まったく人生というやつは、なんというか、捨てたもんじゃないとつくづく思う。
自分で取りに行かなきゃそもそも取れない果実はわりと多くて、すると多分気づかぬうちに幾つかは通り過ぎてしまってることも少なくないはずで、ときどきそのことにウンザリしたりもするけれど、そんな中でもそれでいて感動的なこともあったりして、冒頭の捨てたもんじゃないという感想に辿り着くのである。
休暇でハワイに旅行中、娘が靴を履いていないこと気が付いたのは、夕食を終え宿泊先のホテルに戻ってすぐのことだった。夕食の後半から目がトロンとしてきた彼女、ついに終了を待たずにダウン、帰りは母親父親交互に抱っこされての御帰還となった流れだった。
そもそもこの日の午前中、娘が買ってもらった靴をたいそう気に入って、その場で履いていくと言ってきかなくなった。親としては先を見越して大き目を買っているので、今すぐの用途じゃないといっても当然彼女が聞き入れるわけはなく、新しい靴をぶかぶかのままその日娘は履き続けていた。だから落下紛失は、起こるべくして起こった事故と言える。しかしこの紛失は一大事である。もし娘が翌朝起きて楽しみにしていた靴がないこと知ったら、そのショックは相当なものになるだろう。そこで、父の出番である。
まず、店に電話。受付のオネーチャンのテキトーなあしらいを受ける。そんなものは無いと。すぐにホテルを出発し、来た道を辿る。目を皿のようにして探しながら道中を歩く。無い。そのレストランが入るモールの中の管理事務所に届けを出す。残念ながらまだ該当はなく、出次第すぐに連絡をするという。非常に真摯な対応に少し救われた気がする。夕食を食べた店まで戻った。少し話した時点でこの若い受付オネーチャンは完全に信頼できないと感じ、我々を担当したウェイター氏と話したいと言って呼んでもらう。彼はすぐにもう一度テーブルの下を見てくれた。あった。片方だけあった。テーブルの下にあった。そこからどれだけ探してもらっても、もう片方は見つからなかった。担当氏とオネーチャンに礼を言って店を後にする。言いたくない相手にも、礼は言うものである。
トボトボ歩く。たとえ片方だけあっても、それはビミョーだよなぁと考えながら、ピンク色の靴を右手にブラブラ下げながら歩く。さすがに両方揃わないと、父として結果を出したことにはならない。件の管理事務所に片方の現物を見せに戻る。レストランと違って、真摯な対応だ。再訪したことにより、彼らに切羽詰まったイメージを持ってもらうことに成功した。もし見つかったなら、きっと親身になってすぐに連絡してくれるはずだ。
肝心の現物は見つからない。仕方ない、今宵の捜索は打ち切りである。最終帰路で無ければ、明日の早朝に再度捜索をかけ、その時点で断念・娘に報告することにしよう。最悪、同じ靴を買いに行くことになるのかもしれない、まあそれでも仕方ない、そう腹を決めた。
という具合にいろんなことを考えながら、ゆっくりと慎重に歩きながら、帰る。無さそうだ。気が重い。帰途も終盤、我々の投宿するホテルに連接する大手ホテルの広い駐車場兼バス停留所となるスペースに差し掛かったところで、前をゆっくりと歩く老夫婦の姿が目に留まった。不思議なことに、それまで娘の靴のことで頭が一杯に埋め尽くされていたのに関わらず、なぜか背後から見たそのご夫婦の素敵な佇まいに突然心を奪われたのだ。
杖をついたご婦人と、そのもう片方の手を繋いで歩くご主人。非常にゆっくりとした歩みだ。支え合っている。年輪を重ね、多くのことを乗り越えた熟年の極みを背中で語っている。愛とかそういうレベルではないものに迫力さえ感じる。私は歩みを緩めていた。自分がもしこの年代になったら、私のように周りを足早に通り過ぎる30代の人間は軽く映るのだろうか、それともいつか来た道と微笑ましくエールを送るだろうか、それはその時の自分の人生の充実度合いによるのだろうか、などと考えを巡らせているうちに、暫く彼らの背後をつけるような格好になっていた。
