゆとりのある大人の女性といった感じで、落ち着いた装いの感じととてもマッチしていました。


 モールのフードコートで、一際異彩を放つおふたり、受けてくれてありがとう。


いやはやブラジルはスゴイ。

2013年6月28日金曜日

デモと『あなたが払いたいだけ払って下さい』

同僚の女性に教えてもらったのですが、São PauloのBrigadeiroという地下鉄の駅ホームに、こーんな自販機があって、書いてあるのは「支払ってください あなたが価値があると思う分だけ」とあります。

本の自販機なのだそうです。価格はあなたが決めるという。なんというか、この話だけ聞くと、すんごい文化大国の匂いがしますね。こういうジャンルについては、モラルが高い国なんだなと。こんな側面も、ブラジルありのままを伝える為に必要なことだと思い書いてます。

ところでデモですが、その後どうなったのでしょうか。
先週の金曜日6/21は、デモ隊に包囲されたサンパウロGuarulhos空港が警備の為に封鎖となり、17:20に国内便で到着して、タクシーで脱出できたのは01:00だったという一幕がありました。これにはえらい難儀しましたが、その金曜日が一番の盛り上がりを見せて、そのあとはサンパウロ雨が降ったこともあり、大規模なデモは行われませんでした。

大統領が発表した、『バスと地下鉄の値上げはやめる、デモの代表者と話をする用意がある』というアナウンスメントで鎮静化したのでしょうか。リオデジャネイロなどでは、まだまだ多くの市民が参加して、破壊や暴力を伴うムーヴメントが続いているようですが、サンパウロでは一旦休止状態が続いている様です。

いずせにせよ、R$3.2に値上げされていた地下鉄の価格はR$3.0に戻っていました。なんとまぁあっさりと戻したもんです!ちゃんと各駅の掲示板の表示が戻されていることにも驚きましたが。このあたりは、来年に予定されている総選挙をにらんだ攻防と目されています。市民側はここぞとばかりに今このタイミングでの抗議実行をし、政府側はシャンシャン解決を望む。はてさて世界中の耳目を集めやすい6/30のコンフェデ決勝の日に市民はいかなる蜂起を見せるのか、注目されるところです。

(参考写真)
6/21サンパウロGuarulhos空港でカンヅメされていた人々の様子。
一見関係なさそうに見えるFrango Assadoのプラスチックコップは、こりゃしばらく脱出できないわと諦めて瓶ビールで酒盛りしていた我々に対して、もし暴徒が乱入してきたら武器になるようなものは撤収せよとの命令が出たのでしょうか、瓶が回収され、このプラスチックコップに移し替えられたというシロモノ。そういう指令の伝達の速さは、この国ならではと思います。




2013年6月25日火曜日

職住近接

サンパウロは雨だ。こちらはいま冬で、冬の雨は冷える。しかしありがたいことに、サンパウロのど真ん中で、職場から徒歩2分のところに住まわせて頂いている。治安のことなどを考慮して、会社が配慮してこの素晴らしいロケーションに住むことを認めてくれているから本当に恵まれたことだと思う。したがって、あたりまえだが通勤時間も2分だ。片道100分かかっていた本社時代から比べると、実に50分の1だ。

その自宅には、まだネットが備わっておらず(業者来訪待ち)、必定ケーブルTVもなく、ローカルな民法10局程度が映るのみである。そうすると、悲しい哉現代人、寝て起きる以外は何するかというと、事務所に行ってネットの渇きをいやすということになる。出張や会合がないときなど、ほぼ事務所に出ているというこのていたらくである。ネット(特に無線LAN)が無いと、とたんに不安になるというこの性分は、どうやら体の芯にしみついてしまっている様だ。もちろん、あまり褒められたものではない。

一方で事務所では仕事が素晴らしくはかどる。家に帰って寝て起きて、また出社。このピュアに仕事だけをしている時間というのは、いままでの社会人生活で経験したことのない感覚で、なんともいえない吟醸感がある。そぎ落とされた中身の濃い時間という、感覚。

家に小さい子供が居ると、一緒に遊んだりして幸せな時間が過ごせるわけだが、そのかわりパッと切り替えて仕事をするということが出来なくなる。遊ぼう遊ぼうのエンドレスな要求にとことん付き合っていると、あっという間に土日が終わっていたというのを何度も経験した。それが無いサンパウロ職住近接生活は、まさにそぎ落とされた、仕事のための時間。。。この環境を与えてくれた会社に貢献したいと思う。代わりに子守りは日本に残された妻に負担となってのしかかっているのだが、12月までの辛抱、がんばってほしいし、その間はSKYPEでほんの少しでも軽減できればと思う。

