2015年9月22日火曜日

季節の匂い

季節には匂いがあって、その匂いが昔の記憶を連れてくる。

その匂いは、変わったばかり季節の急激な温度変化と、そのシーズンに旬を迎えた植物が醸し出すいぶき、それらが合わさったものではないかと思う。
しかし鼻で感じる匂いにさらに記憶がプラスされることで、それは立体的なフラッシュバックになる。

かつてその匂いを嗅いでいたときに自分が感じていた寂しさ、不安、高揚。そうしたひとつひとつの思い出が、季節の匂いで一斉にスイッチが入って私を襲うのだ。毎年繰り返し何度も。

記憶は、心情的にナイーヴだった小・中学生の時代の事象がベースとなっている。

夏の終わりの気温の低下には胸が締め付けられるような寂しさを覚える。
とりわけむせかえすような湿度の8月末、夕方起こる激しい夕立ちには、残り少ない夏休みを強引に味わおうと友達と自転車で強行した市民プールの記憶がセットだ。天気が悪く気温が下がったときのプールは何故だかわからないけれど寂寥感を強烈に伴う。きっと心臓がシュリンクする物理的な動きが気持ちに作用しているに違いない。疲れた体で雨宿り、売店で飲む瓶入りコーヒー牛乳の味も追いかけてくる。宿題をまだ残している焦燥感には、フタをしている。

秋は運動会の清涼な空のイメージがあるだけで、取り立てて大きな感傷は訪れない。
自分が冬生まれということもあって、より寒い冬の方が心情を動かし易いということだろうか。

冬、鼻をツンと刺す寒さが匂いを麻痺させるけれど、そのこと自体が匂いに変わる。
乾燥するから唇が荒れ、当時リップクリームの存在を知らず常に嘗めるから口の周りが赤くなって友人からバカにされた。

日没が早いので部活は早く終わる。帰宅も早いが家には誰も居らず、2匹の犬と散歩をする時間が長くなる。吐く息の白い絵と心臓破りの坂、小学校名物行事の朝マラソンが辛いけれど、ためしに一度自分のタガを外して限界を超えて速く走ってみたら順位が劇的に上がった成功体験がプラスに作用する。少し頑張ればクリスマスと年末年始。年賀状は面倒だけど、大手を振って夜更かし出来る唯一の季節、お年玉も高校サッカーも楽しみだけど、中学生になると受験シーズンが重なって、都合行って来いの季節だ。

春、やっと冬の寒さが和らいだと思ったら次の季節への心の準備が整う前に桜は咲き、やがて散ってしまう為、全体的にそわそわした印象。それまで警戒心を抱かせるような厳しい寒さを持っていた外界が、手のひらを返したようにうららかな日差しを投げ込んでくるこの季節、不安が先行して落ち着かない。

クラス替えの発表に臨む緊張感は、受験の合格発表の緊張感を何故か凌駕していたように思う。新しい教科書とノートは嬉しいけれど、部活も学年が上がり内容も一段とハードになるのが嫌で仕方がない。

そんな子供の様なことを、日本では毎年繰り返していた。
大学時代にはヨットというスポーツを通して年間130日海に出て、季節を肌で感じる暮らしをしていたので匂いで感情が大いに起伏した。三十歳を超えても、家を出た瞬間やオフィスを出た瞬間に入ってくる匂いに、条件反射で胸を動かされていた。

ブラジルではめったにそれを感じないけれど、不思議なもので日本のそれと似た気温や花の匂いを偶然キャッチすると、むくむくと記憶が立体化されて立ち上って来るから面白い。いまだにあのころの感傷が頻繁に甦ることで、人生の初心に立ち返ることが出来る気もする。

桜の木の下で

ブラジルにいると、ちょうどこのシーズンになると
「もう食べたか?」
「なに?ブラジルに2年もいてまだ食べてないのか?」
などという絶大なるオススメを受けるフルーツがある。
それがジャブチカーバである。

南米原産のフルーツである。

ジャブチカーバ wikipediaより掲載

2015年9月15日パウリスタ大通りで
撮影したジャブチカーバ売り
とにかくブラジル人はこれを好きで、農園などを歩いていてふとジャブチカーバの実がなっていたりすると皆熱狂的に寄って行き、食べ始め、そして人に食べさせようとするのだ。ホレホレ、ちょうど成っているぞと。ジャブチカーバだぞと。ああホントだジャブチカーバだワイワイと(笑)。

木の幹の表面に直接実がなるそのさまは異様なものがあるが、裏腹に中身は味も香りもおとなしく、サイズと色は巨峰くらいで、ライチに似た風味と食感がある。故にさほど好んで口にしたくなるような代物でもないのだ。だからニホンジンである我々と、熱狂するブラジル人との間で明確なる温度差が発生するという困った事態が起こる。

なぜそこまで熱狂するかというと、聞けばこのフルーツは実の成るシーズンも限られ、デリケートで傷みやすいことから流通事情も良くないこの国では希少価値が非常に高まるのだという。それは日本で言うところの期間限定の桜の花の下で酒を飲みたがる習性と、さして違うことでもないと思った。

なるほど気が付いたら4月に日本を訪れたという外国人に対して、「桜見た?ちゃんとコザ敷いて花見した?」などと聞いて回る我々日本人の感覚と同じかもと感じたものである。きっと質問された彼らは思っているだろう。「サクラはたしかに綺麗だ。それはわかる。だけどなんでアイツらは木の下で酒を飲みたがるのか。そしてそれを人に勧めたがるのか」と(笑)。

どこかの国で珍重されたり希少性が高かったりすることが、他の国出身の人にも遍く好まれるかどうかは別の話なのだというのが、面白いと思う。冬の鍋料理もひょっとするとそれに該当するかもしれない。自国の文化には、自分がこれまで幼少期も含めて体験して蓄積してきた『幸せプレミアム』ともいうべきものが詰まっているからこそ「無条件に良い」のであって、そのプレミアムを差し引いて異国人の冷静な目で見たら、そのイベントはたいしたことないのかもしれないなぁと。