彼らは長期滞在しているのだろう、帰宅する様子の顔なじみと思しきホテル従業員と冗談を言いながら楽しそうに会話している。歩みを止めるその様は、まさに行き急がない、ゆとりの時間を楽しむそれだと見て取れた。羨ましい心の豊かさだなと思いつつ、いやいや、課題の靴問題があるのだったと切り替えて、バス停留所の横断歩道で立ち止まる彼らを抜いてスピードを上げた。
15メートルほど過ぎただろうか、ご夫婦の姿を前から見たくなり、振り返ってみた。と同時に、誰かが私を呼び止めている様な声がした。声の主は、なんとそのご主人だった。ご主人は、何かを指さしている。未だに道を渡る前のご夫婦に、横断歩道を渡り直してご対面した。ご主人は、ピンク色の靴を手にしていた。それはまさに、娘が落とした片割れに他ならなかった。発見である。ご主人が柱の陰に落ちた靴をぼんやりと眺めていたら、片手に同じ靴を手にした貴方が我々の横をちょうど通り過ぎたので、もしやと思って声をかけましたという。
ご主人はカナダ在住の78歳で、毎年クリスマスから年始にかけてこのハワイで過ごすのがここ20年来の恒例になっていて、年末には子供たち、孫たち皆集まって大家族が集合するのだという。今は勇退しているが元・競泳の国際審査員であり、横浜のパンパシ大会など含め、世界中を旅していたのだという。つまり職業柄目が良く観察眼が鋭いという訳で、ゆっくりとした移動速度と相まって靴捜索にこれ以上ない適役であったのである。
まず、問題発覚後すぐに捜索を開始したこと、レストランに片方があったこと、突然ご夫婦に興味を持ってスピードを緩めたこと、色々な場所を回って最後にちょうど柱の陰に落ちた靴を発見した直後のご主人の横を通過することになったタイミング、たまたまご夫婦側の手に片方の靴を持っていたこと、ご主人の観察力、全てが揃わなければ、この奇跡は起こらなかった。聞けば以前はなじみの同じホテルに泊まっていたが、訳あって今年からたまたまホテルを変えたというのが、どうも縁を感じてならない。お名前と宿泊先を聞き、経緯を話し、この靴が如何に大切なものだったかを説明し、感謝して別れた。帰国する前に、そのホテルにお礼のカードを届ける予定である。
ということで、まことに大げさで恐縮ながら、世の中捨てたもんじゃないのである。
自分で取りに行かなきゃそもそも取れない果実はわりと多くて、すると多分気づかぬうちに幾つかは通り過ぎてしまってることも少なくないはずで、ときどきそのことにウンザリしたりもするけれど、そんな中でもそれでいて感動的なこともあったりして、冒頭の捨てたもんじゃないという感想に辿り着くのである。
休暇でハワイに旅行中、娘が靴を履いていないこと気が付いたのは、夕食を終え宿泊先のホテルに戻ってすぐのことだった。夕食の後半から目がトロンとしてきた彼女、ついに終了を待たずにダウン、帰りは母親父親交互に抱っこされての御帰還となった流れだった。
そもそもこの日の午前中、娘が買ってもらった靴をたいそう気に入って、その場で履いていくと言ってきかなくなった。親としては先を見越して大き目を買っているので、今すぐの用途じゃないといっても当然彼女が聞き入れるわけはなく、新しい靴をぶかぶかのままその日娘は履き続けていた。だから落下紛失は、起こるべくして起こった事故と言える。しかしこの紛失は一大事である。もし娘が翌朝起きて楽しみにしていた靴がないこと知ったら、そのショックは相当なものになるだろう。そこで、父の出番である。
まず、店に電話。受付のオネーチャンのテキトーなあしらいを受ける。そんなものは無いと。すぐにホテルを出発し、来た道を辿る。目を皿のようにして探しながら道中を歩く。無い。そのレストランが入るモールの中の管理事務所に届けを出す。残念ながらまだ該当はなく、出次第すぐに連絡をするという。非常に真摯な対応に少し救われた気がする。夕食を食べた店まで戻った。少し話した時点でこの若い受付オネーチャンは完全に信頼できないと感じ、我々を担当したウェイター氏と話したいと言って呼んでもらう。彼はすぐにもう一度テーブルの下を見てくれた。あった。片方だけあった。テーブルの下にあった。そこからどれだけ探してもらっても、もう片方は見つからなかった。担当氏とオネーチャンに礼を言って店を後にする。言いたくない相手にも、礼は言うものである。