というわけで、なんだか最近、そぎ落とされているというはなし。

2013年6月20日木曜日

ブラジルの街頭デモ

この2週間ほど、ブラジルではデモが断続的に発生していて、その参加人数は増加する一方だ。ちょうどこの騒動が始まる一週間前に赴任した者として、この状況について触れなければならないと思う。

6月17日はサンパウロ中心部で6万人、リオデジャネイロで10万人が集結したと報道されている。当初はサンパウロだけで発生した、バスと地下鉄料金値上げに対する抗議デモだったが、そのテーマは次第に広がりを見せ、いまやサッカーイベントに対する浪費の指摘を起点とした反政府デモの様相を帯びてきた。

そもそもブラジル政府は巨大な収賄組織としての性質を帯びているとされ、市民は常に諦め気味に政治を語る傾向にあった。現大統領ジウマ、前大統領ルーラ共に労働者党であり、貧困者層の所得を補てんする政策『ボルサ・ファミリア』を実施して250万人を貧困から救うとして一時期は貧困層を中心に人気を博したものの、その実、当の労働者党が政権を担っている時期に財相が汚職スキャンダルから辞任したり、その他汚職スキャンダルが後を絶たない事態となっており、人気者のルーラ大統領の後を継いだジウマ大統領の人気に陰りが出始めていたのはコンフェデの開会式のスピーチがブーイングで聞こえなかったり観客が背中を向けたりしていたことに現れていた通りだ。

今回、学生・労働者による公共料金の値上げデモがきっかけとなって、こうした潜在的な不満が集まり、『この国に必要なのはFIFA国際基準のスタジアムではなく、教育であり貧困対策である』と感じていた中間層(非常にフツーな人々)の共感を集め、思惑がそれぞれ違う幅広い支持層を巻き込んだ展開を見せ始めた。しかも、スタジアムを造るためにかけられたとされる巨大な予算が、実は一部の権力者のポケットに入っていると実しやかにささやかれている現状がそれを加速させている。

したがって、行進するデモ隊は(一部を除いて)暴力反対を是としている平和的なものだ。今日小生が訪問したブラジル最南部リオグランデドスル州の田舎町においてすら、6月18日に人口の5%に匹敵する規模の2,000人を超えるデモが発現したという。構成人員は、老若男女問わず所得レベル問わず多様性を帯びていたという。参加への呼びかけは、Facebookによるものだという。参加したメンバーからのコメントでは、『ブラジルの一般市民は、これまで政治家の汚職は半ば諦めていたが、自分たちの手で変革をもたらすことが出来るのを実感し始めている』ということであり、これまで自分は政治問題とは無関係であると認識していた20~30代の国民が、行動を起こすことで社会にインパクトを与えることが出来ることに、気が付き始めているという。

きっかけはごく限られた人達のものであったデモだが、実に草の根レベルで萌芽した善意の芽を反映したものに成長していくのであれば、ひょっとするとこの国でかつて見たこともないムーヴメントが今後発現しないとも言い切れず、この変革のただなかに居合わせた者として、注視しなければならないと思う。繰り返しになるが、デモに参加しているのはごくごく普通の人々であり、丸腰だ。暴力反対を是とし、非常にゆったりとした行進であって、何かを破壊するものでもない。そういう意図もない。

(注:そうは言っても、当然外国人にとっては大変危険なので、近寄ってはいけない)

じっさい、この国は、歴史も経済規模も文化もある国であるのに、発展の形がいびつであると常々感じてきた。どこかで無駄が多く、成長の動力がフルに前進へと伝わっていないと感じていた。何かが天井でキャップしているような、そんな無駄を感じてきた。フツーの人々は裕福であるのに、国全体が底上げされていないと。もしそれが汚職体質にあるのだとしたらすぐに是正しなければならないと思うし、それが国民の幻想であって実はもっと大きな問題に突き当たるのだとしたら、それは早く迎えなければならないと思う。いずれにせよ、このいびつだと感じてきたギャップは、将来的には埋められていくはずであり、それが起こる際には記録をしていきたいと思う。

2013年6月19日水曜日

優しいブラジル人

今朝は朝早い便で国内出張だったので、とても朝早く会社に行った。有人セキュリティを張っている当社ビルは、夜間や早朝、土日祝日でも呼び鈴ひとつで門番が対応してくれることになっている。