2015年9月18日金曜日

それがどうした

もっともな数字を取り出して、訳知り顔で「ホットな経済情報」語る。
結論めいたことを暗示した様なしないような体で、形を整え上手く取り繕う。
東京から原稿を依頼され、書くたびに思う。読む人はそれを読んで面白いだろうかと。

「停滞するブラジル経済」とか、「ブラジルレアル、試練のとき」などと変わり映えのしない文句を並べることはできるけれど、そんなことは日本の新聞にだって書いてある。

今回は常々感じているこの国の経済を回している『何か』について日頃思っていることを書きたい。

■ま、いずれ来るでしょう
あくせくすることは、この国では悪だ。
予定時間にまだ来ないがそのことを気にして確認の電話などすることは、カッコ悪い。何故ならそれは人生をゆったりと楽しんでいない証拠だからだ。もし来なければ縁が無かったということで、そのコンタクトを閉じ、『やれやれ』と言ってまた他と仕切り直すだけだ。

こうしたメンタリティが、無駄とバッファを生み、経済を緩やかに、シビアではない形で動かしていると感じる。

無駄や遅延というのは、かつて日本でスティックシュガーの入目が多く、捨てられていた部分も含めて販売者の売上にカウントされていたように、実は経済の規模を膨らませて大きくする効能もあると思うのである。

インフレに伴う値上げもあっさり受け入れられる。端数は切り上げて請求してもあまり文句は言われない。こうした数字を多いサイドに丸める文化も、上述の無駄や遅延と同じレイヤーを成す要素と捉えることができ、比較的苦労少なく売上を上げられる文化を醸成するのに一役買っていると思うのである。

■持てる国
ブラジル製商品は国際競争力が無いという。

それはそのはずで、高い輸入関税と、複雑な通関制度、難解な税制度と過保護な労働法、またポルトガル語という様々な障壁を用いて自国の資源と産業を維持してきた。そのことによって、国内製造業は一昔前のレベルにとどまり、ガラパゴス化している。品質が悪いにもかかわらず、国内産の消費財の値段は高い。

しかし、それがどうした。

こうした鎖国政策が正解であるか間違っているかは、将来の人間のみ語ることができるわけで、今現代に暮らす私達が批判したり憂えたりするのは少し違う。将来的に自国資源を守り通せた2021世紀であったという歴史になるかもしれないのだ。

ブラジルは日本の22.5倍という広大な国土を持ち、自然災害は殆ど無いと言える。凍るような寒さの土地も無ければ、たまに起こる干ばつもたかが知れている。アフリカの一部の国と違って、水資源はあるのだ。食資源は世界有数で、掘れば石油も天然ガスも出、鉱物資源もあり、人口は2億人強、その構成ピラミッドは健全と来た。

つまり、ブラジルはニッポンよりよほど「持っている国」なのだ。だからあくせく働く必要が無いのだ。「カイゼン」も不要。だから研ぎ澄まされた競争に勝った上で提供されるサービスなど、あるはずが無いのだ。でもそれで良いのだ。ギスギスしても結果は大して変わらないのだ。それはあたかもものすごいスピードで追い抜いて行った車に次の赤信号で追いついてしまうのに似ている。

■政治家が悪い
GDP成長率は昨対マイナス予想で二年連続のマイナス。
通貨レアルは急落中で、いまや1ドルR$4.0を付けようとしている。
大統領は超低空飛行の支持率と、ブラジル政界を揺るがすペトロブラス賄賂問題、そしてねじれ国会による指導力低迷に振り回され、経済対策どころではない。

この状況を指さして、この国の人々は皆一様に、「政治家が悪い」とあしざまにいう。
モラルがない、この国の運営の中枢を担うエリートが率先してインモラルなのだと。なにしろ汚職で得るの金額の桁が、100億円の単位だったりしてスケールが違うのだ。怒りを通り越して脱力するのも無理もない。

しかし巷で起こっている政治家批判は、どこか他人ごとに聞こえてならない。自分たちで行動を起こそうという雰囲気がみじんも感じられないからかもしれない。きっとその批評者達は、自らが政治家になれば口を閉ざし、同じことをするのだろうと思わせる空気感がある。

そんな国に明るい未来はあるのか。
・・・教育がキーワードになろう。

ブラジル人は家族のきずなを大切にするというのだけれど、その実、多くの家庭にはベビーシッターがいて学校は半日制だから空いた半分は英語や柔道教室に行かせるなど、外部に任せていることが多いと感じる。という訳でブラジルは社会全体で子育てしているので、社会が「教育」する結果は、ある程度同じメンタリティに繋がるのではないかと危惧する。

私は、日本では家の中の教育はしつけと称し、家の外の教育を教育と定義している、とそんな認識でいる。しかしこの国では全ていっしょくたに「教育する=”educar”」にまつわるコトバ達で語られるのである。ブラジル人にとって教育はカネのかかるものであり、何か新しいことを学ぶ時には専門の機関に行って先生に教えてもらう、そういう風に発想するふしがある。逆に言うとカネをかけて履修すればなんでも身に着くのだという雰囲気がある。

家の中で自然に叩き込まれるしつけの部分や、学校の部活動で醸成されるような運動のスキルやチームワーク形成の為のメンタリティなどについても、皆それぞれ外部のスクールで補っている感じなのであるからして、常々大丈夫かなと心配している。

しかしまた、それがどうしたである。

あくせくした道徳観でキッチリ仕込んだ子供が少なくない数で自殺をしてしまうような社会・日本と、どちらが良いのかという話だ。政治家のモラル?ある意味動機が純粋でわかり易くていいじゃないかと(さすがにこれは誰も言わないけれど、そんなノリがきっとあるはず)。


ブラジルで目につくことがらのほとんどは、ブラジルが日本と対極にあるからであって、『それがどうした』が殆どなのである。そして100200年の長いスパンで見たときに、ほくそ笑んでるのはどちらかというと、ブラジルであるような気もするのである。