トボトボ歩く。たとえ片方だけあっても、それはビミョーだよなぁと考えながら、ピンク色の靴を右手にブラブラ下げながら歩く。さすがに両方揃わないと、父として結果を出したことにはならない。件の管理事務所に片方の現物を見せに戻る。レストランと違って、真摯な対応だ。再訪したことにより、彼らに切羽詰まったイメージを持ってもらうことに成功した。もし見つかったなら、きっと親身になってすぐに連絡してくれるはずだ。
肝心の現物は見つからない。仕方ない、今宵の捜索は打ち切りである。最終帰路で無ければ、明日の早朝に再度捜索をかけ、その時点で断念・娘に報告することにしよう。最悪、同じ靴を買いに行くことになるのかもしれない、まあそれでも仕方ない、そう腹を決めた。
という具合にいろんなことを考えながら、ゆっくりと慎重に歩きながら、帰る。無さそうだ。気が重い。帰途も終盤、我々の投宿するホテルに連接する大手ホテルの広い駐車場兼バス停留所となるスペースに差し掛かったところで、前をゆっくりと歩く老夫婦の姿が目に留まった。不思議なことに、それまで娘の靴のことで頭が一杯に埋め尽くされていたのに関わらず、なぜか背後から見たそのご夫婦の素敵な佇まいに突然心を奪われたのだ。
杖をついたご婦人と、そのもう片方の手を繋いで歩くご主人。非常にゆっくりとした歩みだ。支え合っている。年輪を重ね、多くのことを乗り越えた熟年の極みを背中で語っている。愛とかそういうレベルではないものに迫力さえ感じる。私は歩みを緩めていた。自分がもしこの年代になったら、私のように周りを足早に通り過ぎる30代の人間は軽く映るのだろうか、それともいつか来た道と微笑ましくエールを送るだろうか、それはその時の自分の人生の充実度合いによるのだろうか、などと考えを巡らせているうちに、暫く彼らの背後をつけるような格好になっていた。
彼らは長期滞在しているのだろう、帰宅する様子の顔なじみと思しきホテル従業員と冗談を言いながら楽しそうに会話している。歩みを止めるその様は、まさに行き急がない、ゆとりの時間を楽しむそれだと見て取れた。羨ましい心の豊かさだなと思いつつ、いやいや、課題の靴問題があるのだったと切り替えて、バス停留所の横断歩道で立ち止まる彼らを抜いてスピードを上げた。
15メートルほど過ぎただろうか、ご夫婦の姿を前から見たくなり、振り返ってみた。と同時に、誰かが私を呼び止めている様な声がした。声の主は、なんとそのご主人だった。ご主人は、何かを指さしている。未だに道を渡る前のご夫婦に、横断歩道を渡り直してご対面した。ご主人は、ピンク色の靴を手にしていた。それはまさに、娘が落とした片割れに他ならなかった。発見である。ご主人が柱の陰に落ちた靴をぼんやりと眺めていたら、片手に同じ靴を手にした貴方が我々の横をちょうど通り過ぎたので、もしやと思って声をかけましたという。
ご主人はカナダ在住の78歳で、毎年クリスマスから年始にかけてこのハワイで過ごすのがここ20年来の恒例になっていて、年末には子供たち、孫たち皆集まって大家族が集合するのだという。今は勇退しているが元・競泳の国際審査員であり、横浜のパンパシ大会など含め、世界中を旅していたのだという。つまり職業柄目が良く観察眼が鋭いという訳で、ゆっくりとした移動速度と相まって靴捜索にこれ以上ない適役であったのである。
まず、問題発覚後すぐに捜索を開始したこと、レストランに片方があったこと、突然ご夫婦に興味を持ってスピードを緩めたこと、色々な場所を回って最後にちょうど柱の陰に落ちた靴を発見した直後のご主人の横を通過することになったタイミング、たまたまご夫婦側の手に片方の靴を持っていたこと、ご主人の観察力、全てが揃わなければ、この奇跡は起こらなかった。聞けば以前はなじみの同じホテルに泊まっていたが、訳あって今年からたまたまホテルを変えたというのが、どうも縁を感じてならない。お名前と宿泊先を聞き、経緯を話し、この靴が如何に大切なものだったかを説明し、感謝して別れた。帰国する前に、そのホテルにお礼のカードを届ける予定である。
ということで、まことに大げさで恐縮ながら、世の中捨てたもんじゃないのである。