時間は05:40。呼び鈴を鳴らすのも悪いなと少し気が引けつつもボタンを押すと、ほどなく電気がパッとついてすぐになじみのイゴール君が僕の顔をガラス越しに確認。別の通用口からどうぞと門を開けてくれた。おはよう、どうよ?から始まって、ふたことみこと挨拶をし、エレベータに向かおうとすると彼が"Toma café?"とコトバを発した。え?二人称現在形だなぁ。と思い、もう一回聞き直すと、やっぱりToma café?と言っている。「コーヒー飲む?」と聞かれている様だった。

最初は、あいさつの流れで、『こんな朝早くにはな、お前も自分の事務所でコーヒーを飲むのがいいゾ』と提言されただけかと思った。でもそうではなくて、彼は自分の水筒に入ったコーヒーを僕に勧めてくれていたのだ。夜勤用のコーヒー。イゴールの水筒に入った、自分のコーヒー。これを、自分が警備員をしているビルの店子の社員に勧めるこの温かさ。コーヒー自体は、いわゆるカフェジーニョと言われるタイプの、ローカル品質なコーヒーに砂糖をたーっぷり入れたこのスタイルのぬるめのコーヒーだったが、その一杯は、忘れられないものとなった。

そこからはそのコーヒーを手に立ち話をし、彼がもうすぐ7時半に上がること、控室では寝てはいけないことになっていること、というのも上の階には法律事務所があって、わりと頻繁に深夜に出入りする仕事熱心な人がいるらしいこと、自分は国内出張でこれから空港にTaxiで向かうことなどをしっかりと話しこんだ。

常日頃、治安のことで敏感になり殺伐とした街歩きを強いられるサンパウロだが、一歩入ればこうした優しさに触れられる。ブラジルのフトコロを再確認して、ブラジルを惚れ直した朝だった。頑張れる。好きになれる。

2013年6月16日日曜日

ページビュー

ブログ管理ツールで、ネタごとのページビューの数がわかる様になっている。
いまのところダントツのナンバーワンは、「今日のブラジル美人」だった。。。みんなポチしてくれてるんだね。

うーん、やはりそうか。ありがたいことだ。だけどこの企画は出来るだけ連載したいのだけど、いかんせんその日の捕れ高次第というところもあるし、正直交渉している僕のポルトガル語はすんごいアヤシイので、いかにもいかにもであって、正直骨が折れるんだよなぁ。。。

ま、がんばります。逆に「今日のイケメンブラジル人」という写真もアリだよね。いや待てよ、するとゲイと思われるかな。この国は、ゲイ人口が多い国らしいし、世界最大のゲイパレードはサンパウロで行われている・・・。うーん、どっちにしろ、面白い企画というのはそれだけ苦労しなきゃ作れないということですね。とりとめないですが。

2013年6月15日土曜日

Praça Yoshiya Takaoka ヨシヤ・タカオカ広場

12日目、こちらでの2週間目を終え、ぐっすり寝て起きた土曜日の朝、まだ荷物が届いていないのでクッキーとオレンジジュース、電子レンジで温めたホットミルクという朝食を済ませ、軽く走りに出る。丘の下のホテルはチェックアウトして丘の上の自宅に入ってしまったため、先週走ったParque do Ibirapuera(こちらも丘の下)は少し遠い。

なので自宅の近くにあるParque Trianonに行ってみた。大都会にそこだけうっそうとジャングルが茂る光景は、前から気になっていたのでちょうど良い機会だった。聞くところによると夕方ここはゲイの皆さんが逢引する場所に変わるらしく、ここの説明をするときにはたいていの人が眉をひそめる反応を見せたのだが、朝は健康的な場所で、一周1kmのカワイイ公園だった。朝6時~夜6時の12時間オープンしていて、門という門に警護要員ががっちり固めてあるのはさすがサンパウロだ。

ここに来て2週間が経って思ったことは、日本人駐在員は、日系人社会を大切にするということ。そしてそのインナーサークルの中で循環する情報というのは治安情報など非常に役に立つことが多いということ。しかし一方で、自分で確かめていないのにぐるぐる循環している情報も、多いということ。例えば Ibirapuera 公園で危ない目にあったことがある人が、あそこは危ないと言っていたのを人づてで聞いたことがある。いざ僕自身が行ってみると、日中日の高い時間に行けば全く問題はないというのは明らかであって、その情報が独り歩きしていたことがわかった。また、それを伝える人も、一度だけ行ったくらいでその情報を伝達していたという具合に。

だからといって治安情報を軽視してはいけないことはわかっている。確かにごくまれに発生する強盗やスリなどの犯罪は日常茶飯事のこの国で、そうした情報にアンテナを高くすることは重要だ。だが11百万人も住むこの都市で、過度にビクビクして過ごすのは間違っていると思う。地元の人は普通に生活している。ただ、地元の人は、リスクを回避し身を守る工夫が上手い様だ。これからも情報をうのみにせず、自分の目で確かめていきつつ、発生した事象に関する情報収集に埋没するのではなく、それよりも大切なリスク回避の手法を地元の人から学んで行きたいと思う。