2015年7月29日水曜日

チカラの入った人生

「それだよそれ、俺が求めていたリズム!!!」
ムキムキのマリオ先生が笑顔で叫んでいる。常に無表情な彼が笑ったのは初めてだったし、褒められたのも初めてだった。確かに自分でも信じられないくらいに力が抜けて自然な泳ぎが出来たのだった。

水泳を始めて1か月が経つ。
サンパウロに着いた翌月に始め毎朝実行するのが趣味と化したランニングは、行き過ぎが祟って2年で膝を痛めた。整形外科医によるとランニングをストップすることと、ストレッチと膝を守る筋肉のトレーニングが必要とのことで、その為のリハビリ医を紹介するとかなんとかで、そんなつまらないものはやりたくないので他の道を探すことにしたというわけだ。

運動になるし、ひざに負担もかからない。そして膝を守る筋肉を鍛えることにもつながるだろう水泳なら、全身をバランスよく鍛えることにもなるし好都合だ。家の近くで気になっていた子供水泳教室の様な場所があり、そこでは大人向けもあるかと飛び込み見学して尋ねたところ、非常に小さいスペースであるが一コマ4人限定で受け付けているのだという。見学すると17m3レーンある。一人の先生が4人に対して同時に指示を出す形だ。

規模は極小だが、家から至近だしレッスンを受けるには寧ろ目が届いて良いのではないかと思える。先生は男性のみだというところで淡いゲスな期待は崩れたものの、すぐに申し込みをしたのであった。

かくして水泳教室は始まった。38歳にして初めての水泳教室だ。子供のころにも習ったことが無い。目的は、リラックスして効率の良いフォームを身に付け、長時間・長距離泳げるようになることだ。一貫してマリオ先生から指摘されていることは、「もっとゆっくり」と「力を抜け」の二つ。どうやら相当に力が入っていて、急いでいる様だ。何度やっても「まだ早い。ゆっくり」と顔を上げるたびに言われるのだ。

同じようにこちらで先生に習い始めたことがあって、それはゴルフであり、そのマルシオ先生からも全く同じ指摘を受けている。曰く、「力を抜け」と。力みは何も生まないのだと。

事ここに至ってはたと気が付く。俺の人生、いままでどれだけリキんで生きて来たかということに。裏を返すと効率を漏らしてエネルギーを浪費してきたなと。

思えばスポーツだけでなく、生きること全てにおいて、力む、急ぐ、が標準仕様になっていた気がする。不惑のターニングポイントを前に、とても大切なことに気が付くことが出来たのではないか。これまで38年間、力みっぱなし(笑)。こうして力んできた人生は、思い出すだけで恥ずかしいけれど、あの様なシャカリキな過程があってこその今の気づきなのだと昔の自分を慰め労ってみたりもする。

赴任→腎臓結石→ランニング→膝不調という経緯を経なければ、水泳にも巡り合えなかった。一見行き当たりばったりで流れに翻弄されてきた様にも映るけれど、実際には全て自ら動き求めてきた帰結だから胸も張れる。これもなんだか面白いと感じる。

ゴルフは未だに要領を得ないし、何度となく発狂してクラブを捨てようと思って来たけれど、『リラックスを強要される』稀有な機会と位置付けると、今度は自分の牛歩な成長に楽しみながら寄り添える気がする。苦労している自分を俯瞰して慈しむみたいに。


というわけで引き続き、力みを排除するシンボリックな機会を大切にしつつ、チカラの入った自分を戒めていきたい。すぐ忘れるんだけどね(笑)

2015年7月4日土曜日

こより

読み終わる。
こよりであったりしおりであったりするのだが、最後それをどこにしまうのか悩む。

挟まなければ、それまで共に少なくない時間を過ごしてきたそれをぞんざいに扱っている様だし、一番最後のページにしまうと、まるで次が無い様だ。かといって中途半端なページに放り込むような失礼な真似は出来ない。最初のページというのも、ありきたりな気がする。第一バランスが悪い。

作家の膨大な頭脳闘争のしるしをまざまざと見せつけられ、作品の前に無防備な読み手として彼らに導かれるまま、ラストまで無心に突き進む。内容に没頭すれば23日で読み終えるその間の作業は、身体も痛むし目も疲れるしのまさに戦いであって、身を削りながら作家に対するリスペクトを募らせるプロセスに他ならない。

読後の茫洋とした達成感と疲労感とがないまぜになった感覚にクールダウンをするようにあとがきにさらりと目を通し、余韻を締めくくる最後の作業がこのこより収納なのであって、それは読後の満足感によってどこに着地するかが変わってくる様な気がする。

いまだにどこにしまうのか、それは決まっておらず、読後の自分の感覚に任せているのだけれど、毎度のことながら心地よく浸っている読後の興奮を冷ますかのようにそんな些細なことに逡巡している自分に気が付くのが邪魔でならない。でも些細ながらもこの作業は作家に対する意思表示の象徴であるかの様な気がするからおざなりにもできない。

今日は読了前最後の再開時においてあったその場所にそのまま放置するという新しいパターンで、これが最もフィーリングを妨げない気がしてしっくりきた。バランスも悪すぎはしない。


ペン一本で人の心を離陸させる仕事を職業にしている人々への尊敬と嫉妬を抱きつつ、それでもまた小説を手にしては読破していく日々である。

2015年6月12日金曜日

啓蒙活動

「誰だ?」電話口の向こうから、その電話をかけてきたブラジル人がそう聞いてくる。聞きたいのはこっちなのだが。

それはどうやらブラジルの文化であるらしく、まず誰が出たのかを名乗れと言うのだ。そのルーツは呼び出しを受けて電話に出た人間が誰であるかを確認する必要があった交換手の時代にまで遡るというのだが、つくづくおかしな文化である。

かけた人間が、出た人間に対していきなり「誰だ」と聞くのである。だいいち、自分でかけているのだからそもそも誰にかけているか承知の上でかけたはずだ。日本人的な感覚で言えば、失礼極まりない。そしてセキュリティの観点からも、知りもしない人間に対して、そうやすやすと自分の名前を名乗りたくもない。