話戻って、Trianonの北に隣接する形でサンパウロ美術館があって、その敷地の一部だろうか、Praça Yoshiya Takaoka (ヨシヤ・タカオカ広場)というのを見つけた。1925年に16歳で渡伯した画家で、こちらサンパウロの中心部に名を残すほどの高名な方だそうだ。
(WIKI ポ語)http://pt.wikipedia.org/wiki/Yoshiya_Takaoka
(画集)http://cultura.culturamix.com/arte/yoshiya-takaoka

ここブラジルではそうした日系人の足跡に良く触れることがある。こちらの人にはありふれた情報かもしれないが、僕自身フレッシュだと思ったらこうして書いて行きたい。そうすることで、すごく小さい規模だけど移民して努力された先人の苦労・功績が少しでも伝わって、再び尊敬が集まるきっかけになればよいと思う。

2013年6月13日木曜日

サンパウロの気候と人柄

到着から10日目の朝を迎えた。

10日目だからもう素人ではあるまいと、今朝は近くのカフェにふっと立ち寄った。訳知り風にTVを見つつカフェオレ(現地の人よろしく砂糖をたっぷりと入れる)とハムチーズ入り揚げパンみたいなものを粋にやっていると、隣のオヤジから「あのニュースに出てる市バスはさ、・・・」という様なことをポルトガル語で質問される。『すみません、ポルトガル語話せないんです』と全然粋じゃない回答をしてそそくさと店を後にした。やはり所詮10日、素人だ。

昨日は洗濯機を初めて回し、航空便で送った物干しがまだ届いてないので部屋中のドアノブやらタオルかけやらに干して窓を開けっ放しにして日中出ていた。夕方季節外れのスコールがあったりして乾き具合を心配したのだが、夜帰宅すると見事にカラッと乾いている。ここサンパウロの気候は標高700mとあって、非常にカラッとしている。そして蚊などの虫が居ないので、窓を開け放していても気にならないのが素晴らしい。いまは日本と真反対の冬なので寒いが、といっても朝晩ウィンドブレーカーがあれば良い程度。ワイシャツにVネックセーターで十分で、日中日が差せば暑くなる。

治安は悪い(らしい)。らしいというのはまだ実感がないからだ。ビルというビル、マンションというマンションは全て堅く警備されており、ポルテイロという警備係が必ず門の開閉に関与する。するものの、エレベータで会う人とは必ず挨拶するし、人々はおしなべてフレンドリー。タクシー運転手に至るまで悪い対応は少ないし、なんといってもチップの悪弊がないから素のサービスが得られるし、コミュニケーションに壁がない気がする。つまりチップがあるとそれを期待して水増しのサービスが出現したり、逆にものすごく素っ気ないものに出くわしたりすることが往々にしてある世の中で、このブラジルはそうではないのでありがたいと感じる。

気候と人柄とをリンクさせるには、あまりにもこの国は広いし滞在日数が少なすぎる。ただ、細かいことを気にしなかったり素で人と付き合う特性は、カラッとしたこの都市の気候と無関係ではないはずだ。これからも考察を続けていきたい。



証明写真の撮影 in Brazil

今日、当時での外国人登録に必要な証明写真を撮りに行きました。よく大型スーパーの軒先なんかに証明写真BOX的なものが設置してあるのですが、それらは異様にボロかったり、ただでさえポルトガル語がまだ聞き取れないのに機械にしゃべられてもなおのことわからないから怖いというのもあって、人の居るお店に行きました。

文具屋みたいな雑然とした個店の中にそれはあって、「写真撮りたいんすけど」と言うと、案内されたのは写真の様なややマヌケな設備。イメージとしては、日本の健康診断で聴力検査のときに入れられる小部屋か、子供の乗り物みたいな感じ。んで、正面見てもカメラは無くて文具在庫の山だけ。待っているとオジさんが自分のカメラ持ってきて三脚で構えだす。






















バッテリがー無いやと慌ててバッテリーを替えに行く。戻る。はい、いきますよーとシャッターを切る。3分で出来ると言われてちょうど3分くらいで出来る。写真代自体は15レアルで、ほかの文具と合わせて29レアルと請求され、30レアルを支払うと2レアル札のお釣りがフツーの顔して返ってきた。

なんてことない出来事でしたが、そこそこに中進国的な証明写真の流れ、そして1レアル札がないことに起因するアバウトなお釣りのやり取りから、ブラジルが垣間見えたらと思う次第。

2013年6月11日火曜日

brasileiras bonitas#1 今日のブラジル美人#1

このブログの視聴率を上げる為と、日本を出発する前に同僚からフツーの女性のファッション情報を送ってほしいと頼まれたことと、自分自身の会話術の修行のため、街角で見つけたカワイイブラジル人女性の写真を挙げていくことにした。 

今日の美女は Camila 19歳。僕が今日まで宿泊していたサンパウロのHB Ninty Hotelの朝食レストラン受付係。笑顔がとても素晴らしいカミーラちゃんです。制服なので全身写真はありませんが、今後私服の方は全身写真を撮らせてもらうようにします。

2013年6月8日土曜日

5年日誌

こういうものを付け始めた。





















サンパウロ駐在が何年になるかわからないけど、とりあえず5年モノを、買ってみた。この駐在時期は、自分の仕事面にとっても、家族にとっても非常にホットな時期であることは間違いなく、後から自分の人生をさかのぼって眺めるときの材料にしたいと思い、毎日少しずつつけていきたいと思う。

いまのところこの4日間は、日本を離れるときに3歳半の娘と交わした約束、『一日一個パパに報告できる何かをスカイプで教えてね』という宿題みたいなものの記録が殆どだ。これによって娘の学習意欲を維持したい目論見だったが、滑り出しは順調だ。折り紙が出来たやら文字が書けたやら、お弁当を残さず食べたやら。そのうちに仕事の達成事項の記載が増えていくことを、夢に描いている。

2013年6月7日金曜日

4日目の朝、ブラジルの労働者保護

前回「一日一回はブログを書く」と決意表明をしたが、すっかりこの体たらくである。ま、なにごとも無理は続かないので、今後できない約束はしないようにしよう(笑)

今朝はサンパウロ4日目の朝。火曜日早朝に到着して、ホテル暮らしをしつつ怒涛の一週間が終わろうとしている。体調はすこぶる良く、冬のサンパウロの冷涼な気候にも負けずに取りあえずは週末を迎えることになりそうだ。来週末からはFIFAコンフェデレーションズカップが始まるので、恐らくTVに釘付けになると思われ、今週末はゆっくりと静養したいと思う。

家族を半年後に呼び寄せるのでしばらくは独身だ。思えば2009年に第一子が生まれてというもの、土日は平日より早起きをするようなリズム感での暮らしだった。妻には大きな負担をかけてきたし、彼女は今も日本で孤軍奮闘しているのでいささか不謹慎ではあるが、この週末は久しぶりに大手を振って朝寝が出来るのではないかと大いに期待しているところだ。

さて2日目、昨日と、サンパウロ中心部にある公証役場・カルトリオ"cartório"に出かけた。

















ブラジルは労働者にやさしい国で、労働者保護のための色々な仕組みが実に充実している。役所の手続き仕事や、契約ごとなどの様々なシーンで活躍するのがこのcartórioである。パスポートをどこかに提出する際、現物ではなくこのcartórioで「認証」された全ページのコピー(いわばofficial copy)を提出することが求められる。委任状をどこかの公的機関に提出するとしよう、このcartórioで「認証」された書類が必要。パスポートなぞは、空白ページを含む全ページのコピーが必要だったりして、このcartórioに支払うのはページあたり幾らという料金体系であって、日本円で15,000円もの金額を請求された。こうした仕事は、ワイシャツにネクタイの働き盛りの年齢にあると思しき男性陣が手掛けている。要は単純コピーをだ。うーむ。

そして驚いたのは、この場所で働く人々は、世襲なのだという。こうして雇用が維持されて、世襲されていくとはある意味「素晴らしい」労働者保護の仕組みだと感じた。田舎町などでは、旧式のエレベータには必ずオペレータ(壮年男性)が椅子に座っていて、扉を開け閉めしたり階を指定してくれたりする実に充実のサービスがあったりする。エレベータを刷新したりせず、雇用を維持せんとする国の意図が見て取れる。

民間企業においては、13か月目の給料"decimo terceiro"をボーナスとは別に支払わなければならず、3週間の連続休暇を与えなければならず、インフレ率を加味した昇給をコミットせねばならず(政府の決める最低賃金の上昇率と同率をそのまま適用!)、と実に色々な保護施策が用意されている。いやはやこの国で民間企業を黒字経営する経営者にはまことに頭が下がる思いなのである。

こうしてみると、BRICSだ経済成長だと言っているこの国の違う側面が見えてくる。ちなみに出来上がりの「認証」は単なるシール。見てくれは立派なんだけどね・・・