周辺のブラジル人に聞くと、悪気は全くないし、それはあまりにも当たり前のこと過ぎて皆何も違和感を感じずに日々繰り返しているのだという。自分でかけて誰だと聞くやりとりを、ごく普通のブラジル人である友人が隣でやっているのを聞いたことがある。

そんなとき私はいつも
「そういうお前こそ誰だ」
とキレ気味に答えるようにしている。

まぁ、普通に日本人的に腹が立っているから素直にそれを口に出しているという側面も否定できないのだけれど、やはりポイントは「ブラジルの常識は世界では非常識かもしれないよ」と警鐘を鳴らすところにある。そうして聞き返すとだいたい向こうはおとなしく答えてくる。どうやら本当に悪気も無く普通のやりとりであるようだ。それでもなお、あまり褒められた文化ではないと考えるのである。

あ、電話だ。今日もキレ気味で地道な啓蒙活動は続く。

2015年6月6日土曜日

さすらいの研ぎ職人

またしても、市中で面白い商売人を見つけてしまった。
価格は17レアル(約280円)、移動式の刃物研ぎ屋・ワグネル氏である。
この道、実に20年。
何がすごいかって、彼の商売道具のこの機械が実に良く出来ているのである。
このタイヤ、移動の為の車輪であり、研ぐ際には研磨用の刃を回す動力になるのだ(!)。
なんという効率の良さだろう。

作業時には機械を立て、タイヤは宙空に。車軸と連動するゴムバンドを研磨機のついた軸に掛け、浮いた車輪を手で回して研磨機を回転させる動力とする。移動時にはバンドを外す。


さらに興味深いのは彼が移動しながら客を集める笛である。














ラーメン屋台のチャルメラよろしく哀愁を帯びて鳴らされるこの笛は、サンパウロの街に実によく響くのである。

昨年取材をした移動花屋、路上家具修理屋に続いて、こうした面白商売が続々と見つかるこのサンパウロ。
日本にも昔は色々と存在したであろう、こうした商売。
彼らの日々たくましく商う姿勢に、多くの示唆をもらう毎日である。

2015年6月4日木曜日

KIWIバーガー

大学4年の卒業前に、ニュージーランドへ一人旅に出た。テントを持ってヒッチハイクで国中を廻る意図だ。かねてより憧れていたこの国の美しい川や湖を訪ねてみたいということと、英語力を鍛えたいという希望があってのNZであった。

オークランドから入ってクライストチャーチより抜ける3週間の道中、実に62台の車をヒッチハイクで乗り継ぎ、公園などにテントを張り貧乏旅行をした。予算は極限まで切り詰めていたので、常に腹を空かせていたのを覚えている。初期投資としてスーパーで買ったスライス食パンに今日は何を挟んでやろうか、ツナ缶か、喫茶店でコーヒーだけオーダーした時に拝借したバターやジャムか、日々それだけを考えていたような気がする。

相当にひもじそうに見えたのだろう、ある時、ヒッチハイクで乗せてもらった農園主の男性に、メシ食うか?と聞かれ、ハイと答えたら農園内の母屋に案内され、サンドイッチを馳走になった。すると「さあ、いこうか」と言われ、当時英語が良くわからなかったけれど働かざる者食うべからず的なことを言われ、散乱した切り株をひたすらトラックの荷台に積むという重労働をさせられたことがあった。

別のケースでは、30代くらいの男性ドライバーに、「腹減ってるか?」と聞かれ、今度は警戒してさして減ってないと答えたのだが、上手いもの喰わしてやると強引に自宅に連れ込まれた。その時に至って初めて、ヒッチハイクの人間を乗せるにはどう考えても綺麗すぎるメルセデスに、ふかふかのファーみたいな敷物が敷いてあったこと、妙に柔らかい物腰などから、そっちの系の人であったと気が付いたけれど、時すでに遅しである。到着した彼の自宅には巨大なボートが陸置きされており、暗がりの中でも十分にそれとわかる相当ゴージャスな邸宅であったことからさらに身の危険を感じ、慌ててサンキューと言い残しバックパックを掴み逃げ去ったことがあった。幸いにして主は追って来なかった。

旅も大詰め、クイーンズタウンという街に向かう行程では、何を思ったかヒッチハイクではなくインターシティ長距離バスを使うことにした。理由は忘れたが、多少疲れたとか先が見えてバスに金を使えるとわかったとか、そんなところだと思う。そのバスで偶然隣り合わせたのは誠にいけすかない貧弱な日本人学生で、話を少ししただけでコイツとは合わないと思わせる性格の持ち主であった。それが故に途中のトイレ休憩で私は席を変え、一人車窓を楽しむモードに切り替えて彼を拒絶することにした。

クイーンズタウンについてすぐ目の前に拡がるワカティプ湖畔に投宿した。といっても物陰に一人用ドームテントを張るだけであるが、重いバックパックを下ろして寝転がれる解放感はたまらないものがあった。

ひとりゆっくりと日没前のひと時を楽しんでいると、外から声を掛ける日本人が居て、テントを這い出してみるとそこにいたのはなんといけすかない彼だった。「この街でダンロップとデカデカと書いてるテントを見たら日本人の君しかいないと思ってさ」と嫌味とも何とも判断のつかないことを言いながら、彼はメシでも食わないかと僕を誘った。とにかく彼の性格が気に喰わなかったし、2週間以上一人であったから、そうした付き合いももはや面倒に感じられ、断った。

小一時間して彼はまたダンロップテントを訪ねてきた。

今度はなんだとつっけんどんに対応すると、マクドナルドの紙袋を提げて僕にくれるという。一緒に食べようと。中身はニュージーランドご当地メニューのKIWIバーガー(ニュージーランド人の愛称KIWIから取ったネーミングである)のコンボであった。

ついさっきまであそこまで彼を邪険にした自分がすんなりとその差し入れを受け入れるのはなんとも気恥ずかしく感じられたが、そんなチンケなプライドは数週間の慢性的空腹症には勝てる由もなく、あっさりとありがたく受け取った。宝石やハンドバックなどの贈り物に態度を翻す女性の心持とはこんなものかと想像したりもしたのを今のことのように思い出す。


湖畔でいけすかない彼とふたり並んでKIWIバーガーをついばみながら何を話したのかはもはや覚えていないけれど、その味たるや人生最高の称号を与うるにふさわしいものであった。バーガーを食った後、彼は一切コンタクトしてこなかったし、連絡先なども交換しなかった。僕はその後結婚して妻や家族を伴ってこの湖に2度ほど旅行で戻ることになるのだけれど、その都度ダンロップテント横のいけすかない彼と極上KIWIバーガーを思い出すのだった。

2015年6月2日火曜日

レシート下さいマン

           「レシート下さい」
店員       「・・・」

私が小学校3年生のころ、お店で発生したやりとりである。
無言の店員は、めんどくさいことを顔に出している。

このころ、母が足を骨折して2週間ほど入院していた。
自分が入院不在の期間中、家庭の会計の実態を把握する為に、母が子供たちに「何かを買った際にはレシートをもらいなさい」と命じていたのであった。

後で聞けば、母は「大きな金額のものだけでよかったのに」とのことだったのだが、そんなことは知る由もないのである。息子はただひたすらにせっせすら意味も分からずレシートを集めるのである。100円のポテトチップスを買う時にも、50円のガリガリ君的なアイスを買う時にも。近所の酒屋でも、文房具屋でも。

ほどなくして私にはあだ名がつくことになる。「レシート下さいマン」というものである。近所の商店にはだいたい同じような学年の子供が居るもので、たまたまレジ番をするそれらの友人経由でこのエピソードは伝わったものと思われる。

僕はそのあだ名に気づいた後も、母が退院するまではレシートの請求・収集を止めなかった。まとまった金額でなくとも忠実にレシートを集め続けた私。妙ちくりんなあだ名と一緒にクラスの友達に馬鹿にされてもレシートを集め続けた私。家計の為になる、母の為になるとの一心で集め続けたレシート。


退院後の母に、褒めてもらったことがただただ嬉しかったことをいまでも覚えている。

2015年4月28日火曜日

通訳の仕事とイタコ

2週間にわたるアテンド行脚が終わった。

我々にはこのように、日本からのお客様を受け入れ、週単位で旅を共にするということが多くある。

こうしたシーンで、駐在員には旅の計画立案・予約手配、運転手、現地通訳をこなしつつ、契約にもつなげるというマルチファンクションが求められる。私にはその通訳をする際に、つねづね気を付けていることが一つある。

それは「自分のフィルターをかけない」ということである。

お客様は、ブラジル人事業主に対して、積極的にメッセージを発信しようとしているのであって、媒介に立つ私のフィルターを介して変換されたメッセージを期待してはいない。なので出来る限り忠実に、一語一語を訳し伝えるようにしている。「正しいこと」や「話を要約した骨子」を伝えるのではなくて、お客様の発したメッセージをそのまま伝えることに全力を注いでいる。例えそれが間違った内容を含んでいたとしてもだ。結果的にコミュニケーションで遠回りをしたとしても、そのことが顧客満足に繋がると考えている。

反対にブラジル人の発言を日本語に通訳する際も、一語一語出来る限り忠実に通訳する。時折自社に都合の悪いことを突然話し出す人もいるが、その時もフィルターはかけない。ハプニングとしてそのまま『ポロリ』扱いとする。そうすることで顧客の持つ弊社への安心感を優先する。もし自分が反対の立場だったとしたら、透明性の高い通訳者を好むからだ。

ときにはあまりに日本的で伝わりにくい表現が出るときもある。『いやー、これはどうあがいても伝わらないだろう』と感じたフレーズであっても、出来る限りの補足説明を尽くして伝えるべく努力する。その結果としてブラジル人の腑に落ちなくても、トライした事実は顧客に伝わるはずだ。効率を追求することはせず、寧ろその逆を行くのだ。コミュニケーションとは、元来そういうものだろう。

利益誘導戦法は、どうせバレる。
言葉を理解しない人同士であっても、大のオトナの間に入ったコミュニケーションの取り持ちである。話し手の顔色やニュアンスでだいたいの内容は感じるものだ。なので、はじめからそれはしない。むしろボタンのかけ違いがその場で露呈して、問題解決を促したというケースも過去多くあった。きな臭い情報に蓋をするような所作は、問題先送りに他ならない。

大事なのはイタコイズムだ。

話し手の哲学・情熱・大切にしていることなどを自らに乗り移らせ、そうしてその勢いを借りて伝える。話すのではなく、伝えるのだ。こうした精神を、これからも大切にしていきたい。

2015年4月11日土曜日

信号が変わるとき

つねづね疑問に思っていたことがある。
なぜサンパウロで車を運転する人はあんなに飛ばすのか。
と考えていたら、自分も飛ばしていることに気が付いた。
はたして我々をしてスピードを上げさしめる仕組みが、この街にはあったのだった。

ネタを明かすとそんなことかと言われそうだが、実は気が付いている人は少ないのではなかろうか。答えは点滅や黄色といった経過措置の無い青から赤への信号切り替えである。

日本では通常、ドライバーは信号をある程度予測できる。なぜなら赤になる前に歩行者信号が点滅し、それが赤となり、次に車道の信号が黄色になり赤になる。サンパウロにはそれが無い。突然赤になり、ガチョーンと止まらざるを得ない。しかもCET(交通違反取締専門の公社)がはみ出しを厳しく取るので、横断歩道に乗り入れて停車などしたら罰則切符を切られるのだ。

となると人間はどうなるか。
ガチョーンと打ち切りに遭う前に、青であれば出来るだけ急いで通過しようとアクセルを踏むのだ。だからバンバン飛ばすのだ。

歩行者専用の信号など存在する交差点の方が少数派であり、その歩行者用も樹木が生い茂って見えないとか、そんな出来事が盛りだくさんであるから、全く期待できないのである。

ここで本題終了。

■□■□■□■□
ついでに脱線して文句があるとすれば、一方通行車道の二つが交差する歩行者信号なしの横断歩道では、交差点内に4つある横断歩道のうち、半分の2つには渡るタイミングが一度もないという事実。これどうよと。

ブラジルでも歩行者優先は原則なのだが、サンパウロ市内では車は歩行者を無視する。
ここに南北に延びる車道と、それを横切る東西の車道があったとする。
それぞれ進行方向は南→北と、東→西である。

南→北の車道が青になったとき、それに沿って歩く歩行者が、西側の横断歩道を渡るタイミングが無いのだ。

左折する車がひっきりなしに曲がっていくので、左折車が途切れない場合、歩行者に渡るチャンスは訪れない。唯一、南→北の青信号が赤になった瞬間を狙うしかない。それとてすぐに東→西の直進車がドバーっと入って来るので時間的にはほんのわずかだ。

同様に、東→西が青の時、北側の横断歩道はバンバン侵入してくる右折車の波に洗われており、また渡るのが難しい。

これはつまり、高齢者には道を渡るなということだ。
ほんの少しのことで改善が出来ることだと思う。

◇◆◇◆◇◆◇◆
もうひとつ、これは都市設計の専門家がいたら教えてもらいたいのだけど、一方通行で都市を作るのと、両側通行で都市を作るのとどちらかが優れているのか、はたまた実はevenなのか、教えてほしい。道の幅は同じであるからして、供給される道路の総面積は変わらない。でも1台あたりの走行距離はアクセス不可の場所が増えるから増加するという問題。

サンパウロは一方通行制であり、日本は両側通行だ。ジャカルタなんかも一方通行制だけれど、サンパウロ同様渋滞は多く成功しているとは思えない。となると、一方通行制を敷くメリットはなんなのか、という疑問がわく。誰か知っている人が居れば良いのだが。。。


2015年4月9日木曜日

バナナ経済圏

コーヒーを中心とした農作物の仕事の出張で、25か国ほどの国を回った。そうした国々を眺める中で、バナナ経済圏という、ある一定の共通項を持つ国やエリアが存在することが紡ぎ出されてきた。

コーヒーは、赤道を挟んで北緯南緯25度以内に挟まれた地帯の、標高や気候の特性など多様な環境条件がマッチする場所で栽培される。そして、バナナはコーヒーが栽培できる場所にはたいてい生えている。そう、植えられているというよりは、『生えている』のだ。

コーヒー生産国の中でも標高が低いなどしてコーヒーが生育できない環境にあっても、バナナは生えている。バナナは生育環境を選ばず、強く、そして生育も早い。幹はドンドン成長するし、フルーツもバンバン実り、年に何度も収穫できる。

そしてこのバナナ、フルーツを提供するだけでなく、大振りで肉厚な葉や茎は建材にもなる。簡単な住居であれば、これらを編み込んで壁を作る国は多い。そして茎の繊維は、衣服やカゴ等の部材となる。

つまりバナナは、衣食住のすべてを供給するオバケ産物なのだ。
このバナナが出来る国では、人々は生命の危機に直面しない(しにくい)。
なので楽観的な民族性が育まれる、と思うのだ。

だってそうだろう。放っておけば食い物が実り、建材も供給し、衣服や雑貨の原料繊維も供給してくれるのだ。日本や北方に位置する各国の様に不毛の冬もなく、やせた土地を耕す必要はない。そこで暮らす人々の眉間にしわが寄りにくいと思うのである。

反対に、バナナ経済圏では窮屈な社会システムなどは成立しにくく、効率を追い求めようとするマインドが育ちにくい様にも感じる。


どちらで暮らす人々が幸せか、これは答えの出ない永遠のテーマだと思うが、数多くの国にまたがる共通項を発見したので、これをバナナ経済圏と命名して書き留めておきたいと思った次第である。

2015年4月3日金曜日

焦らして野菜を

むかしは早食いだった。
他の食べ方を知らなかった。ゆっくりしようとしても、無理だった。
それくらいに胃袋を満たす作業を早くしなければ満足しなかった。
肉ひとかけらで茶碗半杯のメシをかきこむような、そんなのが大好きだったのだ。30代になってもそういうことをしていた。

ブラジルに来てからダイエットに取り組んだこともあり、コメを減らして野菜中心の食事に切り替えた。ここブラジルではポルキロという量り売りスタイルのランチ形態がメジャーで、これが野菜摂取の面ですこぶる優れたシステムなのである。





■ポルキロ
というのも、だいたいどこでも置いてあるものは似通っていて、サラダ→冷たいオードブル→温かいオードブル→米やピラフ→肉・魚→デザートと順に回って好きなだけ取っていく。最後に計量して、その店ごとに決まっている単価に掛け合わせた金額を支払うという寸法。店ごとに微妙に味付けや調理スタイルに色があるので、客はその日の気分で店を変えるわけだが、毎日どこかのポルキロスタイルなんてこともざらだそうだ。

対抗馬はランショネッチというローカルな定食屋になるのだが、こちらは量もガッツリあって比較的価格も安いので、しっかり食べたい人や男性が好む傾向にあって、逆にポルキロはヘルスコンシャスな層に支持されている。

また、ポルキロの優れているところは、多く食べたい人とそうでない人、肉を食べたい人と野菜な気分の人、男性と女性、異なる趣向の友達・同僚と一緒に入店できるところである。

筆者が取ったあとのポルキロランチの例
7割方を野菜が占めている


■野菜から入って焦らすテクニック
ポルキロの野菜はバリエーションが豊富だ。レタス・トマト的な生野菜や、一度火を通したズッキーニ、ニンジン、マリネされたナスとオリーブ、なんてメニューがバリエーション豊かに並ぶ。陳列台の後半には、温野菜も登場する。この野菜をガッツリ食えば、後半のメインに到達する頃には腹もだいぶくちてきて、栄養も取れるは米と肉は減らせるわで一石二鳥なのである。そしてなんといっても野菜は軽いからお財布にも優しい。

むかしの自分から考えてみると信じられない思いであるが、今では野菜大好き人間になった。コメはゼロにしても平気だ。これはポルキロの存在があるブラジル生活だからこそ成せる業なのだと思う。

最初は肉をガマンして野菜を無理して多くなんて思っていたものだが、いまでは野菜をたっぷり摂るのが趣味みたいになってきて、腹の減った自分を焦らすことに一種の快感を覚えるような、妙な感覚が定着したわけなのだ。必定、食べるスピードもゆったりとしたものになり、いいことずくめだ。毎日のランニングは継続しているが、このポルキロの充実野菜達が、さらに自分をヘルシーに、そして軽量にさせている気がするのである。


ブラジルと言えば肉を想像する向きも多かろうが、実はこの国は野菜(それからフルーツも天国)の宝庫でもあったのだ。40手前にしてやっと早食いの自分と決別できた様である。

2015年3月17日火曜日

サービス業、ブラジル流につき

ブラジルのサービスについてはこれまで何度か書いてきた。今回は怒りに打ち震えている。
常日頃から些細なことに心を動かされる自分だけれど、ここまでみじめな思いに突き落とされるのは我慢ならない。とあるクリーニング店の話である。

サンパウロではよく停電に見舞われる。雷雨の影響や、突然の断線など結構な頻度で発生する。オフィスビルや住居用マンションなどは通常自家発電機を備えており、停電発生後ほどなくして代替電気がすぐに供給されるものだが、今日に限ってそれが不調であるらしかった。弊社事務所はネットも繋がらなくなり、午後遅かったこともあり社員は皆早退し自宅勤務となった。

小生も早々に帰宅し自宅でemailなどを処理した。幼稚園バスを迎えるなどいつもには無いことが出来てちょっとしたボーナスを味わえた気分である。ボーナスついでに夕食までの時間に散歩でもと思い立ち、子供二人を連れだって勤務先ビル付近にあるクリーニング店に仕上がっている衣類を引き取りにいくことを思いついた。

その店は自宅からは徒歩78分程度だが、子供二人を連れて散歩がてらということでゆっくり歩むと片道15分ほどの道のりだ。途中小雨が降り始めて傘も持たず、これはしまったと思いながらも、せっかくの夕方のひと時を子供達と楽しもうと色々と話しつつ歩いた。クリーニングとは何か、なんでそんなことするのか、どうして大きな手提げが必要なのか、みたいな問答をしながら。雨がひどくなれば帰途はタクシー(300円程度)でもいいやなどと思っていた。

到着してみると、店は閉まっている。

改めて営業時間を確認してみる。
月~金、07:0018:30と、店のドアにある。今日は月曜日、現在時刻17:55である。
電話をかける。ガラスのドアを隔てたすぐそこの店内の電話が鳴る、誰も出ない。

店は会社事務所と同じ街区にある・・・。
つまりアレか、停電したから早々に店じまいしたということか。しかし何の張り紙もない。

ブラジルのサービス業って、そんなもんか。
かようにいとも簡単に客の期待を裏切って良いものなのか。

理由や真相はわからないが、営業時間内に閉店したという結果自体が、その店の姿勢を物語っている。ドアに掲げられた『2014年ブラジルベストフランチャイズ店トップ5』の称号が、空々しいこと甚だしいぞ。

自分ひとりならまだしも、こちとら子供も連れてクリーニング屋さんについての社会科教育の一環でもあったのだぞ。その機会を平気で踏みにじるのか。しかも雨に濡れながら歩いてきたのだぞ。ひとたび営業時間として謳ったならば、それを守らずして何の商店たり得よう。

電話してから行くべきだった?確かにそのとおりだ。もうすぐ2年経とうとしているブラジル生活にまだ慣れてない自分を責めてみる。あのエリア一帯が停電していたことは、警戒するに充分な判断材料を与えてくれていた・・・。だがしかしだ、それで良いのかブラジルのサービス業よとつとに思う。サービスを受ける側の消費者サイドも『この感じ』に慣れているからクレームにもつながらないこの国・・・。ブラジルの消費者は哀れだ。そして事業者は少ない競争にあぐらをかき続ける。

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こちらのマクドナルドにも100円マック的なものがあって、ソフトクリームはよく売れている商品である。ポルトガル語でカスキーニャである。大多数の店舗には、カスキーニャだけを提供する別カウンターが用意されているほどである。それには3種類のメニューがあって、バニラ、チョコ、そしてミックスだ。うちの娘はミックスが大好きで、それ以外は食べはするものの、あまり喜ばない。

土日の外出の際に車で移動中など、グズり始めたらこのマクドナルドのカスキーニャをドライブスルーしてなだめたりするのであるが、このカスキーニャがやたらとよくアカボウするのである。アカボウとは終わるという動詞の過去形、つまり『終わった』である。

ミックスをオーダーすると、店員がアカボウという。バニラがアカボウしたからチョコしかないのだと。別の店ではチョコがアカボウでバニラだけだというのもあった。昼過ぎくらいの時間帯である。サプライチェーンマネジメントの雄たる世界のマクドナルドさんが、午後イチに原料切れはあり得ないだろう。こちとら子供がミックスでなきゃグズりが直らないってんだよ。

ブラジルの人によると、安い商品だから仕方がないのだそうだ。確かにそのとおりである。絶望感を味わいたくなければ、そんなファーストフード店で100円なにがしの商品などに頼らなければよい。しかし何度それを聞いても私の気は晴れないし、マインドセットを期待値の低いものに切り替えることが出来ない。はたしてそういうことなのか?彼らの、サービス提供者としての矜持がみじんも感じられないことが残念でならないのだ。そしてそれに慣れてしまっている消費者のスタンスも、憤ろしいではないか。カウンターに立つアカボウ発言連発のバイト達も、いかに機会損失があったかを上席に報告しないだろう。だってアカボウしてるんだからどうしようもないじゃない。『停電したから店閉めた』クリーニング店と同じだ。

何度もアカボウ攻撃された後、また別の日に子供のグズリが始まって「さすがにバニラ・チョコ両方無いってことは無いだろう」などと話しながらドライブスルーに入ったら、『機械が故障しているからカスキーニャ自体がアカボウ』ということがあった。

そういえばバーガーキングでは、リフィルフリーのソーダドリンク付きのセットを頼んだ後、ドリンクカウンターに回ったら、『たったいま炭酸が切れた。炭酸無しだったら出せるが何にする?』と言われたこともあった。

この国で日本式のサービスを提供すれば絶対に勝てると思うけれど、そうした人材を集めることも一苦労なのだろう。しかしただただ、残念でならないのである。頼むから子供を巻き込んで絶望のどん底に叩き落さないでほしいのである。


こうしたことを経験しながらも、これからも自分自身を、一般のブラジル人の様に『憤りを感じさせない体質』に変えていくつもりはない。

2015年1月1日木曜日

ブラジルで通販を利用してみたらどうなるか

ブラジルにおけるサービス競争の少なさについてはこれまで何度か書いてきたが、今回は相当ビックリさせられたという話。ある程度ブラジルに慣れてきたつもりだったけれど、いやはや今回ばかりは相当なハッスルを強いられたのである。

ウチの物件は家具付きなので、冷蔵庫はお仕着せであり、我々はこれにすこぶる不満足である。というのも、日本では最近見ないタイプの、冷凍庫が内扉になっているアレだからだ。冷蔵のスペースはやや小型くらいの感覚だが、冷凍庫(フリーザー部)については、とにかくスペースが小さくて話にならない。

というわけで、独立型冷凍庫を購入しようと思い立ち、色々と調べてみたところ、一番安かったのは国内最大手のスーパーEXTRAが経営するネット通販だと判明。配送料も無料とある。早速クレジットカード決済で購入した。何の問題もなく決済まで進み、カード審査の様なプロセスも翌日には完了していた。その審査が済んだお客様は、こちらをご覧くださいという配送予定日欄には、「あなたの購入した商品のデリバリー予定日は9営業日以内です」と出ている。おいおいネット通販で9営業日とは結構先だなと思いつつも、そこはまぁブラジルだから我慢するかと一旦は考えた。

しかし一方で、my orderみたいなページに出ているデリバリー予定日を見ると、12月11日とある。ブラジルでは日付表記が一般とは違って12月11日のことを11/12(dd/mm/yy)と表記するので、判断に一瞬迷うのだけれど、オーダーしたのが11月8日の話なので、『9営業日』情報と明らかに不一致である。逆に11月12日か?という嬉しい誤りはあまりにも早すぎる配送なので、ブラジルでそれはないでしょーとわかっている。

翌日顧客サービス窓口に電話してみた。15分待たされ(←これ普通)、結論、『配送予定日は11月20日になっています』とのこと。これまた9営業日とも違うし、12月11日とも違う。それには首をかしげつつも、まぁ目くじら立てるような話でもないので、わかったと電話を切ることにした。

11月19日になっても、my orderの情報は変わらない。12月11日のままである。嫌な予感がしたので、電話をしてみた。20分待たされ、曰く、『11月21日に予定組まれています。午後をご希望ですね、午後になっていますよ』とのこと。20日から21日に勝手に変更されているらしく、それについて何の説明もないが、これもしのごの言う類のものでもないので、わかりましたと電話を切る。

肝心の21日、デリバリーは来ずに終わった。
この時点で相当にガッカリしているし、毎度15分待たされるのもウンザリである。
12月11日を待ってみるとしよう。

・・・だが、またその日がすぎてからハッスルするのも嫌なので、前日の12月10日に電話してみた。15分後に出た担当氏、あなたのオーダーについて、確認すべき情報があるので、確認してから電話で折り返しをします、その回答は5営業日以内ですとのことであった。もはや開いた口がふさがらないが、待つことにした。

翌日、思いの外早く、emailが届いた。電話じゃねーのかというツッコミは無粋である。
衝撃のemailの内容は、『あなたのオーダーされた商品は在庫が無く、入荷の見込みもないので、デリバリーできません。あなたは二つのオプションを選択できます。①同額のショッピングをEXTRAサイト内で6か月以内にすることができます②もしくはキャンセルの二つです。キャンセルの場合は、かくかくしかじかの手続きに沿ってください』というもの。やるやるとは聞いていたが、まさかのどんでん返しまでは考えていなかったので、もはや立っていられません。

慌てて電話して、また15分待たされて、キャンセルのオーダーを入れる。冷静に話すのに一苦労である。曰く、『一度落ちた決済額を戻すのには30~60日の日数を要します。戻す際には、2度に分割して決済が行われますのでご注意ください』とのことであり、ツッコミどころ満載だがそれをいちいち交渉する気は起らない。

いまはただ、戻し決済が無事に行われるのを待つばかりである。もし60日経過しても戻らない場合、また電話して15~20分待たされるのだ。想像しただけでも萎えてくる。

かくしてブラジルの消費者はあきらめ上手になるのだ。

勿論、日本の消費者は恵まれすぎているという側面は、あるだろう。納豆のタレの小袋のここを開けろと言う場所に切り込みが無かったら、二度と同じ商品は買うまいと別の競合品に移るだろう。ヨックモックの個包装の開け方について、懇切丁寧な図解説明が同梱されてあるのは、あのビニールを開ける際に中身を一緒にビリッと破損してしまった消費者が声を上げた結果としての、企業側の改善提案なのだろうと想像できる。全ては競争の成せる業である。過当競争のきらいもあるかもしれない。

ブラジルではそうした声を上げようとも全く反映されないどころか、待たされたりするので声を上げる人が少なくなる仕組みが出来上がっている。そして他に移るべきサービスが少ないので、ますますサービス提供者側はそうした声を無視できる。これは極論を含んでいるが、単純化するとそう言える。そうするとどうなるか。努めてストレスを溜めないように、発生したことがらにたいして鷹揚に構える免疫が付くのである。

とはいっても私は日本人だ。
泣き寝入りは悔しいので、いつか仕事でサービスの提供者側になり、ブラジル国民が諦めている空席を埋め、成功を治めたいと密かに願うのである。